S&Wのオールドリボルバー。
これはどう考えてもギャンブ
ラーガンとして最適だ。
これかコルトのポケット。
ただ、コルトはパーカッション、
S&Wは1858年にフランスの
フロベールから買い取った特許
の金属薬莢をモデル1リボルバー
用として発売して爆発的ヒット
となった。
それまでピン打ち式等、金属
薬莢の銃はあったが、リムファ
イアとはいえフルジャケットの
金属薬莢はS&Wが成功させ、
特許により技術と構造を独占
した。
コルト ポケット。
.31口径、1849年発売。
この1848年に開発されて1854
年に改良した金属薬莢を発
表したS&Wは、1858年にリム
ファイア権利を買い取る事で
権利確保と未来への橋頭堡
を築いた。
S&Wがベースを完成させた金
属薬莢は、21世紀の現代まで
銃器の基本弾薬となっている。
本物のギャンブラーズガン。
単発リムファイア式。
銃はコルト・シングル・デリ
ンジャーNo.1モデルだ。
製造は1870年-1890年の間。
口径.41-.44。
コルト・シングル・デリン
ジャー。
上:No.3 (1875-1912)
下:No.1(1870-1890)
デリンジャーで最も普及したの
がレミントンのダブル・デリン
ジャーだった。
1866年から1935年まで製造。
口径.41。
これぞ、ギャンブラーズガンの
決定版。
ちなみに、デリンジャーとは
ヘンリー・デリンジャーが発
明した小型拳銃の事で、それ
がスペルにRを一つ付け加えて
小型拳銃の代名詞となった。
腰にぶら下げるのではなく、
ポケットや懐中に忍ばせる
護身用の銃としてあった。
コンシールド=秘匿性が高い
為、犯罪に使われる可能性も
あるので、米国では戦後に
拳銃そのものの大きさ規制が
施行された。
それゆえ、ワルサー社の傑作
銃のPPKは米国では新規輸入
ができなくなり、ワルサーは
フレームの大きなPPに短い
スライドのPPKを搭載する
コンバージョンを作ってPPK/S
として米国に輸出した。
現在でも、米国には小型拳銃
所持禁止の法令があり、デリ
ンジャーのような銃は新規に
は携帯できない。
飾り物として自宅に持ってい
るのはよいようだ。
でも、そうなると、もうそれ
はモデルガンのような事にな
る。
リンカーン大統領の暗殺に使用
されたデリンジャー。
至近距離の後ろから頭部狙い。
アメリカでも日本でも要人は
暗殺される。
だが、銃は人を殺さない。
人が人を殺すのだ。
リンカーン暗殺は単独襲撃では
なく、組織的計画的に要人たち
を同時多発で一挙に暗殺する
計画だった。
次期大統領になったグラント
将軍も暗殺対象だったが、
予定変更により難を逃れた。
日本でも戦前には要人暗殺が
組織的に実行されて来た。
戦後も多くの暗殺事件が起きて
いる。「事故死」「自殺」も
本当にそれなのか極めて怪しい。
小泉純一郎氏が総理になった時
の事を長男は後年述懐して
いた。
「ああ。これでいつか暗殺され
るな、と強く思った」と。
この感覚は至極まっとうだ。
お花畑感覚では政治家にはなれ
ないし、また政治家の家族親族
としてもやっていられない。
綺麗事の建前論だけで政治の世
界は語れない。
民主主義の旗頭であるアメリカ
は、一国の大統領暗殺が何度も
繰り返され、そして、社会的に
もナチスと同様の仕儀の赤狩り
(無実の人たちも魔女狩りのよう
に死刑にしたりした)はじめ、
人種差別政策を採用して来
た国だ。
近年、人種差別はやや緩やかに
はなったが、未だに米国には
根強く残存している。
そして、社会のコアには「暴力」
がある。
暴力によって国家が成立している。
アメリカでは、この先も先住民族
が大統領になる事、アフリカ系
の奴隷をルーツにもつ黒人(オバマ
氏は異なる)が大統領になる事、
女性が大統領になる事は、当分
来ないだろう。
ギャンブラーズガンは、歴史の
中で一つのアメリカを象徴して
いる。
単なる賭博師が隠し持った銃で
はない。
それを持たないと賭博もできな
い、身を守る事ができない、と
いう状況。
そして、人を殺して自分は生き
残る。それを「勝ち」とする。
これは、アメリカの姿なのだ。