鈴鹿4耐が今年で終了という件
について
ロードレースの甲子園大会が
ことし限りで消滅した。
一時期エントリーが約600台、
ライダー約1,200人超を記録し
て、コンマ1秒内に数百人が
ひしめいて鎬を削っていた鈴
鹿4時間耐久レース。
ノービスクラスライダーの登
竜門として1980年から開催さ
れていた。開催当初のカテゴ
リーは250純ロードレーサー
マシンでの参戦も可能だった
という耐久レースなのにスプ
リントペースのレースだった。
開催当初はノービスだけでなく
ジュニア(のちの国際B級)も
参戦可能だったが、完全にノー
ビスのみとなったのは1984年
からだった。
数多くの名ライダーを輩出した
のが鈴鹿4時間耐久レースだっ
た。
消滅というのは残念至極。
近年のコロナ明けのエントリ
ー数は40台という有様で、レ
ース自体が成立しなくなった。
定員割れだ。
仮に大学の入学者枠が5000人
の難関大学において願書提出
者が300人だったらどうなるか。
当然、合格者の学力の質も低
下するし、大学の運営自体が
成り立たない。
鈴鹿4時間耐久レースだけでな
く、日本国内のモーターサイ
クルロードレースはそういう
状況だ。
かつて90年代にはNHKでさえ
グランプリロードレースを中
継放送していた事など、今の
若い二輪運転者たちは知らな
いだろう。
鈴鹿4時間耐久レースは、車両
も4スト400、2スト250までだ
ったのが600ccまでに企画変更
されて継続していたが、人気が
激減したのに加えて、600マシ
ン自体をもうメーカーが作らな
いというご時世でもあるので、
レースそのものが根本から成り
立たない。
使用するタイヤのタイヤメー
カーも一社限定というように
なったあたりから将来性の雲行
きは見えてはいたが、まさか
消滅とは。
そういえば、かつて1980年代
には連日トータル18万人の観
客動員数があった鈴鹿8時間
耐久-4時間耐久レースも、近
年はあまりにも観客席がガラ
ガラなので驚きながら中継を
見ていた。
私が月刊プレイボーイの鈴鹿
現地の8耐取材バイトで妻や
バイク仲間たちと共々鈴鹿に
行った時は、トイレに到達す
るまで何時間というほどの観
客すし詰め状態だった。朝の
東京の通勤ラッシュと同じよ
うな状態。
うちのMC8C(モーターサイク
ルクラブエイトコマンドゥ)の
レーシングライダー綿貫マイ
クがノービスで出場して雨の
中16台ぶっこ抜いた数年前の
4時間耐久の時も、その後8時
間耐久にマイクが出場した時
も、客席の観戦者があまりに
も少ないので私と妻は驚いて
中継を観ていた。妻はかつて
大昔に私がコースを走る時に
ピットからボードを出してく
れていた人だ。活動資金繰り
で日常生活する事さえも苦し
い中で、トランポもよく運転
してくれた共にレース活動を
していた人。辛酸を舐める苦
労を共にした。
マイクはその後、全日本選手
権を経て現在は世界耐久選手
権にフランスヤマハから出場
している。今シーズンでは春
にル・マン24時間耐久の世界
選手権レースで世界3位に入賞
した。
彼マイクは実は物凄い観客が
客席に押しかけるレースを走
ったのはヨーロッパでの体験
が初めてなのではないだろう
か。日本国内では私らの1980
年代のあの熱い時代と現代は
あまりにもやる側も観る側も
温度差と人数が異なるので、
若い世代のマイクたちは少し
可哀そうにも思える。
観戦ギャラリーの少ないレース
はとても寂しい。
甲子園でもそうだろう。
もし5万人入る甲子園球場の客
席に観戦者が数十人だったと
したら、果たしてどうなのか。
コロナ禍関係なく、人々が
野球には興味が無くなって。
野球の場合はそれは無いが、
世界一のオートバイを作る日
本という国の国民はオートバ
イのスポーツには興味を失っ
た。
時代の流れだろう。
オートバイという乗り物は
危険だし、暑いし、寒いし、
雨に濡れるし、汚れるし、第
一四輪車に比べるととても疲
れる。
そういう事はやりたくないと
いう国民だらけになったのだ
ろう。お手軽ラクチンのクリ
ックポチで何でも済まそうと
するように。
現代でオートバイに乗ってい
る若い世代たちは、二輪を単
なる移動手段としてしか扱わ
ない。車への愛情も、自分の
運転技術の向上にも興味は
ない。スポーツとしての二輪
競技にも興味が全く無い。
動画サイトで小遣い稼ぎをす
る人たちをアイドルか英雄成
功者のように讃えてすり寄り
たいだけの層の多くが二輪に
接しようとしている。
根本的に空前絶後の1980年代
バイクブームの国民層とは
質が異なる。
1978年から開始された鈴鹿
8時間耐久の前座レースとし
ても人気を博したモーター
サイクルロードレースの鈴鹿
4時間耐久レースだったが、
完全にこの世からことし限り
で消滅した。
やはり、高校球児たちの希望
である全国甲子園大会が消滅
したような空虚な気持ちに包
まれる。
残念、の一言に尽きる。
サヨナラ、俺たちのヨンタイ
~鈴鹿4耐 45年の歴史に幕〜 - WEB Mr.Bike