カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

神学講座(その16)第二バチカン公会議以後

2016-09-15 15:41:25 | 神学
 神学講座は、2016年7月7日に、F・カー著『二十世紀のカトリック神学』の第12章「バチカン公会議以後」に入りました。私は所用で参加できませんでしたが、あとで神父様からいただいたレジュメを使って内容の簡単な整理をしておきたいと思います。本章は最後のまとめというよりは、著者F.カーの立場をかなりはっきりと書いている部分だし、また、H神父様の要約・紹介の仕方も興味深かったためです。
 結論的に言えば、カーは、第二バチカン公会議以後に起こった、または今も起こっている、論争のゆえに、教会は「混乱」のなかにある、というものである。これはかなり大胆な評価である。第二バチカン公会議の以前と以後を共に見てきた者の一人として、カーよ、よくそこまで言うか、という印象である。「我我は、深い分裂と手に負えないほどの裂け目の中に生きていかねばならない」とカーは言う。分裂とはなにか、何について分裂しているのか。カーは、第二バチカン公会議以後は「改革の改革」の時代だという。つまり、第二バチカン公会議のエキュメニズムの途を歩むのか、それとももう一度第一バチカン公会議(1869-1870)、さらにはトレント公会議(1545-1563〉にまで戻るのか、という「見解の相違」があるのだという。
 トレント公会議から第一バチカン公会議まで公会議は開かれなかった。開けなかった、というか、開く必要がなかった、というべきかはまた別の論点だが、第二バチカン公会議以前に戻りたい、という声が、勢力が、現在でもきわめて多い、ということであろう。
 カーは「見解の相違」を3つの論点に絞って論じている。第一は教皇至上主義か公会議至上主義の対立である。教皇の首位権と司教の団体性のあいだにどのようなバランスをとるかという問いである。コンガールの東方教会論的な公会議至上主義論、、キュンクの教皇至上主義批判が中心的に論じられる。
 第二の論点は「典礼」、より具体的にはミサの「国語」化論である。ミサがラテン語から国語に切り替わる、司祭と祭壇の位置関係、聖体拝領の仕方、など「誰も予想などしていなかった」ことが起こったのであった。
 第三の論点としてカーが取り上げているのは「結婚」論である。結婚は結局は「相互の贈り物」(愛情)なのか「生殖」目的なのか、という古くて新しい論点である。バルタザールやラッティンガーたちによる伝統的な婚姻の教説をめぐる対立が紹介される。
 カーは最後に「真の教会」を維持するために「古代ローマ典礼の奉献文」を論じ始める。おそらくは、ローマ典文(第一奉献文)に帰れ、といっているように思われる。ここで神父様は、第二バチカン公会議による奉献文の変更を紹介説明されたようだ。資料も配布されたようである。第二バチカン公会議は典礼刷新を始めた。これまでのローマ典文(第一奉献文)に加えて、東方教会の伝統を尊重して第二・第三・第四奉献文が作られた。つまり今のミサ典礼書には四つの奉献文があるのだと思う。
 ところで、「感謝の祭儀」をいちおうご「ミサ」と同じといえるのなら(ほかにもいろいろな呼び方あるのだろうが)、ごミサは、社会学風に言えば、「構造」を持っている。「ことばの典礼」と「感謝の典礼」の二本柱からできている。そして感謝の典礼は奉献文と御聖体拝領からなる。奉献文には「感謝の賛歌」が終わると入っていく。感謝の賛歌は日本語では以下のようになる。

 聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の神なる主。
 主の栄光は天地に満つ。天のいと高きところにホザンナ。
 ほむべきかな、主の名によりて来る者。
 天のいと高きところにホザンナ。

これは唱和した時(時代)もあったし、歌うこともある。叙唱と奉献文を切ってしまうようにも思われるが、会衆全員が参加する、という意味は明らかである。カーは本当に第一奉献文だけで良いと言っているのだろうか。第二バチカン公会議のエキュメニズムの思想はそれだけで実現できるのだろうか。それともカーは、「真理にはヒエラルヒーが存在する」というエキュメニズム批判の主張に賛同しているのだろうか。H神父様の評価を聞きたかったところである。

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