カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

仏教とキリスト教ー歴史と大乗経典(4)(学びあいの会)

2018-02-27 21:26:40 | 神学

 2月の学びあいの会は厳寒の26日にもたれた。最近はメンバーは固定化してきているが、今回はテーマが仏教ということで参加者が少し増えた。
 さて今回は盛りだくさんの話だった。仏教の歴史が概観され、般若心経を全員で読み下し、仏教の「典礼」がカトリックのごミサと構造が類似していることを学び、ついで大乗仏教の主要な経典の解題にまで進んだ。主任司祭の交替があるということでカテキスタのS氏は報告を急いでいるようだ。
 前回はおもに経典教理の話だったが、今回は歴史である。仏教研究も急速に進んでいるようで、原始仏教や部派仏教を見直す動きが強まっているようだが、依然として大乗仏教の重要性を説き続ける人も多いようだ。禅との交流が求められたカトリックの動きはなにか遠い昔の話のようにも見えるほど、仏教研究や運動が急速に変化しつつあるようだ。こういう状況の中でS氏が仏教の歴史をどのように整理されるか、楽しみである。どうしても整理の視点が問われるからである。そこでここでは私の個人的コメントはできるだけ省いて、報告のみを紹介してみたい。

4 仏教の歴史的展開

 仏教の開祖はお釈迦様で、本名はゴータマ・シッダッタ。ブッダガヤでの悟りは35歳頃で、時代は約2500年前。シャカはイエスと同じく文書を書き残していない。仏教が当時のバラモン教をおしのけてインドに広がったのがアショーカ王の時代といわれ、紀元前三世紀頃か。S氏はこの後の仏教を部派仏教・小乗仏教・大乗仏教の三つにわけて説明された。

4・1 部派仏教

 紀元前三世紀、アショカ王の時代に仏教は戒律問題をきっかけに分裂する。戒と律は異なるので、上座部と大衆部の約20の部派が発生した。

4・2 小乗仏教(上座部仏教・南方仏教・南伝仏教)
 インドから南方へ僧侶を中心に拡大した。現在のスリランカ、ミャンマー、タイ、カンボジアなどに伝わる。全体に保守派で、僧は妻帯せず独身(注1)、サンガで集団生活し、労働しないで托鉢生活をする。

4・3 大乗仏教の3期

 大乗仏教の歴史は3期にわけることが多いらしい。
1 初期はAD1世紀から300年頃で、多くの経典が書かれた時代(般若経・法華経・無量寿経・涅槃教・大日経など)。龍樹が登場し、中観思想や唯識論が打ち出される。

2 中期は300年から650年頃で、大乗仏教の盛期。教えは哲学的で、宗教と言うよりは学問という傾向が強かったという。多くの如来像が生まれる。

3 後期は650年から13世紀頃で、衰退期。民衆の支持を得るため、学問よりは信心に比重が移る。仏教に葬儀が入り込み、密教が登場する(つまりヒンディー化し始める)。やがてインドでは仏教は滅亡・消滅する。原因は色々挙げられているようだが、イスラムの侵入説が定説のようだ(注2)。

5 様々な仏教(浄土教・禅宗・密教)

5・1 浄土教
 浄土教はインドで発生するも東アジアで発展する。阿弥陀如来(アミターバ=無限の光)を絶対化し、その救済を求める他力本願の教え。仏教を「悟りの宗教」から「救いの宗教」へと転換させた。一神教的でキリスト教に近いといわれる。現在の日本でもキリスト教に改宗する人には浄土真宗系の人が多いという。
浄土三部経(じょうどさんぶきょう)が根本経典で、『仏説無量寿経』(サンスクリット)、『仏説観無量寿経』(サンスクリットなし)、『仏説阿弥陀経』(サンスクリット)の三経典をさす。

5・2 禅宗

5・2・1 中国生まれの仏教で、達磨禅師(~528)が伝えたとされるが、座禅の法は仏教独自のものではなく、シャカ以前から存在していたという。ヨーガスートラの第三アサーナ(坐法)や第七ディアーナ(静思)が源という。

5・2・2 禅の思想
 キャッチフレーズ風にまとめれば、只管打坐・不立文字・教外別伝・仏祖正伝・直使単伝・己事究明。シャカは極めて分析的な人で、瞑想を通してシャカの悟りを追体験しようとするのが禅。禅は体系を否定し、直感を重んじる。

5・3 密教

5・3・1 仏教の衰退
 仏教は7世紀頃から衰退が始まる。その原因として以下があげられるという。①仏教はあまりに高踏的で、大衆がヒンディー教に向かった ②出家中心への反発 ③現実問題に冷淡 ヒンディー教は現実的 ④仏教を保護した王政が消滅 ⑤イスラームの侵入

5・3・2 密教の発生
 民衆を仏教に呼び戻すためにヒンズーに回帰する。ヒンズーの神々を取り入れたため、密教には神が多い。

5・3・3 密教の歴史的区分
①前期(5世紀~) 除災招福など呪術による現世利益中心
②中期(6~7世紀)悟りによる解脱が中心。「身口意」の三密業とは、印契(身密)・真言(口密)・観法(意密)のこと。
③後期 タントリズムが生まれる その定義は難しいようだが、要は性行為を修行に導入した
④最終期 カルト教団的要素が強まり、戒律と矛盾が生じ、13世紀には滅亡する。

5・3・4 密教と顕教
最澄と空海とで理解が異なっていた。最澄は大乗の中に顕教・密教があると考えたが、空海は密教・顕教の区別がまずあり、顕教の中に大乗・小乗があると考えた。キリスト教から見れば、仏教には正統と異端の区別がない。どの教えが正統でどの教えが異端なのかという区別がない。

5・3・5 密教の行
行とは、マンダラを眺め、マントラ(真言)を唱え、印契をむすび、心を集中し、最終的に自らを大日如来と一致させる修行のこと。方法としては、マンダラ、マントラ、護摩、灌頂、阿字観、加持祈祷、などがあるという。

5・3・6 密教経典
大日経、金剛頂教

5・3・7 密教の仏たち
大日如来、薬師如来、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩、観音菩薩、多くの明王など多数。なお、如来と菩薩の区別は大事である。

 S氏はこのように、仏教を4つの異なる仏教に整理された。小乗・大乗・浄土教・密教。これはこれで興味深い整理の仕方である。日本の仏教は奈良仏教系・平安仏教系・浄土系・禅系・日蓮系に分類されることが一般的だが、この対比は興味深い。


6 大乗経典

6・1 大乗経典の数

 大乗経典はキリスト教から見れば「教父の書」みたいなものらしいが、数が違う。聖書でいえばキリスト教では、旧約が39巻、新訳27巻、合計66巻。これはこれで大部だが、大乗経典はなんと3000以上あるらしい。とはいえ、通常読まれるのはせいぜい30位で、1%弱。大体同じくらいの分量なのかもしれない。大乗経典は原文はサンスクリットだが、小乗ではパーリー語で唱えられているという。

6・2 般若心経

 般若経のグループは大乗仏教初期の代表的経典。般若心経は般若経のエッセンスを短く述べたものだという。我々にももっともなじみのあるお経である。大いなる知恵の完成を説く核心的経典で、小乗仏教を否定し、空の思想を強調している。人間観としては五蘊、六根、六処を持ち、八正道と四諦(苦集滅道)を否定している。彼岸に到達する修行の方法として六種類があげられている:布施・持戒・忍辱(にんにく)・精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)・智慧(ちえ)。

 このあと、般若心経を全員で読んだ。高校の漢文読み下しみたいに一行一行読み、解読していった。現在はネットを見れば、原文も日本語訳も色々読める。また、音声でも聞くことができる。念のためちょっと引用しておこう。(一部変換できない文字がある)。

仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩?、依般若波羅蜜多故、心無?礙、無?礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経

日本語訳も色々あるようだが、オーソドックスな訳をみてみよう。

観音菩薩が、
深遠なる「智慧の波羅蜜」を行じていた時、
〔命ある者の構成要素たる〕五蘊は「空虚」であると明らかに見て、
すべての苦しみと災い〔という河〕を渡り切った。
「シャーリプトラよ、
色(肉体)は「空虚」と異ならない。「空虚」は色と異ならない。
色は「空虚」である。「空虚」は色である。
受(感覚を感じる働き)、想(概念)、行(意志)、識(認識する働き)もまた同様である。
シャーリプトラよ、
すべての現象(一切法)は「空虚」〔ということ〕を特徴とするものであるから、
生じることなく、滅することなく
汚れることなく、汚れがなくなることなく
増えることなく、減ることもない。
ゆえに「空虚」〔ということ〕の中には、
色は無く、受、想、行、識も無い
眼、耳、鼻、舌、身、意も無く、
色、声、香、味、触、法も無い
眼で見た世界(眼界)も無く、意識で想われた世界(意識界)も無い
無明も無く、無明の滅尽も無い
"老いと死"も無く、"老いと死"の滅尽も無い
「これが苦しみである」という真理(苦諦)も無い
「これが苦しみの集起である」という真理(集諦)も無い
「これが苦しみの滅である」という真理(滅諦)も無い
「これが苦しみの滅へ向かう道である」という真理(道諦)も無い
知ることも無く、得ることも無い
もともと得られるべきものは何も無いからである
菩薩たちは、「智慧の波羅蜜」に依拠しているがゆえに
心にこだわりが無い
こだわりが無いゆえに、恐れも無く
転倒した認識によって世界を見ることから遠く離れている。
過去、現在、未来(三世)の仏たちも「智慧の波羅蜜」に依拠するがゆえに
完全なる悟りを得るのだ。
それゆえ、この「智慧の波羅蜜」こそは
偉大なる呪文であり、
偉大なる明智の呪文であり、超えるものなき呪文であり、
並ぶものなき呪文であり、すべての苦しみを除く。
〔なぜなら〕真実であり、偽りなきものだからである。
〔さて、〕「智慧の波羅蜜」という呪文を説こう、
すなわち呪文に説いて言う:
"ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー"
(往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に正しく往ける者よ、 菩提よ、ささげ物を受け取り給え)
〔以上が〕般若心経〔である〕。

 最後の「羯諦羯諦」はどうも英語でいえば Go ! Go ! という意味らしい。日本語訳も簡単に理解できるものではなく、ある程度の仏教の知識が必要だ。ちなみに、舎利子 シャーリプトラ は釈迦の弟子の名前のようだ。内容も、祈りというよりは哲学的言明のように聞こえる。とはいえ、その占める位置は我々でいえば信仰宣言みたいなもので、ニケア・コンスタンチノープル信条を思い起こさせる。
 少し長くなったので、次は次回にまわしたい。


注1 日本仏教は大乗仏教だが、僧侶は妻帯する。日本仏教の二大特徴の一つと言われるらしい。もう一つの特徴は浄土系が強いことのようだ。この辺の議論は次の文献がおもしろかった。
佐々木閑・宮崎哲弥『ごまかさない仏教ー仏・法・僧から問い直す』2017
佐々木閑 『集中講義 大乗仏教』2017
立川武蔵 『ブッダをたずねてー仏教2500年の歴史』2014
橋爪大三郎・大沢真幸『ゆかいな仏教』2013
注2 インドで消滅と言っても、現在でも少しはいるようだ。人口比は現在の日本のカトリック並で0.7%という。ちなみに、2011年で、 ヒンドゥー教徒79.8%,イスラム教徒14.2%,キリスト教徒2.3%,シク教徒1.7%,仏教徒0.7%,ジャイナ教徒0.4%、という数字があるが、数値にあまり意味はないようだ。

コメント
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