カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

聖書とイエスー「史的イエス」か「信仰のキリスト」か(2) (学びあいの会)

2018-06-27 11:48:17 | 神学

1 「史的イエス」の問題

1・0 「史的イエス探究」の要点

①「史的イエス探究」(Die Suche nach dem historischen Jesus)をめぐる争点はいくつもあるが、結局は、「史的イエス」か「ケリュグマ」かという対立になる。史的イエス研究は結局は紀元1世紀に生きた一人の男の生涯を断片的資料をあれこれとつなぎ合わせて描いていく。さすがイエスは実在しなかったとまでは言わないが、その議論はまとまりがつかなくなってしまう。他方、この研究の行き詰まりから、イエス・キリストの姿を「ケリュグマ」を通して描こうとする動きがでてくる。ケリュグマが、使徒たちによるものか、福音史家(福音書記者)によるものか、議論はわかれるだろうが、ケリュグマに、教会の宣教のメッセージの中に、イエス・キリストを見ようとする試みである。M・ケーラーが「史的イエス」か「信仰のキリスト」かと問うた意味はここにあると考えても良さそうだ(注1)。

②「史的イエス探究」の歴史の三段階

探究の歴史区分はオーソドックスな三段階論である。

1 第一段階  「イエス伝」(第一の探究)
2 第二段階 「史的イエス論争」(第二の探究)
3 第三段階 「第三の探究」

1・1 「史的イエス探究」の歴史

①「史的イエス探究」の思想史的背景

 18世紀の「啓蒙主義」にもとづく「自由主義神学」が史的イエス探究の背景であることは明らかだ。もちろん、啓蒙主義や自由主義神学をどう捉えるかで議論は複雑になるだろうが、川中師はカントの『啓蒙とは何か』を使って説明を始める。

「こうして啓蒙の標語とでも言うものがあるとすれば、それは『知る勇気をもて』だ。すなわち『自分の理性を使う勇気をもて』ということだ。」(中山元訳『永遠平和のために』 10頁)

川中師は啓蒙主義(Aufklaerung)を理性絶対主義だけで特徴付けておられるが、一般向け講義とはいえこう断定されると近代の社会科学は困るがそれはここでの論点ではない。

②『イエス伝』(Leben-Jesus-Forshung)(第一の探究)

 これはイエスの生涯を再構成しようとする試みで、H・ライスマルス(1694-1760)から始まるという。聖書は神話だという非神話化論がプロテスタント系研究者に多いが、カトリックではE・ルナン『イエス伝』(1863)もこの中に入るらしい。イエスは福音書記者たちの人格的理想の投影像だという考えだ。ルナンはカト研でも好きな人と嫌いな人がいてよく議論したのを覚えている。A・シュバイツァーもこの段階に入るらしく、川中師はシュバイツァーの『イエス伝研究史』(1906)が「イエス伝」(第一の探究)に終止符を打ったと説明している。


②「史的イエス論争」(第二の探究)

 前史としてM・ケーラーの『いわゆる史的イエスと歴史的聖書的キリスト』(1892)が紹介される。私は読んだことはないが、「史的イエス」と「聖書的キリスト」という概念がここで導入整備されたようだ。
 第二の探究はいろいろな論者がいるとはいえ、結局、R・ブルトマン(1884-1976)に代表される。ブルトマン信者は多いし、私にはあれこれいう力はないので表現が難しいが、川中師は「(ブルトマンは)原始教会の信仰の産物としての新約聖書のイエス像」を作ったと述べている。『岩波キリスト教辞典』などでは、ブルトマンは新約聖書の非神話化論、実存主義的解釈をとり、自由主義神学への批判的姿勢をとり、方法的には「様式史批評」を使って、新約聖書はイエスをキリストとして描くケリュグマ論(宣教論)を展開していると主張したとされる。
 やがて、「新たな問い」(Neue Frage) が出されてくる。ブルトマンの影響力は絶大だったが、彼の弟子たちのなかには反旗を翻す者も出てきて、「史的イエス」が再発見されていく。ナザレという小さな村で生まれ育ったイエスという何の変哲もない若者がやがて神の子キリストとされていく。それはいったいなぜなのか、という問いだ。E・ケーゼマン『史的イエスの問題』(1953)は、「史的イエス」と「信仰のキリスト」の関連を強調したのだという。史的イエス論が再度登場してくる。

③「第三の探究」(Third Quest)

 1980年代に入ると議論の中心はアメリカに移り、研究は多様化する。例えば、「イエスセミナー」(Jesus Seminor)で、福音書における歴史的事実の真正性(イエスの奇跡など)について歴史的根拠があるかどうか会員の投票による判定が下されるなど画期的な議論が始まったという。論者も、ユダヤ人研究者、考古学者など多様な背景をっもつ人々に広がってくる。日本でもよく知られているのは、N・ライト (N.Wright 『イエスとは誰か?』1992の著者)とか、キリスト教の起源の研究に社会学の方法を導入したG・タイセン(G.Theisen 『史的イエス』1996)などがいる。川中師はライトは参考文献に挙げておられないが、比較的保守的なライトはお気に召さないのかもしれない。
 現在もわれわれはこの第三の探究の段階にいるようだ。たとえば、J・チャールズワースは『史的イエス』(邦訳2012)のなかで、「問26 もしイエスの骨が発掘されたとしても、復活信仰は可能か」など刺激的な問いを27個ならべて、一つ一つ答えている(問27への答えは、この神学的問いは歴史家の守備範囲を超えており、ヨハネ20章が答えであるというもの。著者は歴史学者であり、メソジスト派の牧師)。

1・2 史的イエス探究の評価

 史的イエス論を川中師はどのように評価しているのであろうか。
師はまず、「歴史性」には Historie と Geshichte という二つの側面があるという。Historie とは狭義の歴史性であり、「史的イエス」そのものを指す。他方、Geshichte は広義の歴史性で信仰のキリストを指す、という。師は、ギリシャ語訳とドイツ語訳の「Ⅰコリント15・23-28」を引用して説明されているが、わたしには意味がわからなかった。
 ドイツ語ではこの区別ができても日本語や英語ではこの区別は困難なのではないか。Geshichtlich がケーラーの著作などでは「実存史的」と訳されているのはそのためであろう(注2)。
 いずれにせよ、師は「信仰のキリスト」論には「史的イエス」論が含まれている、キリスト教信仰は科学的論理は超越しているが歴史的事実の裏付けを必要としている。ただ信じればよいというわけではない。「信仰のキリスト」はイエスの最初の弟子たち(使徒や福音書記者)の信仰とつながっている、と言いたいのだろうと理解した。これはこれで良くわかる説明である。

 師は評価として以下の三点をあげている。

①史的イエス探究とは、新約聖書テキストから歴史的に真正なイエス像を摘出しようとする試みのことである。新約聖書におけるイエスに関する神学的主張は後世の付加として捨象する。
②史的イエス探究の意義としては、歴史的人物としてのナザレのイエスの重要な側面を発見したこと。他方、その限界としては、イエスの存在の歴史的検証可能性に限定されていて、イエスの超越性、生きているキリストを描けていない。
③したがって、新約聖書のテキストは、イエス・キリストの出来事の物語表現による超越的次元を指示し、描いているのであって、忠実な歴史そのものではない。

 川中師の説明だから、これが現在のカトリック教会の「史的イエス」論に関する標準的な理解だと考えて良さそうだ。わたしはなんどもかみしめて読んでいる。

 以上が川中師の講義の要約である。「史的イエス論争」に関するきれいな説明であり、なるほどと思えたが、他方、私にはなにか違和感が残った。これはわれわれがむかしカト研時代に習った「史的イエス論」とは違うのではないか、というものであった。われわれは昔どのように習っていたのであろうか。ここで岩下壮一師の「史的イエス論・信仰のキリスト論」を思い起こしてみたい。
 時代が違う。環境が違う。聖書学の進歩がある。積み重ねられた知見の厚みが違う。でも、岩下神学ではどう説明されていたのか、ふり返ってみたい。岩下壮一師をとりあげるのは、現代日本の(カトリック)神学界でまだ岩下神学を超えるものをまだわれわれはもっていないと私は考えるからだ。日本語による神学書や公教要理(カトリック教理書)はたくさんある。だが日本人に向けて、日本人のための神学書は、岩下壮一『カトリックの信仰』、『信仰の遺産』の右に出るものはまだないのではないか。次回に少し私見を述べてみたい。

注1 川中師が「史的イエス」と「ケリュグマ」を二者択一として捉えているのかどうかは報告を聞く限りよくはわからなかった。師がレジュメのなかで大貫隆・佐藤研編『イエス研究史』(1998)を参考文献としてあげているところを見ると、地上のイエスと復活のイエスの連続性を強調しているようにも思える。なお、私は、プロテスタントだがポピュラーな佐藤優『神学の思考』(2015)風の説明の仕方が好みである。
注2 ドイツ語の世界では GeshichteとHistorie を日常的にこのように使い分けるものなのだろうか。ドイツ語に詳しい方には当たり前のことなのかもしれないが。

 

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