カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

入門講座で何を学ぶのか(3)ー受洗後の世界

2020-05-28 09:22:38 | 教会

6 入門講座の内容

 入門講座では何を学ぶのか。というより、なにが教えられているのか。いくつかの教会の入門講座の案内をネットで検索してみたが、
なにか統一した指針があるわけではなさそうだ。基本は対象(受講者)次第らしい。イグナチオ教会のように「基本的に未信者の方対象」
(1)と限定しているところと、私の教会のように信者さんもどうぞというところでは、講座の内容も、教材も、異なることだろう。

 とはいえ、洗礼を目的と考えれば、結局は二つのテーマが必ず取り上げられていることが解った。一つは「福音」のメッセージの解説だ。
もう一つは「イエスの生涯」を追うことだ。同じことといえば同じことだが、視点を変えて同じことを説明するということらしい。
結局は、共観福音書を学ぶことが入門講座の中心らしい。「聖書を通してキリスト教の信仰の基礎を学ぶ」とか、「洗礼に必要な知識と霊性
を学ぶ」、というような表現にはそういう意味が込められているようだ。

 実際には、聖書から重要な箇所をみつけて、その部分の解説を聞きながら理解する、という流れらしい。共観福音書といっても、同じ
場面が異なって描写されたり、触れられていなかったり、読み方は指導がないと難しい。また、各人が聖書を読むといっても、各人が
勝手に読むのではなく、「聖伝」とともに読む、ということになる。多様な聖書解釈があるなかで、いわばカトリック教会の正統的な解釈の
もとに読むことが望まれる。これも説明が伴わないと難しい。カテキスタの学識と経験が試される場面なのかもしれない。
 

(カテキズム・要約)

     

 他方、あまり取り上げられないテーマもあるようだ。たとえば、、典礼・神学・教会の歴史・教会組織の特徴、などだ(2)。このへんは
カトリックとプロテスタントでは強調点が異なるのかもしれないが、キリスト教信仰を理解し、体験する(祈り)ことを目的としている
点では共通だろう。また、これらのテーマは受洗後の勉強の中で学習していく(と期待されている)ものなのであろう。

 

7 入門講座の教材

 入門講座で使われる教材にはなにか定番のようなものがあるのかもしれない。 サンパウロなどをみると以下のようなものが目についた。

『「カトリック入門 ─日本文化からのアプローチ」』
『「はじめて教会へいらしたあなたに~カトリック教会のごあんない~』
『こころにひかりを」』
『「キリスト教とは何か』(粕谷甲一)

 テレビやラジオやSNSでも講座が開かれているようだが、なにか決まった教材があるわけではなさそうだ。
 また、多くの神父様方が競って入門書を書かれているようだが、それぞれ個性があって、しかも一段上をねらっているようで、
定番といえるほどの評価の定まったものはまだないようだ。

 そこで、ここでは私の知人が教会で用いている入門講座の教材をとりあげて、入門講座では 何が教えられているのか、受講者は何を
学んでいるのかを見てみたい(3)。

小笠原優 『キリスト教のエッセンスを学ぶ ー より善く生きるための希望の道しるべ』 2018 イー・ピックス 
 これは入門講座の「基礎コース」用で、以下の「発展コース」用も近く出版されるという。 
小笠原優『信仰の神秘』 2020(近刊) イー・ピックス
  (小笠原師はサレジオ会、現在は教区司祭として菊名教会主任司祭 東京カトリック神学院教義学担当)


(エッセンス)

 

 私自身は入門講座にも、カテキスタ養成講座にも出たことはないので、なにか見当違いな紹介になることを恐れる。
できるだけ、入門講座の担当者、カテキスタの資格を持っている人、元受講者の方などの話を聞いて、自分の考えを整理しながら、
次回から教材の要約に挑戦してみたい。

 

8 受洗後の世界

 さて、無事に洗礼式が終わり、ミサに出てご聖体拝領ができるようになる。苦労の末のあとにいただく聖体拝領だし、まわりからも
祝福され、感激もひとしおだろう。

 そのあと何が起こるのか。教会が地区単位に組織されていれば班なり組なりに所属し、家庭集会などを通して顔を合わせることになる
(4)。青年会、壮年会、婦人会など、名称はなんであれ、世代別の組織に入ることになる(5)。加入は任意とはいえ、ほぼ自動的に
所属することになるようだ。また、教会には数多くの活動団体が動いており、ボランティア活動に誘われることもあるだろう。
熱意があれば教会の組織活動に参加することになる(6)。

 受洗直後の人がこういう世界にすぐに飛び込んでいくのは勇気がいるだろう。代父・代母が導きになるのだろうが、時間がかかることも
あるだろう。

 実は、受洗直後の人が最初に直面する課題は、こういう教会活動への参加ではなく、主任司祭との関わり方らしい。これは司祭が司牧を
どのように考えているかにも左右されるので一概には言えないが、なかなか難しいら問題らしい。。特に最近は、告解する機会も減り、
家庭集会の開催も少なくなると、神父様とじかに話をする機会もなかなか見つからないようだ。司祭は数年単位で異動していくとはいえ、
司祭とかかわらないで信仰を維持することはなかなか難しいだろう。

 教会活動への参加も任意とはいえ、仕事を持っている人、フリーの人、専業主婦や定年退職者など各自の事情に応じて、直面する問題は
多岐にわたるだろう。新たに洗礼を受けた人が教会生活が自分の生活の一部になるまでにはしばらく時間がかかりそうである。
ここから入門講座とは違う、新たな教会生活が始まっていく。入門講座はこういう受洗後の教会生活の姿をもう少し知らせてもよいのかも
しれない。洗礼を受けたあと待っているのは、典礼や神学の勉強だけではないことをもっと強調してほしいものだ。今風に言えば、「受洗後
のケア」の整備が求められているようだ。アフター・コロナで教会活動も変わっていくだろう。洗礼を受けた新しい人たちが教会に新風を
吹き込んでほしいものだ。

1 いまどき「未信者」という言葉がまだ使われていることに驚く。入門講座だから使われている言葉なのだろうか。
2 たとえば、『カトリックの信仰』(岩下壮一)などは、宗教とはなにか、神とはなにか、などの話から始まっている。真正面から
大上段に振りかぶって講義に入るが、現在の入門講座ではこういうアプローチは少ないようだ。とはいえ、子供向けの要理の絵本などでは
神さまの話から始まるものが多い印象がある。
3 私の教会では、神父様による入門講座以外に、カテキスタによる講座が3つ開かれている。曜日と時間の多様化がなされている。
受講者は自分の都合に合わせて選べるようだ。教材は同一のようだ。
4 洗礼式が終わると入門講座はそれでお終い、というわけではないようだ。その後の教会生活への導入をも手助けするという。
「サポートチーム」という名称の活動が始まっているようだ。洗礼式が終わって勇んでミサに出ても、知っている人がいない、話す相手が
いないでは、足が遠のいてもおかしくない。教会の人間関係はガッチリ出来上がっている。そこに飛び込むことは、本人次第とはいえ、
手助けが必要だと思う。
 教区教会は基本的に「地域集団」なので、信徒は地元の教会に所属することになる。とはいえアソシエーションの性格も持っているので、
地元以外の教会にあえて所属することは珍しいことではないようだ。
5 こういう世代別の組織はどこでも活動が不活発になるようだ。地域単位の組織、世代単位の組織が消滅して、ほとんど自発的な
ボランティア団体が中心となってで動いている教会もあるという。現在のようにコロナ禍で公開ミサが中止になり、教会活動がほぼ
止まっている時は、足腰の強い組織とそうでない組織の違いがはっきり現れるようだ。そういう意味では、教会の構成単位の特徴を、
お寺(檀家)や神社(氏子)、政党(後援会)などのそれと比較してみるのも面白そうである。
6 ちなみに、私の所属教会(信徒数1500名前後の中規模教会)では、教会委員会の下に、7つの「部」が組織され(財務部、総務部、
司牧部など)、その下に20を超える「会」または「係」と呼ばれる活動がある。顔ぶれは重複が多いとはいえ、教会活動の主力部隊
として数十人が日常的に動いているようだ。大規模な教会だと役員だけで数十人を数えるところもあるらしい。
 他方、地方の小さな教会では、日曜日のミサに出るのは10人前後、教会活動は数人の熱心な信徒に頼り切りというところもあるという。
教会の特徴は主任司祭の個性が強く反映されるとはいえ、基本的にはこういう下部組織のあり方が各教会の特徴を現してくるのかもしれない。

 

コメント
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