カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

禅は宗教にあらず ー 仏教概論(10)(学び合いの会)

2022-12-22 13:08:52 | 神学


Ⅷ 仏教とキリスト教

 ここでは、カトリック大辞典に依拠しながらキリスト教と仏教の比較がなされた。と言っても全く異なる宗教なので比較は難しいというのが共通理解であった。
 そこで、話は主にキリスト教と仏教の「創始者と教え」の比較に集中した。そうはいっても、キリスト教の創始者は誰か、は難しい問題だ。同じことは仏教、特に大乗仏教についてもいえるだろう。そもそも創始者という問題の立て方自体が成立しないともいえる。報告の詳細は2018年3月の本ブログ記事をご参照いただきたい。

 結局は、イエスとシッダルタ(釈迦)の比較の話になるのだが、イエスは神の子であり(つまり人間)、シッダルタは、先の「三人のブッダ」説を採れば、ブッダの一人(人間)である、ということになる。
この種の義論は、歴史のイエス論、歴史的釈迦論につながり、信仰のイエス論、覚りの釈迦論からは必ずしも容易に受け入れられるものではなさそうだ。

  キリスト教の三位一体説によれば、神は、父であり、子であり、聖霊である。この伝でいえば、ブッダは、大日であり、阿弥陀であり、釈迦である、ということになる。こういう整理が妥当であるかどうかはわからないが、複雑な大乗仏教を理解する手助けにはなりそうだ。

 そこで議論はヨーロッパと日本の中世において、なぜ突然、大宗教家達が登場し、歴史を作っていったのかという話に移った。「時代が偉人を生む」、というが、13世紀はそういう時代だったのであろう。提示された図はこういうものであった。

【日本とヨーロッパの大宗教家達】

 もっと名前を挙げることは出来るのだろうが、われわれはこういう人たちの展開した思想の中で現在も生きているということに感慨を覚える。

 実は2018年の学び合いの会ではこの図は「禅と神秘主義」というテーマのなかで紹介されたものだった。禅は宗教とは見なさないというのが我々の理解だった(1)。禅をヨガと同じく心身の鍛練の技法と考えるので、神秘主義とは見なさない。なぜなら神秘主義は基本的にキリスト教独自の用語だからである。だが、神秘主義を、神の(超越者・絶対者の)直観的(直感的ではない)認識、と理解するのなら、実際には仏教やイスラム教にも神秘主義を見いだせるとも言える。今回はこの話題には踏み込まなかったので(2)、ここでは図だけを提示しておこう。


1 「キリスト教は仏教から、瞑想法・修行・精神集中法など学ぶところが多い」というのが2018年時点でのわれわれの共通理解だった。つまり、仏教の教義や思想はキリスト教とは異質なものだが、心身鍛練の技法は学びましょうという結論だった。
 考えてみれば、カト研のジョンストン師も禅の修行に励んだが、結局は禅を宗教とは見なさなかったように思える。神秘主義思想の一つと見ていたのではないだろうか。師の『愛と英知の道』(2017 原題は The Mystical Theology-The Science of Love)は神秘主義神学を論じているが、巻末には「般若心経」(The Heart Sutra)の訳文が収められている(原著では英語訳、日本語は中村元訳)。カト研の諸兄姉の印象を伺いたいところだ。

【作務衣のジョンストン師】

 

2 前稿(仏教概論9)の注1で、カトリック教会は1980年代から統一教会はキリスト教ではないと断言していると記したが、資料を載せ忘れたので追記しておきたい。
 文書は「世界基督教統一神霊協会に関する声明」と題されている。この声明の宛先は「カトリック信者の皆さま」で、文書の最後に「1985年6月22日 (定例司教総会において) 日本カトリック司教団」と書かれている。司教団が信者に宛てて出した文書という形式をとっている。
 本文中には「日本での主な活動名称は次の通りです。世界基督教統一神霊協会、統一教会、平和と統一のための連盟、世界平和教授学会、○○市民(区民)大学講座、全国大学原理研究会、ユーストゥモロウ友の会、リトル  エンジェルス、医療奉仕会など」と活動団体が列挙されているが、国際勝共連合など政治団体は例示されていない。
 ここで司教団とは司教総会のことで、、司教総会は日本のカトリック司教協議会の最高機関である(教会法上の組織、カトリック中央協議会は司教協議会の実働部隊で世俗法上の組織と言える)。数多くの委員会を下部組織として持つので、組織は一枚岩ではないらしい。
 例えば、先日正平協は「岸田政権の「安保関連3文書」閣議決定に抗議し撤回を求めます」という声明を発表している。宛先は「内閣総理大臣 岸田文雄 様 防衛大臣 浜田靖一 様」で、差出人は「2022 年 12 月 20 日 日本カトリック正義と平和協議会 会長 ウェイン・バーント 担当司教 エドガル・ガクタン 日本カトリック正義と平和協議会一同」となっている。私は安保関連3文書がいかなるものかつまびらかには知らないが、正平協の活動には批判的である。私のまわりにも正平協の活動に好意的な司祭や信徒がいるが、私は日本の正平協は1990年代以降変質してしまったと思っており、その活動には批判的である。こういう声明は、日本政府の「遺憾です」の発表と同じで後で後ろ指を指されないための保身術と思えなくもないが、正平協が日本のカトリック教会の総意を代表しているように受け取られることを危惧している。
 日本のカトリック教会は大司教が事実上の最高責任者のようだ。東京では大司教は白柳→岡田→菊池と替わってきた。菊池大司教が岡田大司教の時代の残滓を乗り越えていくことを期待したい。なおこれは私見であり、学び合いの会とは何の関わりもない。

 

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