カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

洗礼を受けてなくとも救われます ー 諸宗教の神学(2)(学び合いの会)

2021-12-22 11:24:49 | 神学


Ⅱ 教会の他宗教への態度の変遷

 教会は他の宗教をどう見ていたのだろうか。教会の他宗教への態度は時代とともに変遷していく。当初は、「教会の外に救いなし」論が支配的であった。教会の最盛期、第4ラテラノ公会議(1215)くらいまで続いたとみて良いであろう。
 やがて新大陸の発見、宗教改革を経て、トリエント公会議(1545- )で新たな段階に入る。「望みの洗礼」という新しい考え方が登場する。 17世紀に入ると教会はジャンセニスム(1)と激しく戦い、結局この思想を異端として退け、「キリストの救いはすべての人のため」と宣言する。 19世紀に入ると教会の発言に揺れが見られるようになるが、結局第二バチカン公会議(1962-1965)で、他宗教はおろか無神論者でも救われる可能性があると宣言された。
 
1 「教会の外に救いなし」論の根拠

①聖書

 聖書の様々な箇所にこの思想に近い考え方がみられる。例えば、
1ペテロ 3:20~ (ノアの箱舟のたとえ 「この霊たちは・・・」)
マルコ 16:16 (「信じて洗礼を受ける者は救われる」)
使徒言行録 4:12 (「ほかの誰によっても救いは得られません」)

②教父たち

 多くの教父たちもこの思想を表明していた
 アンチオキアのイグナチオス(35-107)、エイレナイオス『異端反駁』(130-202) オリゲネス(185-254)、キプリアヌス(?-258)、ルスペのフルケンチウス(467-533)

③第4ラテラノ公会議(1215)
 「普遍的教会は唯一で、その外では救われない」(DS802)(2)

④ボニファティウス8世(1235-1303)
 「教会の外に救いも罪の赦しもない」(DS870)

2 新たな段階

 15・16世紀になると新大陸の発見などにより他民族や他宗教の存在が明らかになり、教会はその対処に悩む。しかし「教会の外に救いなし」論は撤回されなかった。
 やがて3度にわたるトリエント公会議(1545-1547,1551-1552,1562-1563)では「望みの洗礼」の考え方が表明される(3)。

3 教導職の発言の揺れ

 19世紀から20世紀初頭にかけて、教会の発言に揺れが見られるようになる。

①ピウス9世回勅(1863) 「やむを得ぬ事情によりカトリックを知らない者が正しく生きるなら・・・救われる」(DS2866)
しかし、次の行で 「しかし教会の外において誰れ一人救われない」(DS 2867)とも述べている。この表現は矛盾しているのではないかと繰り返し指摘されてきたが、回勅は回勅だ(4)。
②ピウス12世回勅(1943) 「しかし、不可抗的無知によりカトリックを知らない者も、願望によって神に認められる」
 トリエント公会議の望みの洗礼論の再確認だったようだ

4 第2バチカン公会議(1962-1965)

 「教会の外に救いなし」論はこの公会議で大転換を遂げる。正しく生きていれば誰でも救われる可能性がある、つまり、他宗教の人でも救われる可能性があると表明されたのだ。

「また本人の側に落ち度がないままに、まだ神をはっきりとは認めていないとはいえ、神の恵みに支えられて正しい生活をしようと努力している人々にも、神はその摂理に基づいて、救いに必要な助けを拒むことはない」(教会憲章16項 24頁)
 これは無神論者すら救われる可能性があると述べていると解釈されることが多い(4)。

「キリスト教の聖なる行事も、われわれから分かれた兄弟のもとで少なからず行われてきている。それらはそれぞれの教会や教団の異なった状態による種々のしかたで、疑いもなく恩恵の生命を実際に生み出すことができ、救いの交わりへの戸を開くにふさわしいものと言うべきである」(「エキュメニズムに関する教令」3項)
 これはおもにプロテスタント教会との教会一致を念頭に置いた文言のようだ。
 
5 問題の捉え方

「教会の外に救いなし」論は古代・中世では自然な考え方であり、現代と異なるのは当然だ。第2バチカン公会議では洗礼は救済の必須条件ではないことが確認されている。信仰についての考えは、歴史の中で正され、適切な表現に代えられるべきである。

 S氏はこのように言う。だが、本当に、信仰についての考え方は歴史の中で変わるのだろうか。信仰の「在り方」は変わっても「考え方」は変わらないのではないか。それとも変わっても良いのだろうか。変わって良いのならそれはなぜなのだろう。第2バチカン公会議への批判、フランシスコ教皇批判は、リベラルからも保守からも今でもあちこちで続いている。安易な批判論に与さないためにも、第2バチカン公会議の他宗教観をもう少し丁寧に見てみよう。


ベネディクト16世名誉教皇とバルトロマイ1世(コンスタンチノープル総主教)

 


1 ジャンセニスム Jansenisme は整理が難しいよう思想のようだ。現代に至るまで影響が残っているからだ。普通は自由意志論争(恩恵論争)の一つとされる。オランダのジャンセンが著書『アウグスティヌス』(1640)で、アウグスティヌスの恩恵論と予定説を擁護したため、イエズス会と激しく争ったという。恩恵は自由を損なうことなく絶対的に有効で、予定は無条件だというアウグスティヌスの命題を絶対視した主張をさす。結局はイエズス会から異端宣言されるが、対抗宗教改革で活躍したそのイエズス会自身が一時解散という憂き目に遭ったりしている。
2 DS とは人の名前らしいが(Denzinger/Schonmetzer)、カトリック教会の公文書の文書資料集の番号のこと。19世紀に整理されたようだ。日本語訳もある。神学研究には欠かせないらしい。3 望みの洗礼とは、キリスト教を知らない人でも、洗礼を受ける前に亡くなってしまった子どもでも、神を真摯に求め、神の意志を行えば救われるという考え方。「正直に」生きていれば救われますということのようだ。『カトリック教会のカテキズム要約』262番(153頁)
4 回勅 Encyclical とは教皇が全世界の司教に出す文書。教皇が出す文書の中で最も重要なもの。これは教義ではないが信徒にとってはもっとも大事な文書だ。第2バチカン公会議のあと生まれた文書で、回勅の下に「使徒的勧告」と呼ばれるものがある。シノドス(世界代表司教会議)が作った文書を教皇が出すものだ。これもよく読まれる。さらに「使徒的書簡」とか「自発教令」があるようだが、わたしはこれらはあまり読んだことはない。
5 この表現には、K・ラーナーの「無名のキリスト者」(匿名のキリスト者、anonymous christians)の思想が反映されていると読む人は多いようだ。
 なお、この教会憲章の引用は2014年版の『教会憲章』日本語訳(カトリック中央協議会)からであり、エキュメニズム教令からの引用は『第2バチカン公会議公文書全集』(南山大学、2001)からである。両者で訳文が少し異なっている点が興味深い。たとえば南山大版では「恵み」が「恩恵」と訳されていたりする。

 

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