カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

特別展「出雲と大和」から学ぶ

2020-02-06 10:12:35 | 観光

 昨日は思いたって東京国立博物館に「出雲と大和」特別展を見に行った。平日の午前中にもかかわらず、マスクをした歴史愛好家・美術愛好家で混雑していた。
 今年は『日本書紀』が編纂されて(720)ちょうど1300年の記念すべき年なのだという。この特別展は出雲を「幽」とし、大和を「顕」と表して、両者の特徴を対照的に示している。幽とは祭祀、顕とは政治を指すらしい。「幽と顕」という区別は『日本書紀』にあるのだという。

 この特別展は近年の様々な発掘、研究の進展を丁寧に紹介している。昔の中学生程度の知識しか無いわたしは、出雲は大和に征服されたとかの話しか覚えていない。最近でも山川出版の『詳説日本史研究』(2009)にはヤマト政権の詳しい説明はあっても、出雲への言及はない(索引すらない)。他方最近は、出雲が大和を攻めたのだというような説もあるようで、歴史音痴の私には、ただただ驚くだけの展示だった。「音声ガイド」を借りないと、弥生時代・古墳時代・奈良天平・平安時代にわたる時代の変化はとてもフォロー出来なかった。音声ガイドの語りは橋爪功さん(俳優)で、なかなかのものだった。

 最初にまず『日本書紀』の神代巻下と巻二が目に入る。立派な写本らしく、目を奪われる。デジタル表示もよかった。考えてみれば今は小学校の教科書でも日本の神話は出てこないらしい。イザナキ・イザナミ、アマテラスとスサノオ、ヤマタノオロチ、大国主命と国譲りなどの話はマンガやアニメで伝承されているのだろうか。

 展示の目次(部屋割り)は以下のようになっていた。

第1章 巨大本殿 出雲大社
第2章 出雲 古代祭祀の源流
第3章 大和 王権誕生の地
第4章 仏と政

 第1章では、まず、圧巻の本殿の「宇豆柱 うづばしら」と「心御柱 しんのみはしら」に対面する。2000年に発見・発掘された3本の大木を束ねた柱で、直径は何と3メートルという。支えていた出雲大社本殿の高さは48メートルという。16階建てのビルの高さということになる。本殿の10分の1の復元モデルも展示されていた。


 

(出典は東京国立博物館)


 第2章の出雲では、銅剣358本、銅矛16本、銅鐸6個が出土した荒神谷遺跡(1984年)、銅鐸39個が出土した加茂岩倉遺跡(1996年)、そして大和の前方後円墳とは全く異なる「四隅突出型墳丘墓」などが目を引く。出雲が大和とは全く異なった勢力だったことが力説される。

 第3章の大和では、前方後円墳の副葬品や埴輪など古墳時代から説明される。カメラが許されているのは2箇所のみだが、この黄金色の埴輪はまぶしかった。圧巻は国宝「七支刀」だろう。石上神宮に伝わり、樹木のように左右に三本枝分かれしている剣だ。百済との交流が説明される。「交流」には親好から征服・朝貢までいろいろな意味がこめられていることが暗示される。

 第4章は仏像の展示だ。日本への仏教の伝来(「公伝」というらしい)は古墳時代後期(教科書風に言えば552年)のようだが、ここでは奈良・平安時代の国宝級の仏像がずらりとならぶ。仏像だけだと宗教性はあまり感じず、説明では「鎮護国家」が強調されていたが、東京でこれだけのものを見られるのだから仏像好きにはたまらない展示だろう。

 私には印象をまとめるほどの知識はないが、出雲と大和を平等に取り扱っているのが印象的であった。展示はどこでもそうだが、説明の文字は小さすぎて年寄りには読むのがつらい。
 説明といえば、ナショナリズムを妙にくすぐるものではなく、アカデミックな展示とまとめかたをしているという印象を受けた。たとえば、卑弥呼の墓と言われる「箸墓古墳」への「ミューオン」(素粒子)による調査でなにか「空間」らしきものが発見されたというビデオ映像は印象的であった。
 そうじて、日本文化の源流を目に見える形で確認させてくれるよき展示であった。特別展の名に恥じない。

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