カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

増田祐志師を悼む

2019-04-28 22:22:06 | 神学

 今日のごミサのあと、知人と増田師の神学について話し合った。増田師とはわれわれは面識はない。だが、師の神学から学ぶことが多かったので、ここで少しふれて弔意を表したい。

 増田師はイエズス会司祭。上智大学神学部教授。この3月9日に逝去。1963年生まれだから享年55歳。なんとも惜しまれる。
 専門は教義学、特に教会論という。『カトリック教会論への招き』(2015)は現在でも良く読まれているという。

 ここでは、師が編集された『カトリック神学への招き』(2009)のなかで展開された師の神学の特徴をみてみたい。第6部「現代の神学」のなかの第16章「現代神学の課題」である。

 この章で、師は、「神学の究極の課題は「救い」についてである」と述べる。神学とは救済論だと断定する。
 だがこの救済論は多様性を持たざるを得ない。それは、「教会はどのような意味で救いの普遍的秘跡になりうるのかは、人々や教会が置かれている時代や文化の環境によって異なる」からだという。
 言われてみれば当たり前の言明だが、イエズス会司祭がここまで言うのには勇気のいることであっただろう。こういう複眼的視点は師の神学の特徴のようだ。

 師は、現代神学の課題を4点あげる。どれも10年前の議論とは思えないほど、先見の明のある整理の仕方である。

第一の課題 諸宗教の神学

 諸宗教の神学とは、キリスト教と他宗教の関係を議論する神学だ。基本は「キリスト教の相対化」をどう評価するかである。キリスト教は排他的なのか、それとも他宗教との共存を目指すのか。師は宗教的多元主義はとらないようだが、諸宗教との対話の重要性を強調してやまない。「エキュメニズム」という言葉は最近はあまり聞かれなくなった。増田師もこの言葉を使っていない。プロテスタント、正教会、ユダヤ教、イスラム教、仏教などとの対話、中国との関係など、問題山積みで解決の方向性がまだ見えないことの表れなのだろうか。

第二の課題 解放の神学

 ラテンアメリカで発展した解放の神学は一時期教会内では批判されることも多かった。しかし師は解放の神学の重要性を指摘する。「救い=解放と理解した神学者は、キリスト教が教える救い(=解放)は人間の霊的な次元だけではなく、社会・政治・経済も含む全体的次元で理解されるべきであり」(301頁)と述べる。かなり踏み込んだ主張だ。
 これは我々の私見だが、第二バチカン公会議以降の教皇(ヨハネ23世・パウロ6世・ヨハネパウロ1世)の時代の「教会の現代化」のなかで、ヨハネ・パウロ2世、ベネディクト16世と続く保守化の傾向は現在のフランシスコ教皇によってストップがかけられ、第二バチカン公会議の原点への回帰の方向に舵が切られているように見える。増田師は肯定的視点を持っていたようだ。

第三の課題 フェミニズムの神学

 増田師は、「男尊女卑思想が聖書の記述にも影響を与えており」と述べ、マグダラのマリアの弟子としての評価の復権の重要性などを指摘する。司祭の独身制とならんで「女性叙階」の問題をフェミニズム神学の課題としている。ただ師の立場は慎重なようだ。「女性を叙階しないことがスキャンダルになる文化もあれば、女性を叙階することがスキャンダルになる文化もある」と述べ、「差別論だけでは問題の全体像は見えてこない」(303頁)という。

第四の課題 倫理神学

 家族の在り方が大きく変化してきているので、「人工避妊、同性愛、離婚と再婚、婚姻関係以外の性愛関係」などを「大罪」と断罪するだけでは、「聞く耳を持つ人は少ないであろう」という。神学は、ただ人を裁くだけではなく、「福音的生き方へ招き鼓舞する使命を持つ」という。だが、この福音的生き方の鼓舞が、逆に、人々から「罪意識」を失わせているという指摘もあるという。
 倫理的問題に関するフランシスコ教皇の積極的・改革的姿勢が注目されるなか、司祭による性的虐待問題は倫理神学の問題を超えて、カトリック教会にとっては「第二の宗教改革」の引き金になりかねない。増田師はどのように考えていたのだろうか。

 このように、増田師は現代のカトリック神学の課題を4点に整理しておられた。キリスト論、教会論も大事だが、我々信徒にとっては、こういう現実的課題の方が、切実だ。師の早世はあまりにも悲しい。冥福を祈りたい。

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あなたは社会とどう関わっているのか ー キリスト論の展開(3)

2019-04-24 12:59:40 | 神学


 表題は岩島師の「心すべき点」の三点目。師は、「伝統的宗教の踏襲ではなく、今の教会・日本社会・世界との関係で信仰をつかみ直」せ、と言う。個人的信心だけではなく、実践が大事ですよ、ということであろう。私なんぞは、時々駅前で署名したり献金したりして、これといって何もしていない日頃の怠惰から生まれる罪意識をかすかに解消して自己満足しているだけ。師から、何かをしなさい、と言われても何も思いつかない。しょうがないから、続きを書いてみます。

Ⅳ 3世紀のキリスト論

1 異端の再登場

 3世紀のキリスト論は第二の巨大な異端説、モナルキア主義への反駁が中心だ。モナルキアとは神の単一支配を意味する。正統なロゴス・キリスト論(1)、つまりキリストを神のロゴスの受肉と考えた教父たちに対抗して、神の単一支配、一神教に固執した異端が再度登場してくる。
 このモナルキア主義は二つの異なる説として現れたという。一つは、かってのキリスト養子説が200年後に再度登場したのだ。だが永続きはしなかったようだ。
 もう一つはキリスト様態説だ。「岩波キリスト教辞典」によれば、サベリウス主義とか、天父受苦説などとも呼ばれるようだ。つまり、キリストの神性のみを強調し、父なる神がキリストとして顕現したのであり、神・キリスト・聖霊は単一の神の三つの顕現様態にほかならないと主張したという(2)。この説も220年頃には早々と異端とされた。
 では、誰がどういう根拠である説を異端と断罪するのか。ここに4世紀以降の公会議の必要性が浮かび上がってくる。最初の公会議は325年に開かれる。ニケア公会議である。

2 ラテン教父の誕生

 東西文化圏が分裂するに伴い、西方教会にもラテン語を使う教父たちが出現してきたという(3)。地理的にみてギリシャ語圏とラテン語圏がどこで切れていたのかは知らないが、現在のバルカン半島での言語の分布状態(バルカン言語連合と呼ばれるらしい)を見ると少しは推測がつく。

①テルトリアヌス (160-220) カルタゴの神学者(4)で、最初のラテン教父。法律学や哲学の素養を持ち、「ラテン神学の父」と呼ばれる。キリスト論的にはロゴス・キリスト論を継承する。み言葉の受肉論、スブスタンチア(実体)論(5)を展開した。また、三位一体やサクラメントなどの神学用語をラテン語で作り、使った(6)。グノーシス主義やモナルキア主義に反対し、ニケア信条、カルケドン信条を先取りするような三位一体論を主張したという。

②オリゲネス(185-253) ギリシャ教父。アレクサンドリア(エジプト)に生まれ、塾(学校)を開く。思想的にはプラトニズムの影響が強く、父から子への永遠の誕生など「流出説」的な議論があるという。神学的には、超越的・絶対的神性の強調が見られ、父と子のホモウーシオス(7)を唱えるなど、ニケア公会議の教義を先取りしている。膨大な著作を残し、その神学上の影響力は巨大だという。ただ、魂の先在説を唱えたため、後に異端宣告されたという(8)。

 今回の報告はここまでである。S氏のキリスト論が強く出ていたわけではないが、「史的イエス」研究に関する氏の評価がかなり厳しいことを知った。来月以降のもっと詳しい議論を期待したい。


1 ロゴス・キリスト論とは、繰り返しになるが、「キリストは神のロゴスのこの世への現れ」とする神学理論だ。これは、前回触れたようにユスティノスが、ストア哲学(ギリシャ哲学)のロゴス論(ロゴスは宇宙と人間を支配する理性的秩序の原理であり、神的なものである)をキリストに当てはめたものだ。
2 S氏は、様態説を、「一つの神が時代によって変容するとする説」と説明しておられたが、ちょっと意味が違うようにも聞こえた。とはいえ、この説明の妥当性の可否を論ずるだけの力は私にはない。
3 ラテン教父 Latin Fathers of the Church とは、ラテン語を使って著作を著した教父のこと。いつ頃からいつ頃までの教父を指すのかは明確な定義はないようだ。慣例的に、4世紀以降、グレゴリウス一世(540-640)までの期間の教父を指すようだ。アウグスティヌス(354-430)はラテン教父の代表者だが、次の時代の人だ。
4 カルタゴは古代北アフリカの都市。シチリア島の南に位置する。現在のチェニジアあたりか
。カルタゴはかってローマとは独立した平和な海上帝国であった。前150年に滅亡する。
5 スブスタンチアは日本語では「実体」と訳されることが多いようだ。「存在論」(e^tre,Sein)の訳語は難しい。ここでは、父と子と聖霊は3つのペルソナだが一つの実体・本性であるという説のことをいう。「人性と神性の二つの本性が、イエスにおいて混合されることなく、結びつき一致している」と言っているという。この説明の仕方は、まるで現在の公教要理で教えられる、「混ざらず、変わらず、分かれず、離れず」の教えそのものだ。現在でも、三位一体は「分離しないで区別せよ」と教えられる。「実存」(existence,Existenz)と「本質」(essence,Wesen)の違いの理解が前提だから、難しい話だ。入門講座から入って洗礼を受ける人は、お恵みとはいえ、勉強は本当に大変だと思う。
6 たとえば、ギリシャ語のミステリオンがラテン語ではサクラメントとミステリアムの二つに分解されて翻訳される。英語で言えば、sacramentとmysteryだ。日本語で言えば、カトリックでは「秘跡」と「神秘」とう二つの言葉で使い分けられる。ちなみにサクラメントの日本語訳はカトリックでは秘跡だが、プロテスタントでは聖礼典、聖公会では聖奠(せいてん)、正教会では機密、と訳されているようだ。統一することができないほど重要な概念ということであろう。例えば、「過越の神秘を秘跡によって祝うことが教会の典礼」(『カトリック教会のカテキズム』)というような表現が日常的に使われるので、サクラメントが典礼(liturgy)という意味で使われることもあるようだ。とは言っても、こういう多様な訳語はキリスト者以外の人にとってはすぐにはピンとこない言葉遣いではある。
7 homoousios 実体または本質を同じくするという意味で「同一実体」また「同一本性」と訳される。三位一体論ではキー概念である。
8 イエスにおいて神性と人間の肉体がどのように結びついているのか、という大問題について、イエスの「魂」が「結び目」の役目を果たしていると主張したようだ。魂が物質のように質量や重さを持つというよりは、前もって存在していると考えていたのであろう。プラトンの魂の三分説の影響だろうか。

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あなたの信仰の意味は何か ー キリスト論の展開(2)

2019-04-23 16:01:05 | 神学


 表題は先に触れた岩島師の「心すべき点」の二点目。自分の信仰が、自分自身にとって、自分の人生にとって、どんな意味を持っているかを問いなさい、という意味だろう。信仰を持っていても、教会に通っていても、現代の日本ではそれで特に人生が変わったとか、職場で影響を受けているとかいう人は少ないだろう。もちろん信仰が人生そのものという人もいるだろうが、私なんぞはそれで人間関係が少し広がり、深くなったという程度のもので、岩島師の言葉には反省しきりである。

Ⅱ 新約聖書のキリスト論

 新約聖書のなかにみられるキリスト論の特徴は、パウロと共観福音書とヨハネ福音書ではキリスト論の強調点が少し異なるところだろうか。共通する原点は言うまでもなく復活体験であり、復活体験を通してキリスト信仰に到達している。中心命題は明確である。「ナザレのイエスは、神の子キリストである」。

1 パウロ

 パウロのキリスト論の特徴は三点ある。
①十字架の神学 パウロ書はどれも十字架と復活の話が中心だ。ナザレのイエスの公生活についての記述はない。パウロはイエスに会ったことがないのだから、当然と言えば当然か。
②神の子イエス イエスが神の子であることを繰り返し強調する。「(神は)罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り」(ロマ書 8:3 新共同訳)(1)。同じロマ書8:32とか、ガラテア4:4-6とか、コロサイ1:15~とか、パウロはイエスが神の子であることに強いこだわりを示す。
③主の再臨 主が再臨されるというとき、終末論的視点がともなうという。「主が来られるときまで生き残る私たちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません」(Ⅰテサロニケ4:15)。イエスを「最後のアダム」とも呼ぶようだ。パウロから終末論を読み取ることは私にはなかなかできないが、大事な論点なのであろう。

2 共観福音書

 中心テーマは共通している。「ナザレのイエスはキリストだ」。だが共観福音書のどれも、名称、時、場所などの記述はリアルで、まるで読み物のようだ。
マルコ: 最初の福音書。序文「神の子イエス・キリストの福音の初め」は、最後の百人隊長の言葉「まことに、この人は神の子だった」(15:39)と対応しているのだという。
マタイ: ユダヤ人向けに書かれている。だから旧約聖書からの引用が多い。
ルカ: 異邦人(ギリシャ語を話す人々など)向けに書かれている

3 ヨハネ

 ヨハネのキリスト論は独特だ。それは「先在のキリスト論」と呼ばれる。プロローグ 「初めに言があった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった・・・」と続く部分は、イエスが父からこの世に送られ、また、父の下へ向かう下降、上昇のパターンを強調する。
また、「子キリスト論(独り子論)」もヨハネの特徴だ。父と子の父子関係が強調される。イエスは父に派遣されて父と一体であり、父に従順である点が強調される。

4 その他の書

 ヘブル書には「大祭司キリスト論」があり、ヨハネ黙示録には「小羊キリスト論」がある。その他の合同書簡にもさまざまなキリスト論があるが、基本はパウロと同じだという。


Ⅲ 初期教会のキリスト論

1 教義の時代へ

 1世紀後半は「使徒の時代」だが、1世紀末から2世紀にかけて「初期教父」(使徒教父)の時代に入る(2)。様々な教父が現れ、また、異端説も出現してくる(3)。この異端説への反駁という形で信仰内容が明確化され、教義が確定されていく。

2 異端(その1)

 1世紀末から2世紀初めにかけて、二つの大きな異端説が登場する。
①キリスト養子説 イエスは元々ただの人間で、ヨルダン川の洗礼によって神の養子になっただけだと説いた。つまり、イエスの先在や受肉を否定した。ユダヤ教の唯一神の信仰を守るための折衷案みたいなものだったのだろう。
②キリスト仮現説 decetism イエス・キリストの神性、神的本質は不変であり、受肉も受難も仮の宿り・仮象にすぎないとする。グノーシス主義の霊肉二元論に影響されて肉体を悪とする思想だ。キリストの人性を否定する。

2 使徒教父の反撃

①ローマのクレメンス(30-101)(教皇在位91-101) 「クレメンスの第一の手紙」という使徒教父文書のひとつを書く。コリント教会内の紛争に関してギリシャ語で書簡を認めた。
②ディダケー 使徒教父文書の一つ。ディダケーとはギリシャ語で「教え」という意味らしいが、日本語では「12使徒の教訓」と呼ばれるという。マタイ福音書との類似性が強いのでマタイと同様にシリアで執筆されたらしい。教会生活の規定を記しているという。
③スミルナのポリゥカルポス(69-155) 使徒ヨハネの教えを直接受けたという。受肉の教義とイエスの死の証言をする手紙を残しているようだ。

3 アンチオキアのイグナティオス (35-110)

 使徒教父のひとり。司教。聖人。ロマ書の霊肉キリスト論のケリグマを踏襲しているというが、霊と肉の両系列がどのように結びつくのかは説明していないという。。「公同の教会」(エクレジア)という言葉を初めて用いて、「主教」の権威を強調したという。

4 ユスティノス (100-165)

 最初の護教家教父(4)。「ロゴス・キリスト論」を展開した重要な教父。ロゴス・キリスト論とは、ロゴスをキリストに当てはめた神学のこと。ここではロゴスはみことばのこと(5)。プラトン主義のロゴス概念をベースにした「ロゴス種子」論を生み出し、旧約の預言者たちだけではなく、ソクラテスなどギリシャ哲学者をもキリスト以前のキリストと呼んだという。かれは、キリストは神と人との仲介者であるというヘレニズム的なキリスト論を展開した。カール・ラーナーの「無名のキリスト論」との関連がつとに指摘される。

5 エイレナオス

 2世紀後半の神学者で、リヨンの司教(フランス)。『対異端駁論』で「グノーシス主義」の正体を暴露し、正統信仰を護った。異端に対抗し、初期教会では最も重要な神学者だろう。グノーシス主義に勝てなければ、キリスト教は生き延びれなかっただろう。神学ではユスチノスのロゴス・キリスト論を継承しているが、理性や知識を強調したユスチノスとは異なって愛や救いの業を強調した。かれは「キリスト教信仰の総括者」と呼ばれるほど重要な存在のようだ。かれは「交換の原理」と呼ばれる神学を提唱しているという。「神の子が人間になったのは、人間が神の子となるため」だという。

 細かい話が続いたが、以上が初期教会のキリスト論である。次の3世紀のキリスト論は次回に回したい。


1 この部分の聖書協会共同訳はおもしろい。「神は御子を、罪のために、罪深い肉と同じ姿で世に遣わし」となっている。神学的に何が違うのかはよくわからないが、発音してみるとなにか違うと感じる。
2 教父 Church Fathers( Fathers of the Church) とは、1世紀末から8世紀頃までの古代・中世キリスト教会で正当な信仰を伝え、聖なる生活を送った人のことを指す。カトリックには教父の4条件というのがあるようで、時代的古代性・正統的教義の保持・聖なる生涯・教会の公認、の4つだという(岩波キリスト教辞典)。教父の多くは司教だが、司祭や信徒も含むらしく、またみなが聖人とされたわけではないようだ。現在は、カトリック・プロテスタント・正教を問わず、2世紀頃確立した信条や正典、4・5世紀の4(5)大公会議の決定事項は共通して認めているので、「教父学」(patrology)という学問分野だ独立して成立しているという。
3 異端 heresy とは何か、は一義的には決めかねない。異端は正統(正当ではない)の対概念だから、正統が決まらなければ異端は決まらない。普通は「謬説」を意味するが、キリスト教では教義上の分離を意味しているようだ。今日の日本では、正統と異端の境界を曖昧にする議論が流行っているようだが、社会学的に言えば構成論の視点を導入しないと、迷路に迷い込んでしまうであろう。
4 護教家も誤解を招きやすい用語だ。apologist。単にキリスト教を弁明・擁護する人という意味だけではない。初期教父はキリスト教がギリシャ・ローマ文明のの正統な相続者であり、キリスト教を迫害することはギリシャ哲学・ローマの思想に反すると主張した。
5 ロゴスも難しい概念だが、ギリシャ哲学では言葉、理性、宇宙などをさす。旧約聖書ではさまざまな出来事をさすらしいが、新約では受肉した神の言という意味になり、キリストに収斂する。ロゴス・キリスト論は三位一体論とあいまってキリスト教の教義の中核となる。だが、近代以降、人間理性が神の座につくと、人間社会の無限の進歩が想定されてくる。が、この近代主義は自然の破壊や他民族の征服をもたらす。近代主義の根幹をなすロゴス中心主義を克服していくためには、初期の教会や教父たちが持っていた、もっと躍動的な、包摂的なロゴス概念に立ち戻る必要があるようだ。といっても近代主義も批判・否定さえすればよいというわけにもいかない。稲垣良典先生の近作『神とは何か』からは多くを学ばせてもらったが、近代主義の評価の議論はまだまだ続くだろう。神学と哲学に課せられた課題は大きい。

 

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あなたは何を信じているのか ー キリスト論の展開(1)

2019-04-22 22:54:43 | 神学


 今月の学びあいの会はカテキスタのS氏によるご自身のキリスト論の紹介であった。神学に造詣の深いS氏がご自分の信仰をどのように語るのかと興味を持って会に出た。実際には氏の報告は、氏が神学に関して強く影響を受けているイエズス会の岩島忠彦師のキリスト論を自分なりに整理したもののようであった。とはいっても、S氏の個人的信仰論も垣間見られ、興味深いものであった。

 長い四旬節、聖週間、過越の三日間、と、みなさん疲れた(体重も減ったか)。だけど昨日の復活祭でお祝いしてみなさん晴れやかであった。出席者も多かった。

岩島師は組織神学がご専門のようで、キリスト論と教会論が中心のようである(1)。岩島師は、現在の日本のカトリック者が自分の信仰を見直すためには以下の三点が必要だという。

①正確な知識―私たちが何を信仰しているのかを反省し、人にも語れるようになる、
②私との関係―信仰が自分自身にとって何を意味しているかを考える、
③現代との関係―伝統的宗教の踏襲ではなく、今の教会・日本社会・世界との関係で信仰をつかみ直す

 もっともなご指摘である。私みたいに、ただぼーっと日曜日ごとにミサに出ていればよいというわけではないですよ、と言われているようだ。

 さて、S氏による今日のキリスト論は、古代キリスト教会におけるキリスト教の教義の形成過程をフォローする形でおこなわれた。
 キリスト教の教義は、使徒教父たちによる伝承、新約聖書の形成、初期教会のおける公会議での教義の確定、ラテン教父たちによる教義の発展、という過程を経て固まってきた。キリスト論と三位一体論の確定、これが古代公会議で発展・展開されたものであり、この意味ではキリスト教の教義はすでの古代において完成・完結していたとも言えそうだ。 第一回公会議はニケア(ニカイア)公会議(325)でニケア信条が定まり、キリストの「神性」が教義として確定する(2)。今日の話はそれ以前の話だ。それでは本論に入ろう。

Ⅰ 原始教会のキリスト信仰(3)

1 最初のケリグマ(信仰告白)

 これは新約聖書成立以前のキリスト論、キリスト信仰のことだ。それは「主の復活」だ。それは、十字架でも、昇天でも、再臨でもない。イエスの復活。これこそキリスト教信仰の中核である。使徒たちは、イエスの復活によって、はじめてキリストの十字架が人類救済のための贖罪行為だと理解する。復活という出来事こそキリスト教信仰の原点である。

第1コリント15:3 「最も大切なこととして私があなた方に伝えたのは、私も受けたものです」(協会共同訳)

 このパウロが述べるケリグマは、パウロ自身のものではなく、パウロが原始教会から「受けたもの」だという。パウロはイエスに会っていない。イエスを直接には知らない。だから、これは原始教会に、エルサレムに、すでに定着していたケリグマだと考えれている(4)。

 ではそのパウロが述べるケリグマとはなにか。それは、

①イエスが人類の罪の贖いのために十字架で死んだ
②神がイエスを復活させた
③このイエスこそ主(キュリオス)キリストである

つまり、キリストの贖罪の死・復活・出現、がキリスト信仰の中核になる。

2 最古のキリスト論の形式

 最古とはパウロ以前という意味だ。それには二つあるという。一つは、「霊肉キリスト論」、つまり、霊肉二元論、二段階キリスト論などと呼ばれているものだ。ロマ書1:3-4,ペトロ3:18にみられる。「肉によればダヴィデの子孫、聖なる霊によれば復活信仰」。イエスを、人間を、霊と肉にに分類して議論する思考は現在でも見られる。

 第二の形式は、「三段階キリスト論」と呼ばれる。フィリピ2:6-11のようなパウロ以前の「賛歌」にみられるという。つまり、

①キリストは神の領域に神ととも在る
②ヶノーシス(無にする)→下降→自発的従順
③高挙 (主という名が与えられ、礼拝される)

 パウロ以前にはこういう二つのキリスト論が併存していたのであろう。

3 パウロとエルサレム原始教会

 パウロのキリスト論、キリスト信仰の理解の仕方は、エルサレムの教会とは異なっており、ヘレニズム化されている、という説がある。ヘブライオイとヘレニスタイの信仰上の差異を強調し、各地の地方教会は異なる信仰を持っていたとする説だ(5)。
 ここでS氏は興味深い断定をおこなう。「これは誤り。パウロの信仰理解は、エルサレムの母教会のそれと完全に一致している。ヘレニズム化ではない」(6)。

4 Q教団の問題

 共観福音書におけるQ資料(Q文書、語録資料)がなにかについては説明するまでもないだろうが、このQ資料を重視する学者のなかには、Q資料には復活の話が多いので、別の信仰を持つ「Q教団」とも呼べる集団が存在したと主張する者がいるという。S氏はこれは謬説だという。Q資料はイエスの語録資料であって、つまりイエスが生きていた時の話であって、復活の記述はあり得ないという。

 少し長くなったので、新約聖書のキリスト論は次稿にまわしたい。

1 岩島師は上智大学神学部の学部長をつとめられ、現在はカトリック神学院でも教えておられるようである。現在のカトリック神学(教育)を支えている神学者のお一人と言ってよいであろう。ご自分でもホームページを開設しておられ、今も元気に活発に活動しておられるようである。
http://t-iwasi.my.coocan.jp/profile.html
2 公会議は異端との対決のために開かれてきた。キリスト教は異端説と対決しながら自らの教義をまとめ上げてきたとも言えるかもしれない。異端がなければ、あらたな教義を確定する公会議を開く必要はない。トリエント公会議(1545-63)は宗教改革への対応で、義化・義認論が教義として確定する。第一ヴァチカン公会議(1869-70)では教皇不可謬説が教義として確定する。その意味では、第二ヴァチカン公会議(1962-65)は、異端に対応するために開かれたのではない唯一の公会議という性格を持つ。それは現代世界に対応するための教会刷新のための公会議であった。われわれは今この第二ヴァチカン公会議後の時代に生きている。第二ヴァチカン公会議ではいくつかの教令などはだされたが、あらたな教義は打ち出されてはいない。
 第一コンスタンチノポリス公会議(381)では聖霊の神性が確定し、カルケドン公会議(451)ではキリストの人性と神性の位格的一致が確定され、三位一体論が確立する。なお、どの使徒会議、地方(部分)会議、公会議を公会議として認めるかはカトリックとプロテスタントでは異なるようだが、第5回公会議までの会議の重要性については、西方教会、東方教会、プロテスタントのあいだで意見が一致しているようだ。
3 原始教会とは初期教会のこと。イエスの死は一応「30年4月7日」ということになっているが、使徒を中心としたいわゆる「教会」の成立はイエスの死後30年くらい経ってから、つまり60年代だろう。「使徒行伝」によれば、聖霊降臨の後12使徒を中心に、特にペテロを中心にエルサレムに成立したされる(聖霊降臨は教会の誕生日とされている)。
4 にもかかわらず、キリスト教信仰にしめるパウロの位置は絶大だ。キリスト教は「イエス教」ではなく「パウロ教」だと揶揄する神学者もいるくらいだ。
5 ヘレニズムとは議論しだしたらキリがないだろうが、要はギリシャ風ということだ。ギリシャ語を話す人々とヘブライ語を話す人々は同じキリスト信仰を持っていたのかという問題だ。
6 これは興味深い断定だ。これがS 氏個人のものか、岩島師のものかはわからない。私には判断する力はないが、なぜここまで断定するのか、ということの方に興味がそそられる。

 

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足を洗ってもらった ー 洗足式にて

2019-04-18 23:05:19 | 教会

 今日は聖木曜日。聖週間も聖なる過越の三日間が始まった(1)。洗足式にお呼びがかかり、神父様に足を洗ってもらった。久しぶりの洗足式で印象深かった(2)。ミサもゆっくりしたものであった(3)。
 洗足式とは、最後の晩餐の時、イエスが弟たちの足を洗ったのにならい、司祭が12人の信徒の足を洗う儀式だ(4)。「愛」と「へりくだり」が主要なメッセージのようだ。
「主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合うべきである」( ヨハネによる福音書13:14、聖書協会共同訳)(5)。

 実際の洗足式のやり方はいろいろあるようだが、われわれは、神父様に足をっ洗てもらうのだから、恐縮というか申し訳ないという気持ちでいっぱいになる。

、今日は、われわれが、たらいに足を入れ そこに神父様が水差し(魔法瓶)から水(実際にはぬるいお湯)をかけ、神父様がぞうきんで拭かれた(6)。われわれは祭壇の前に置かれた椅子に聖櫃を後ろに前に向かって座る。水差しやぞうきんは侍者の子供たちが手伝ってくれた。

 洗足とは日本語としてはまだわかりにくい言葉でもある(7)。聖木曜日の意味の理解が広まれば、いずれ「洗足」とは、「足を洗う」とは、愛とへりくだりの行為のことだという意味が、日本語としても定着してくることであろう。

 聖木曜日のミサが印象深いのは、ミサの後、クロス、カリス、ろうそく、花など祭壇上のもがすべて別室(小聖堂など)に移されることだ。聖体安置というらしい。明日の聖金曜日・聖土曜日のためだ。過越の三日間をつよく印象づけられた。


注1 枝の主日から聖週間が始まるという。いつ頃から始まった典礼なのか詳しくは知らないが、中心はやはり聖なる三日間だろう。
注2 聖木曜日に洗足式をするのは、司祭の判断なのか、司教の判断なのかわからないが、私の所属教会の前任司祭は洗足式はされなかったので、今日の洗足式は10年ぶりということになる。新しい神父様の意向なのか、近年強まりつつある古いスタイルへの回帰の表れなのかはわからない。
注3 聖木曜日のミサは古代の古い伝統的ミサの形式を最も強く残しているといわれる。明日の聖金曜日にはミサはないので(式はある)、聖木曜日のミサは参加者も多い。今日もいつもの主日のミサの半数くらいは来られたのではないか。
注4 足を洗ってもらうのは男子12人。小さい教会では12人の男子をそろえるのも大変な場合もあるらしい。また、『ミサ典礼書』では男子とは限定されていないようだ。女性が足を洗ってもらうこともあるのかもしれない。
注5 このイエスが弟子の足を洗うという出来事はヨハネ福音書にしか書かれていない。共観福音書ではなぜ触れられていないのか、不思議といえば不思議だ。足を洗うのは当時は奴隷の仕事とされていて、イエスにはふさわしくないと思われたからだろうか。
注6 片方の足。右でも左でもよいようだ。ただ、靴を脱いで、ソックスはとらねばならない。タオルやぞうきんは全員で一枚のこともあるようだが、今日は一人一枚づつだった。イエスは腰に手ぬぐいをまとったという。
注7 「足を洗う」とは普通の日本語では別のことを意味する。「いやしい勤めを辞めて堅気になる」(広辞苑第7版)。つまり悪いことをやめて真面目になるという意味で使われる。また、地名の「洗足」は「千束」のことで、日蓮聖人伝説が入って「洗足」になったというが、「洗足」とはなにか紛らわしい表現ではある。

 

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