ベトナム南部生活13年目の感動

なんて素敵なサイゴン ブンタウ ドンナイ省LongKhanh市の生活

その1

2018-11-14 08:04:55 | 日記
その1


その3 今朝の散策の動画 1本のみ!!

記事はのちほどアップ予定

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‎Uobe Ken‎ ― Ken Uobe
11分前 ·
その2 昨夜の出来事

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‎Uobe Ken‎ ― Ken Uobe
14分前 ·
その2 今朝の散策 本日もイオン水ゲットして机の周りを整理整頓

平成30年 西暦2018年11月14日 水曜日

取り急ぎ時系列の順番に写真アップ

記事はのちほど追記予定

午前7時49分

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画像に含まれている可能性があるもの:空、木、雲、屋外、自然
画像に含まれている可能性があるもの:海、空、水、屋外、自然
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‎Uobe Ken‎ ― Ken Uobe
36分前 ·
朝日新聞デジタル
·
その1 ラジオ体操「90歳」 聖地では早朝から何百人も参加

山根久美子2018年11月14日06時59分

大阪城の前にはラジオ体操をするため多くの人々が集まった

 「腕を前から上に……イッチ、ニ、サン、シ」。毎日午前6時半、NHKラジオからおなじみの掛け声が流れる。ラジオ体操が始まって、今年で90年。早朝のひととき、雨でも雪でも決まった場所に集まり、共に体を動かす人たちがいる。(山根久美子)

「聖地」の大阪城に500人
 大阪市中央区に住む常原伊三夫(いさお)さん(73)の朝は早い。午前3時ごろに起き、4時半には大阪城へ。天守閣前の本丸広場で、スピーカーや出席カードに押すスタンプを準備する。常原さんは大阪城ラジオ体操会の5代目会長だ。

 午前5時50分。1級ラジオ体操指導士として前に立ってお手本を見せる日もある常原さんは、約100人の参加者とストレッチを始めた。続けて録音テープでラジオ体操第1、第2、第3などを繰り返し流す。

 午前6時25分。広場を埋め尽くした参加者は、ざっと500人を超えた。NPO法人全国ラジオ体操連盟によると、実施会場としてホームページに登録されている全国約1900カ所の中でも、参加者数はトップクラスだ。

 そして午前6時半。スピーカーから聞き慣れたピアノの旋律が流れ、ラジオ体操が始まった。跳躍すれば、ザッザッ。太ももをたたく運動では、バシッバシッ。500人の動きがそろい、音が響き渡る。

 約10分後に放送が終わると、大半の人が広場を出て行った。

ログイン前の続き ラジオ体操と「同世代」の川口房子さん(91)は80代になってから参加。毎朝、市内の自宅から1時間近くかけて通う。「いつものみんなと会って、お茶して、それが楽しいのよ」。伸びた背筋に、しっかりとした足取りが頼もしい。

 「お城を見ながら体操するのって気持ちいい」。市内に住む自営業の男性(41)は、タオルで顔をぬぐいながら言った。男性のように通りがかりに加わり、ラジオ体操の時間だけを共有する人も多いようだ。

 大阪城ラジオ体操会は1970年に発足。「言わばラジオ体操界のメジャーリーグ。『聖地』なんですよ。夏休みやと、700人くらいは集まるよ」と、常原さんは誇らしげだ。

 40年以上前から、地元のラジオ体操グループに参加してきた。20年ほど前、胃がんで胃を全摘出。運動としての効能を意識するようになった。体操の普及に熱心な常原さんの姿を知った同会の元幹部が引き抜き、5年前、会長を継いだ。

 「定年後の大事なコミュニケーションの場です」。反省会を終えた午前7時過ぎ、会のメンバーとモーニングを食べるため、自転車で広場を走り出た。

阪神大震災の傷癒やす
 神戸市須磨区の「名谷公園ラジオ体操の会」は、95年の阪神・淡路大震災をきっかけに発足した。

 代表の大倉宗明(そうめい)さん(85)は、あの日の朝を覚えている。95年1月17日午前5時46分。友人らと名谷公園で続けていたラジオ体操に行こうと、起床する時だった。ガタン。衝撃の後に大きな横揺れを感じた。自宅は無事で、「誰か来ているかも」と公園に足を向けた。「誰もいない、物音一つしない。静かでした」

 比較的被害の少なかった地域に、被災者が避難してきた。山口美代子さん(86)も、その一人だ。

 地震で同区内の自宅が全焼。公園近くの息子のマンションに避難した。震災前も地域のラジオ体操に参加していた。平穏な日常の象徴だった。「これからどうしようっていう時だったけど、震災前と同じことを何か続けようと思った」

 公園付近の仮設住宅の住人らも参加。数百人規模に膨れ、大倉さんは95年の夏に会を立ち上げた。「おかげで、しんどい時期も頑張れた」と山口さんは振り返る。仮設住宅がなくなった後は、地域の人たちが輪に加わるようになった。

 今年、大阪北部地震や西日本豪雨、台風禍など災害が続いた。大倉さんはかみ締めるように語る。「ラジオ体操を通して地域の顔なじみが増えた。朝のわずかな時間が大きな安心感につながっています」

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