うつ解消マニュアル
(脳及び心疾患並びに認知症及び更年期障害予防)
第64回目(2010・11・7作成)
(マニュアルは第1回目にあります。
是非、読んで実行して下さい。)
*まりー・アントワネットの死
グー(2007.7.1開設)のブログに開設中
http://blog.goo.ne.jp/kenatu1104
(まりー・アントワネット)
昨日の早朝、まりはひとり静かに逝きました。
一昨日、妻は猫用おしめを購入して履かせました。
力ない声で鳴いていましたが、
私にはおしめなど良いから傍に居てと聞こえました。
帰宅した私に夕食の準備をするために、
まりから離れた時のことです。
我が家には、猫が2匹います。
15年前、妻の両親と2世帯住宅を建てた時に、
義母が寂しいからと言って、
知り合いから貰って来たのです。
生後間もない猫でしたから、
動物病院の獣医からは
「こんな小さな内に親猫から引き離すなんて・・・」
という至極当たり前のことでお叱りを受けたそうです。
「私達が引き取らなければ、処分されていたんですよ」と言うのを、
妻は喉の奥で押し殺したそうです。
多くの動物の現実を見てきている筈なのに、
状況を察することの出来ない馬鹿獣医もいるのだと、
その話しを聞いた時、
私は何か寒々しい思いをしたものです。
ところで、何故、二匹なのか。
まだまだ小さい仔猫でしたから、
一匹では寂しいだろうし、
しかし義母が飼うのだから、
何匹でもという訳にもいかず二匹になったのです。
義母が飼う筈の猫たちは、
いつの間にか妻を母猫と思ったのか、
傍を離れないようになりました。
でも、単身赴任先から時々帰る私が恐いらしく、
私の様子を伺いながら、
妻の傍にはやはり居たいのか我慢していたようです。
(後で、私の声が大きいのと強く撫でることが
原因であることが分かりました。
妻の膝と間違えて私の膝に乗ってきたみみ猫が、
そう教えてくれました。)
しかし、
7年前に単身赴任を解消してから(うつ闘病のため)、
徐々に私にも慣れてきました。
食事や飲み水を要求する時だけとはいえ、
私に擦り寄りゴロゴロと猫なで声で話しかけ、
癒しを与えてくれました。
{/
野良猫が4~5年と言われている中で、
家猫とはいえ15年も生きてきたのです。
今年のこの猛暑を乗り切り
(みみは一度ガリガリになり死にそうになりました)、
1年でも長く生きていて欲しいと
思っていた矢先でした。
みみの回復に反比例するかのように、
今度はまりが急激に衰弱し始めたのです。
今年6月9日に母が82歳で逝った時、
体中に多くの延命装置が付けられ、
酸素吸入・排尿処理・絡まる痰の処理・
点滴等々の中で無理矢理に生かされ、
そのために苦しんでいる母を間近に看ながら、
最期の人間的な尊厳を医療はどう考えているのかと、
疑問に思ったものです。
みみが衰弱した時、
母の死が思い出されました。
痛い注射や点滴、
効能の分からない薬での延命処置が施される。
獣医には連れて行かないと決心したのでした。
食事が出来なければ、
徐々に衰弱し苦しまないで死ぬに違いない
と思ったのです。
猛暑の終わりとともにみみは回復したものの、
今度はまりの衰弱が始まりました。
みみの時と同じように、
獣医には連れていきませんでした。
内ベランダ、出窓、妻用ソファ、客間、押し入れ等々・・・
多くの隠れ家や寝床を持っていたまりは、
一昨日妻が創ったふかふかの新しい寝床の中で、
昨日早朝に静かに本当に静かに、
あの世に旅立ちました。
今年の春に植樹した、妻の大好きな桜の傍に埋葬しました。
きっと、来年の桜は私達を癒してくれるに違いありません。
(まり、満開のまり桜、期待しているよ。)
2ヶ月以上もブログの更新をしていませんでしたが、
ちょっと言い訳します。
この間、旭川マラソン完走等、
沢山良いこともあったのです。
実は、認知症のことを学べば学ぶほどに
悲しい病気であることを思い知らされました。
機会があれば、詳しく書きます。
母が認知症を発症してからの思い・苦しみに
自分はどれほど向き合ってきたのか、
何が出来て何が出来なかったのか・・・。
妻の両親と2世帯住宅を建てても良いかと両親に相談に行った時、
「OOさんの両親が望むのであれば、そうして上げると良い」
と気持ち良く言ってくれました。
しかし、母の葬儀の後で、
「母さんは、けんいちともっと話しをしたがっていたし、
実は一緒に住みたいと思っていたんだよ。
認知症状が出てからは、不安感も重なり、
もっとそういう思いが膨らんでいたようだ。
でも、OOさんのお母さんに悪いし、
けんいち達に負担をかける訳にはいかない。」
ということを知らされました。
(北海道士別市、しずお農場)
私は日頃から
「自分にとって一番大切なのは自分の両親なのだから、
素直に自分の両親を大事にしよう。」
と妻に言ってきたのですが、
自分の親への気遣いが不足していたのだと、
少々落ち込んでいたのです。
この解消法で何時も言っているとおり、
過去は悔やんでもどうにもなりません。
いまここから、始めねばなりません。
過去をバネにして、
少しでも良い人生にしなければなりません。
人生のスタートは、
何時も今日という日から始まることを忘れていました。
これからも一月に一度くらいは
ブログの更新をしたいと思いますので、
今後もよろしくお願いします。
検査のお願い
うつ症状は、色々な病気で出る症状でもあります。
必ず、MRIやPETのある病院で検査を受けて下さい。
脳血管性障害、アルツハイマー病、脳腫瘍、
頭部外傷、認知症、更年期障害、脳脊髄液減少症等、
色々な病気が考えられます。
コメントに関するお願いです
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すぐにはブログに反映しないようにしています。
(内緒で相談をしたい人のためです。)
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必ずその旨書いてください。
(当然ですが、ブログには反映しません。)
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4.コメントを投稿するときに、
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必ず要求された数字を入れてから、
「投稿する」をクリックしてください。
5.「コメント」欄に
自分が書いたコメントが残っているうちは
投稿が終了していませんので、
元の白紙の状態になるまで
上記4を繰り返してください。
(脳及び心疾患並びに認知症及び更年期障害予防)
第64回目(2010・11・7作成)
(マニュアルは第1回目にあります。
是非、読んで実行して下さい。)
*まりー・アントワネットの死
グー(2007.7.1開設)のブログに開設中
http://blog.goo.ne.jp/kenatu1104
(まりー・アントワネット)
昨日の早朝、まりはひとり静かに逝きました。
一昨日、妻は猫用おしめを購入して履かせました。
力ない声で鳴いていましたが、
私にはおしめなど良いから傍に居てと聞こえました。
帰宅した私に夕食の準備をするために、
まりから離れた時のことです。
我が家には、猫が2匹います。
15年前、妻の両親と2世帯住宅を建てた時に、
義母が寂しいからと言って、
知り合いから貰って来たのです。
生後間もない猫でしたから、
動物病院の獣医からは
「こんな小さな内に親猫から引き離すなんて・・・」
という至極当たり前のことでお叱りを受けたそうです。
「私達が引き取らなければ、処分されていたんですよ」と言うのを、
妻は喉の奥で押し殺したそうです。
多くの動物の現実を見てきている筈なのに、
状況を察することの出来ない馬鹿獣医もいるのだと、
その話しを聞いた時、
私は何か寒々しい思いをしたものです。
ところで、何故、二匹なのか。
まだまだ小さい仔猫でしたから、
一匹では寂しいだろうし、
しかし義母が飼うのだから、
何匹でもという訳にもいかず二匹になったのです。
義母が飼う筈の猫たちは、
いつの間にか妻を母猫と思ったのか、
傍を離れないようになりました。
でも、単身赴任先から時々帰る私が恐いらしく、
私の様子を伺いながら、
妻の傍にはやはり居たいのか我慢していたようです。
(後で、私の声が大きいのと強く撫でることが
原因であることが分かりました。
妻の膝と間違えて私の膝に乗ってきたみみ猫が、
そう教えてくれました。)
しかし、
7年前に単身赴任を解消してから(うつ闘病のため)、
徐々に私にも慣れてきました。
食事や飲み水を要求する時だけとはいえ、
私に擦り寄りゴロゴロと猫なで声で話しかけ、
癒しを与えてくれました。
{/
野良猫が4~5年と言われている中で、
家猫とはいえ15年も生きてきたのです。
今年のこの猛暑を乗り切り
(みみは一度ガリガリになり死にそうになりました)、
1年でも長く生きていて欲しいと
思っていた矢先でした。
みみの回復に反比例するかのように、
今度はまりが急激に衰弱し始めたのです。
今年6月9日に母が82歳で逝った時、
体中に多くの延命装置が付けられ、
酸素吸入・排尿処理・絡まる痰の処理・
点滴等々の中で無理矢理に生かされ、
そのために苦しんでいる母を間近に看ながら、
最期の人間的な尊厳を医療はどう考えているのかと、
疑問に思ったものです。
みみが衰弱した時、
母の死が思い出されました。
痛い注射や点滴、
効能の分からない薬での延命処置が施される。
獣医には連れて行かないと決心したのでした。
食事が出来なければ、
徐々に衰弱し苦しまないで死ぬに違いない
と思ったのです。
猛暑の終わりとともにみみは回復したものの、
今度はまりの衰弱が始まりました。
みみの時と同じように、
獣医には連れていきませんでした。
内ベランダ、出窓、妻用ソファ、客間、押し入れ等々・・・
多くの隠れ家や寝床を持っていたまりは、
一昨日妻が創ったふかふかの新しい寝床の中で、
昨日早朝に静かに本当に静かに、
あの世に旅立ちました。
今年の春に植樹した、妻の大好きな桜の傍に埋葬しました。
きっと、来年の桜は私達を癒してくれるに違いありません。
(まり、満開のまり桜、期待しているよ。)
2ヶ月以上もブログの更新をしていませんでしたが、
ちょっと言い訳します。
この間、旭川マラソン完走等、
沢山良いこともあったのです。
実は、認知症のことを学べば学ぶほどに
悲しい病気であることを思い知らされました。
機会があれば、詳しく書きます。
母が認知症を発症してからの思い・苦しみに
自分はどれほど向き合ってきたのか、
何が出来て何が出来なかったのか・・・。
妻の両親と2世帯住宅を建てても良いかと両親に相談に行った時、
「OOさんの両親が望むのであれば、そうして上げると良い」
と気持ち良く言ってくれました。
しかし、母の葬儀の後で、
「母さんは、けんいちともっと話しをしたがっていたし、
実は一緒に住みたいと思っていたんだよ。
認知症状が出てからは、不安感も重なり、
もっとそういう思いが膨らんでいたようだ。
でも、OOさんのお母さんに悪いし、
けんいち達に負担をかける訳にはいかない。」
ということを知らされました。
(北海道士別市、しずお農場)
私は日頃から
「自分にとって一番大切なのは自分の両親なのだから、
素直に自分の両親を大事にしよう。」
と妻に言ってきたのですが、
自分の親への気遣いが不足していたのだと、
少々落ち込んでいたのです。
この解消法で何時も言っているとおり、
過去は悔やんでもどうにもなりません。
いまここから、始めねばなりません。
過去をバネにして、
少しでも良い人生にしなければなりません。
人生のスタートは、
何時も今日という日から始まることを忘れていました。
これからも一月に一度くらいは
ブログの更新をしたいと思いますので、
今後もよろしくお願いします。
検査のお願い
うつ症状は、色々な病気で出る症状でもあります。
必ず、MRIやPETのある病院で検査を受けて下さい。
脳血管性障害、アルツハイマー病、脳腫瘍、
頭部外傷、認知症、更年期障害、脳脊髄液減少症等、
色々な病気が考えられます。
コメントに関するお願いです
1.コメントは、
すぐにはブログに反映しないようにしています。
(内緒で相談をしたい人のためです。)
2.コメントのブログ反映を希望しない人は、
必ずその旨書いてください。
(当然ですが、ブログには反映しません。)
3.内緒で相談(ブログへの反映を希望しない人)、
回答が欲しい人は
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(後日、メールで回答します。)
4.コメントを投稿するときに、
数字4桁の入力画面が出てきたときは、
必ず要求された数字を入れてから、
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5.「コメント」欄に
自分が書いたコメントが残っているうちは
投稿が終了していませんので、
元の白紙の状態になるまで
上記4を繰り返してください。
自分やご主人を責めることにならないように
ところで、ひまわりさんへの応援、有難う御座います
とてもうれしいです。
朝晩冷え込んできましたね。
風邪などにおきをつけください。
私は花がとても好きで、ガーデニングやお部屋に飾ることがとても好きです。
それでひまわりというネームにしました。
今は花屋でパンジーが出回りましたね。
早くガーデニングが出来る余裕を持ちたいなと思いつつ 今は通り過ぎます。
秋の冷たい澄んだ空気、自然をありのままに豊かに感じることが早く出来たらいいなぁ と思いつつ頑張ってます。
それでは〓