コメント
繋がり
(
みさごん
)
2007-08-19 22:32:19
人の繋がりってそうかもしれない。
私の父と母は地方の人だから、戦争には全く無縁だったから、子孫を残す事が出来た。
でもね、私ももしかしたらこの世に生れてきていなかった人間の一人なんです。
なぜか?っていうと私は三姉妹の末っ子として生まれてきたんだけど、本当は一番上の姉の上にもう一人生まれてくる予定の姉がいたから。
もし、その姉が生まれていたら、今の自分が存在しなかったから。
存在してないってことは、毎日ケン坊にコメントも書けなかったし、大好きな俊ちゃんに逢うこともなく、詩を書くことも出来なかったと思います。
誰かの代わりに生れてきても、今の自分と同じ生き方が出来たのでしょうか?
多分、全く違う人生を歩んでいるのでは。
と、考える時があります。
折角与えられた命なんだから、精一杯人生を楽しんで生きていきたいって思っております。
そして、この場に居れた事に感謝しています。
ケン坊、暑い日々が続きますがリハ頑張って下さいね。
では。
そうですね・・・・・・
(
ちーママ
)
2007-08-19 22:52:16
ケン坊様・・・こんばんは
おばばの歳ですと・・・戦争は身近です。
父は、東京の板橋で生まれ育ち、
「東京大空襲」の際、線路ずたいに宇都宮に向かい
避難しましたが、
おりしもその日は「宇都宮大空襲」・・・。
私のおばに当たる、末の妹が乳母車の中で、
焼夷弾に焼かれ亡くなり、その上の妹もまもなく亡くなったそうです。
「二人の妹達の写真が1枚も無い
」と、
終戦記念日になると繰り返し言っていた父を思い出します。
戦争は、兵隊さんだけでなく、
国民全員が戦ったのだと、苦渋を強いられたのだと思います。
どうまとめて良いのか、的確な言葉が見つかりませんが、
世界中から、この美しい地球から、戦争、内乱、テロ・・・
一日も早く争いごとが消えてくれますようにと
願っています
祖父母もみな他界し…
(
YUKI
)
2007-08-19 23:00:07
戦争について身近に聞ける人がいなくなりました。でも、ケンさんが毎年blogで平和への願いを取り上げてくれるから忘れてはいけないんだ!と心を新たにしています。日本人に生まれたなら、広島や長崎の人が体験した悲惨な事を少しでも理解して後世に語り継がなければと意を固めてますよ。微力ながら各々が出来る事を確実に遂行すればやがて大きな力になりますね。
私は
(
684号
)
2007-08-19 23:24:50
ケンさんの様な人になりたいです。
奇跡に近い。
(
ふみえ
)
2007-08-19 23:40:41
今生きているということ。
辿っていくと、本当にそうですよね。
ほんの一瞬の差で、(時間・場所・全てにおいて)
生と死の境目ができ、今とこれからに繋がる。
それは全てに影響してくることで・・・
今、ケンさんがここにいなければ
私たちは毎日ここには来ていなくて。
そんな現在は、戦争と繋がっている。
今日は何て書いていいのか悩みます。嫌だとかそんなんじゃなくて、止まっちゃう。
・・・
心にドンと何かが落ちてきた。私もこれから少しずつ。
今年、初めて広島に行こうと思いました。それまではずっと恐くて。でも逃げてちゃいけない。
現実に起きたこと。知るということ。
せめてそこから。
たった1つの願い・・・^^
(
MAKI
)
2007-08-19 23:44:59
今日は24時間テレビのお話なのかなと
人の辛さや痛みって自分がなって初めて分かる・・・
戦争の事も、私はどれだけ分かってるのだろう・・・
私が生きて来た過去は短い、
生まれる前の過去を想うのは難しくて
私の未来は予想もつかない、
亡くなった後の未来に何が残せるのだろう
ケンさん^^何か一緒に出来る事はないですか
?
☆私に出来る事なら何でもします。
でも出来ない事が多過ぎて・・・
今の私の願いは治せない病気を「治したい
」。
硫黄島でも予科練でもないですが
(
ちえ
)
2007-08-19 23:47:50
さっきまでTVで「出口のない海」をやっていました。人間魚雷「回天」の話です。
この舞台となった場所は、私の住む県にあります。
そして、私の祖父は、「回天」に乗る候補生に名前があがったんだそうです。
祖父は結局、別の部隊に配属されて無事生還。戦後、私の父が生まれました。
中学生の頃、その話に愕然としました。一歩間違えば、私はこの世に生まれていない。
今、私は子どもたちに関わる仕事をしています。
ケン坊さんがこのブログで、大事なことを多くの人に考させてくれるように、
私なりに、目の前の子どもたちに考えてもらえるようにしようと思います。
うちが存在するという事。。。
(
恋心
)
2007-08-20 00:14:16
それは両親が生きていて、そしてそのまた両親の両親が生きていて
(うちからしたら祖父&祖母)
そのず~~っと流れの中で生きていてくれたからこそ
今のうちが生きてる訳ですよね。。。
本当にこの内の誰かでも戦争や戦(いくさ)で亡くなってたら
うちは今ここに存在しない訳ですよ。。。
本当に奇跡かもしれませんよね!!
ケン坊さんにしろ今この地球上で生きてる人は
その流れがあったからこそ生きてるんですもん。。。
もし戦争や戦(いくさ)で亡くなってたらその子孫は
存在しない訳で・・・もしその子が生きてたら
素晴らしい物・驚くべき発見をしてた可能性があるんだ。。。
ケン坊さんが書いてなかったら気付かなかったです。
「はだしのゲン」は昔うちの本棚にありました!
何巻かは読みましたが途中までしか読んでません。。。
でも前にその漫画家さんの事をTVでしてた時
ゲンの最終回はこうだったと解りました(書きませんけど。。。)
そして続編も書くつもりだったと・・・。
でもあえてそれをしませんでした。その理由は・・・
「その後のゲンはどうなったか皆さんで考えて欲しかったから」
・・・だそうです!
では~~
GYAOはまた時間がある時に見させて貰います。。。
戦争を知らない人達
(
由愛
)
2007-08-20 01:38:48
時代が流れていくにつれて、色々なことが風化していきます
それはしょうがないことで、どうしょうもないですが
戦争の悲劇 愚かさだけは、いつまでも語り継いでいかなくちゃいけないことですよね
悲惨なこと と思って目をそむけでいましたが
ケン坊さんのように、事実をきちんと見て その悲惨さを感じて
きちんと声に出して訴えていくことが 大切なのかなと感じました
戦争の時代に生まれてないから、わからない
では、また再び過ちを犯してしまうかもしれないですし
つくづくケン坊さんの感受性には脱帽です
ケン坊さんも、また忙しい日々がきそうですので
お体大事にして下さい
きちんと水分・塩分・糖分
適度なアルコール分を取って頑張りましょー
Unknown
(
みい
)
2007-08-20 06:25:49
今、この時代に生を受けたことに感謝し、
目を覆い耳を塞ぐことなく、過去の悲惨な現実を受け止め
未来に語り継いでいく。
これが今を生きる私たちにできること。
戦争は、失うばかりで得るものは何もない、
…二度と繰り返さないためにも。
発信してくれるケン坊に感謝です。
ケン坊も無理しないよう、身体に気をつけてね。
もっと・・・
(
やよっぺ
)
2007-08-20 07:31:49
ケン坊、おはようございます。
平和の中で日々生活をしていて、当たり前かのように「今」を生きているけど、決してそんなことはないのですね。
この世に生を受け、健康で幸せな生活を送ることが出来ているのは奇跡に近いこと。
今、生きていることに感謝して、今まで以上に一日一日を大切に過ごしていこうと思います。
・・・昨日はケン坊の文章を読んで、色々な感情、想いが一気に込み上げてきて、涙が止まりませんでした。
愛する人、守るべき家族を残して戦地に赴かなくてはならなかった人、戦地へ行った方を思い待ち続けた人、空襲に怯える日々・・・
それがどんなことだったか、当時の人々はどんな思いだったか。辛さ、痛み、恐怖・・・きっとあたしが想像する以上に、むしろ想像なんて出来ないくらいに過酷で悲惨なことだったのでしょう。
だからこそ敢えてもっともっと現実を知らなくてはならないし、考えなくては、感じなくては。
「遠い過去の出来事」にしないためにも。
先日、戦争について職場の同僚の先生と話しをしました。こんなに深く話したのは初めてでした。きっかけを与えてくれて本当にありがとう。
先日教えていただいた「硫黄島」のYou Tube、少しずつ観させていただいています。今回のGYAOも必ず。
では。
繋いでいくもの。
(
データあきこ☆
)
2007-08-20 08:47:30
おはようございまーす。
ケン坊のブログを読みながら、大切な人たちの顔が浮かんできました。
この人たちがいなかったら、今の自分はいない。
この人たちを失ってしまったら、これからの自分はどうなるんだろう・・・。
感情や想いを無視して、一瞬にして命を奪ってしまう戦争、
考えれば考えるほど憎しみと悔しさが込み上げてきます。
愛する人を失った人の気持ち、守るべき人を守れなかった人の気持ち、
一人一人のそんな気持ちを思ったら、心が痛いです。
過去の人が繋いでくれた“今”に生きていることに感謝。
そしてわたしたちも、絶対に“未来”へバトンを渡さなければ…ですね。
地球の色も、愛する人の笑顔も、失わないように、しっかりと。
考えるきっかけをいつもありがとう、ケン坊。
季節の変わり目、ケン坊もお身体には十分気をつけてくださいね。
今日も笑顔の一日を。
ではー、いってきまぁす(´∀`)ノ
変わらぬ笑顔で
(
BB
)
2007-08-20 10:55:48
東京大空襲で米軍が集中的に爆撃を行うポイントを示した地図と、実際に焼失した地域について、のドキュメンタリー番組を観た際、私が現在住んでいる場所は実は爆撃予定外だった事を知りました。
空襲で焼かれ、近所の川にも恐らく水を求めて殺到し、そして亡くなられた方々に、毎日の様に冥福を祈らせて頂いています。私は東京の人間では無いので、余計“此処に住む理由”に何か感じるものがあるのかも知れません。
映画でも紹介されていましたが、本土を守る為に過酷な戦いを続けてきた硫黄島の方々は、東京を目指して上空を飛んで行った敵機を見て何を思われたでしょうね・・・。
私の祖父は2人とも戦争を免れています。1人は病気で、1人は技術職に長けていたので中国へ建設関係で送られたそうです。でも確かにこの2人がいなければ自分もこの世にいなかったのかと思うと・・・。
“生きる”という運命は不思議です。
それだけに命は大切にしていかなくてはいけませんね。
「はだしのゲン」の原作は小学生の時に読みました。
ゲンがしゃがんだ瞬間に爆発したので、何かの陰になって直接光を浴びなかったから生き残ったのだ、という事だけが鮮明に“生かされる運命”として記憶に残っています。
先日のドラマ、録画したので今度観ます
ケンさんもお身体大切に
おはようございます
(
ふみえ
)
2007-08-20 11:16:42
今日は不思議な夢でした。昨日心で色んなこと考えたらかかな。
何にも怯える事無く、眠れるなんて、幸せなことですね。当たり前なんてないなぁ。暑いだけで色んなことにイライラしちゃったりしますが、そんなことおかしいですね。
今日は県外地区にいくので夜のブログコメントおやすみします。こんな内容の時に自分のこと書き込むなよ!と思ったのですが、勝手に休むの嫌だったので一言だけ。
繋がってる。
(
ムツミ
)
2007-08-20 12:03:13
私の祖父母は戦争体験者です。
でも、「戦争」の話を聞いたことは一度もありません。
きっと、ほとんどの方がそうだと思うんです。
先日お会いして話をしてくださった方々も、「ずっと話せなかった」と・・・。
それが「戦争」。 愛する人、愛するもの、すべてを奪い、破壊する。
そんな悲しいこと、二度とくり返してはいけない。
語り続けていくことが、私たちにできることの一つなんじゃないかな。
実際の戦争を知らない私たちは、想像することしかできないけど、
テレビ番組や映画、ドキュメンタリーなど、たくさんある資料から、
多くのことを知り、何かを感じ取り、それを語り伝え続けていくことはできます。
私はまだまだ知らないことがいっぱいだけど、
少しずつ、色々なことを吸収して、伝え続けていこうと思っています。
それが、志半ばで命を落とした人への、辛く悲しく苦しい時を生き抜き、
「今」に繋げてくださった方々への、感謝のカタチだとも思うので。
あの戦争で祖父が戦死していたら、自分はいない・・・
あのとき、あの出来事がなければ・・・とか、いろんなこと考えてたら、
なんだかね、涙が止まらなくなってしまいました。
今こうして生きてることに感謝。もっともっと大切に生きたいと思います。
いつも色々なことを教えてくれて、考えさせてくれて、本当にありがとう。
ケン坊に出会ってなかったら、戦争のことも含めてね、
こんなに深く考えたりって、できなかった・・・いや、しなかった、と思うんです。
ケン坊に出会えてよかった。 本当にありがとう。
ケン坊も、体調崩さないように気をつけてね。
では、今日も元気で。
このブログを祖母に読んで聞かせてあげました…
(
正直者
)
2007-08-20 14:17:54
「うん うん…そうだね」って。
この事を切っ掛けにして戦時中の話を、ポツリ ポツリと語り始めてくれました。『銃後の守り』の話。
うっすらと涙など浮かべながら…
ケン坊のブログで
貴重な時間をもつ事が出来ました。ありがとうございました。
命を引き継いで今現在の私が存在しています。
この先、色んな事があると思いますが、真っ直ぐ生きていきますから(きっと)
平和
(
グッちゃん
)
2007-08-20 19:26:34
「はだしのゲン」漫画よみました。この間のテレビドラマも見ました。(泪が止まらず次の日目がはれたまま仕事に行ってみんながビックリしてました。)長崎に住んでるので原爆の日に小学校で色んなお話を小さい頃から聞いたり見たりさせてもらってきました。広島に住んでたときもです。ハワイに行ったときはパールハーバーにも行きました。日本人はホント少なくて数人しかいませんでした。なんだかうまくあらわせませんが心が辛かったです。
日本全国の人が平和や戦争について考える時間ってどのくらいなんでしょうね。
ケン坊のお話のおかげで少なくともこのブログを読んでる人の心は動いてますよね。
こうしてる今も世界で戦争は続いているし、核兵器だって存在してるんですよね。
どうしたって核兵器と人間は共存して生きてはいけないのに。日本は唯一の被爆国としてもっともっと世界にアピールしなくてはいけないですよね。
伝える意味…
(
ピンクのパンダ
)
2007-08-20 21:33:35
「はだしのゲン」は学校行事で映画で観ました。
あまりにも衝撃的で正直かなり辛かったです。
未だに頭から離れないシーンがあって、先日ドラマで
放送されていましたがどうしても観ることが出来ませんでした。
予告CMすら観れませんでした。
「わかってるから!もういいから!」
そんな感情が湧いてくる自分が情けなかったです。
戦争は悲劇を招くというのは誰でも知っている事!
だから戦争なんてもう起きない!
と勝手に心のどこかで思っていたけれど
これからもっと時が経って戦争体験者もいなくなり
もし今の私たちがちゃんと伝えていかなければ
やがて昔話くらいにしか語られなくなった頃
「戦争します!」なんて事になるかもしれない。
今すぐ起こらなくても!100年後200年後も
永遠に起こらないように、戦争を知らない人達に
辛くても映像や音や本にして見せることが必要なんだと…
「誰かが伝えてそして感じていかないと…」
このブログのおかげで本当にその通りだと感じさせられました。
ケンさん、皆さんいつもありがとうございます。
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私の父と母は地方の人だから、戦争には全く無縁だったから、子孫を残す事が出来た。
でもね、私ももしかしたらこの世に生れてきていなかった人間の一人なんです。
なぜか?っていうと私は三姉妹の末っ子として生まれてきたんだけど、本当は一番上の姉の上にもう一人生まれてくる予定の姉がいたから。
もし、その姉が生まれていたら、今の自分が存在しなかったから。
存在してないってことは、毎日ケン坊にコメントも書けなかったし、大好きな俊ちゃんに逢うこともなく、詩を書くことも出来なかったと思います。
誰かの代わりに生れてきても、今の自分と同じ生き方が出来たのでしょうか?
多分、全く違う人生を歩んでいるのでは。
と、考える時があります。
折角与えられた命なんだから、精一杯人生を楽しんで生きていきたいって思っております。
そして、この場に居れた事に感謝しています。
ケン坊、暑い日々が続きますがリハ頑張って下さいね。
では。
おばばの歳ですと・・・戦争は身近です。
父は、東京の板橋で生まれ育ち、
「東京大空襲」の際、線路ずたいに宇都宮に向かい
避難しましたが、
おりしもその日は「宇都宮大空襲」・・・。
私のおばに当たる、末の妹が乳母車の中で、
焼夷弾に焼かれ亡くなり、その上の妹もまもなく亡くなったそうです。
「二人の妹達の写真が1枚も無い
終戦記念日になると繰り返し言っていた父を思い出します。
戦争は、兵隊さんだけでなく、
国民全員が戦ったのだと、苦渋を強いられたのだと思います。
どうまとめて良いのか、的確な言葉が見つかりませんが、
世界中から、この美しい地球から、戦争、内乱、テロ・・・
一日も早く争いごとが消えてくれますようにと
願っています
辿っていくと、本当にそうですよね。
ほんの一瞬の差で、(時間・場所・全てにおいて)
生と死の境目ができ、今とこれからに繋がる。
それは全てに影響してくることで・・・
今、ケンさんがここにいなければ
私たちは毎日ここには来ていなくて。
そんな現在は、戦争と繋がっている。
今日は何て書いていいのか悩みます。嫌だとかそんなんじゃなくて、止まっちゃう。
・・・
心にドンと何かが落ちてきた。私もこれから少しずつ。
今年、初めて広島に行こうと思いました。それまではずっと恐くて。でも逃げてちゃいけない。
現実に起きたこと。知るということ。
せめてそこから。
人の辛さや痛みって自分がなって初めて分かる・・・
戦争の事も、私はどれだけ分かってるのだろう・・・
私が生きて来た過去は短い、
生まれる前の過去を想うのは難しくて
私の未来は予想もつかない、
亡くなった後の未来に何が残せるのだろう
ケンさん^^何か一緒に出来る事はないですか
☆私に出来る事なら何でもします。
でも出来ない事が多過ぎて・・・
今の私の願いは治せない病気を「治したい
この舞台となった場所は、私の住む県にあります。
そして、私の祖父は、「回天」に乗る候補生に名前があがったんだそうです。
祖父は結局、別の部隊に配属されて無事生還。戦後、私の父が生まれました。
中学生の頃、その話に愕然としました。一歩間違えば、私はこの世に生まれていない。
今、私は子どもたちに関わる仕事をしています。
ケン坊さんがこのブログで、大事なことを多くの人に考させてくれるように、
私なりに、目の前の子どもたちに考えてもらえるようにしようと思います。
(うちからしたら祖父&祖母)
そのず~~っと流れの中で生きていてくれたからこそ
今のうちが生きてる訳ですよね。。。
本当にこの内の誰かでも戦争や戦(いくさ)で亡くなってたら
うちは今ここに存在しない訳ですよ。。。
本当に奇跡かもしれませんよね!!
ケン坊さんにしろ今この地球上で生きてる人は
その流れがあったからこそ生きてるんですもん。。。
もし戦争や戦(いくさ)で亡くなってたらその子孫は
存在しない訳で・・・もしその子が生きてたら
素晴らしい物・驚くべき発見をしてた可能性があるんだ。。。
ケン坊さんが書いてなかったら気付かなかったです。
「はだしのゲン」は昔うちの本棚にありました!
何巻かは読みましたが途中までしか読んでません。。。
でも前にその漫画家さんの事をTVでしてた時
ゲンの最終回はこうだったと解りました(書きませんけど。。。)
そして続編も書くつもりだったと・・・。
でもあえてそれをしませんでした。その理由は・・・
「その後のゲンはどうなったか皆さんで考えて欲しかったから」
・・・だそうです!
では~~
GYAOはまた時間がある時に見させて貰います。。。
それはしょうがないことで、どうしょうもないですが
戦争の悲劇 愚かさだけは、いつまでも語り継いでいかなくちゃいけないことですよね
悲惨なこと と思って目をそむけでいましたが
ケン坊さんのように、事実をきちんと見て その悲惨さを感じて
きちんと声に出して訴えていくことが 大切なのかなと感じました
戦争の時代に生まれてないから、わからない
では、また再び過ちを犯してしまうかもしれないですし
つくづくケン坊さんの感受性には脱帽です
ケン坊さんも、また忙しい日々がきそうですので
お体大事にして下さい
きちんと水分・塩分・糖分
適度なアルコール分を取って頑張りましょー
目を覆い耳を塞ぐことなく、過去の悲惨な現実を受け止め
未来に語り継いでいく。
これが今を生きる私たちにできること。
戦争は、失うばかりで得るものは何もない、
…二度と繰り返さないためにも。
発信してくれるケン坊に感謝です。
ケン坊も無理しないよう、身体に気をつけてね。
平和の中で日々生活をしていて、当たり前かのように「今」を生きているけど、決してそんなことはないのですね。
この世に生を受け、健康で幸せな生活を送ることが出来ているのは奇跡に近いこと。
今、生きていることに感謝して、今まで以上に一日一日を大切に過ごしていこうと思います。
・・・昨日はケン坊の文章を読んで、色々な感情、想いが一気に込み上げてきて、涙が止まりませんでした。
愛する人、守るべき家族を残して戦地に赴かなくてはならなかった人、戦地へ行った方を思い待ち続けた人、空襲に怯える日々・・・
それがどんなことだったか、当時の人々はどんな思いだったか。辛さ、痛み、恐怖・・・きっとあたしが想像する以上に、むしろ想像なんて出来ないくらいに過酷で悲惨なことだったのでしょう。
だからこそ敢えてもっともっと現実を知らなくてはならないし、考えなくては、感じなくては。
「遠い過去の出来事」にしないためにも。
先日、戦争について職場の同僚の先生と話しをしました。こんなに深く話したのは初めてでした。きっかけを与えてくれて本当にありがとう。
先日教えていただいた「硫黄島」のYou Tube、少しずつ観させていただいています。今回のGYAOも必ず。
では。
ケン坊のブログを読みながら、大切な人たちの顔が浮かんできました。
この人たちがいなかったら、今の自分はいない。
この人たちを失ってしまったら、これからの自分はどうなるんだろう・・・。
感情や想いを無視して、一瞬にして命を奪ってしまう戦争、
考えれば考えるほど憎しみと悔しさが込み上げてきます。
愛する人を失った人の気持ち、守るべき人を守れなかった人の気持ち、
一人一人のそんな気持ちを思ったら、心が痛いです。
過去の人が繋いでくれた“今”に生きていることに感謝。
そしてわたしたちも、絶対に“未来”へバトンを渡さなければ…ですね。
地球の色も、愛する人の笑顔も、失わないように、しっかりと。
考えるきっかけをいつもありがとう、ケン坊。
季節の変わり目、ケン坊もお身体には十分気をつけてくださいね。
今日も笑顔の一日を。
ではー、いってきまぁす(´∀`)ノ
空襲で焼かれ、近所の川にも恐らく水を求めて殺到し、そして亡くなられた方々に、毎日の様に冥福を祈らせて頂いています。私は東京の人間では無いので、余計“此処に住む理由”に何か感じるものがあるのかも知れません。
映画でも紹介されていましたが、本土を守る為に過酷な戦いを続けてきた硫黄島の方々は、東京を目指して上空を飛んで行った敵機を見て何を思われたでしょうね・・・。
私の祖父は2人とも戦争を免れています。1人は病気で、1人は技術職に長けていたので中国へ建設関係で送られたそうです。でも確かにこの2人がいなければ自分もこの世にいなかったのかと思うと・・・。
“生きる”という運命は不思議です。
それだけに命は大切にしていかなくてはいけませんね。
「はだしのゲン」の原作は小学生の時に読みました。
ゲンがしゃがんだ瞬間に爆発したので、何かの陰になって直接光を浴びなかったから生き残ったのだ、という事だけが鮮明に“生かされる運命”として記憶に残っています。
先日のドラマ、録画したので今度観ます
ケンさんもお身体大切に
何にも怯える事無く、眠れるなんて、幸せなことですね。当たり前なんてないなぁ。暑いだけで色んなことにイライラしちゃったりしますが、そんなことおかしいですね。
今日は県外地区にいくので夜のブログコメントおやすみします。こんな内容の時に自分のこと書き込むなよ!と思ったのですが、勝手に休むの嫌だったので一言だけ。
でも、「戦争」の話を聞いたことは一度もありません。
きっと、ほとんどの方がそうだと思うんです。
先日お会いして話をしてくださった方々も、「ずっと話せなかった」と・・・。
それが「戦争」。 愛する人、愛するもの、すべてを奪い、破壊する。
そんな悲しいこと、二度とくり返してはいけない。
語り続けていくことが、私たちにできることの一つなんじゃないかな。
実際の戦争を知らない私たちは、想像することしかできないけど、
テレビ番組や映画、ドキュメンタリーなど、たくさんある資料から、
多くのことを知り、何かを感じ取り、それを語り伝え続けていくことはできます。
私はまだまだ知らないことがいっぱいだけど、
少しずつ、色々なことを吸収して、伝え続けていこうと思っています。
それが、志半ばで命を落とした人への、辛く悲しく苦しい時を生き抜き、
「今」に繋げてくださった方々への、感謝のカタチだとも思うので。
あの戦争で祖父が戦死していたら、自分はいない・・・
あのとき、あの出来事がなければ・・・とか、いろんなこと考えてたら、
なんだかね、涙が止まらなくなってしまいました。
今こうして生きてることに感謝。もっともっと大切に生きたいと思います。
いつも色々なことを教えてくれて、考えさせてくれて、本当にありがとう。
ケン坊に出会ってなかったら、戦争のことも含めてね、
こんなに深く考えたりって、できなかった・・・いや、しなかった、と思うんです。
ケン坊に出会えてよかった。 本当にありがとう。
ケン坊も、体調崩さないように気をつけてね。
では、今日も元気で。
この事を切っ掛けにして戦時中の話を、ポツリ ポツリと語り始めてくれました。『銃後の守り』の話。
うっすらと涙など浮かべながら…
ケン坊のブログで
貴重な時間をもつ事が出来ました。ありがとうございました。
命を引き継いで今現在の私が存在しています。
この先、色んな事があると思いますが、真っ直ぐ生きていきますから(きっと)
日本全国の人が平和や戦争について考える時間ってどのくらいなんでしょうね。
ケン坊のお話のおかげで少なくともこのブログを読んでる人の心は動いてますよね。
こうしてる今も世界で戦争は続いているし、核兵器だって存在してるんですよね。
どうしたって核兵器と人間は共存して生きてはいけないのに。日本は唯一の被爆国としてもっともっと世界にアピールしなくてはいけないですよね。
あまりにも衝撃的で正直かなり辛かったです。
未だに頭から離れないシーンがあって、先日ドラマで
放送されていましたがどうしても観ることが出来ませんでした。
予告CMすら観れませんでした。
「わかってるから!もういいから!」
そんな感情が湧いてくる自分が情けなかったです。
戦争は悲劇を招くというのは誰でも知っている事!
だから戦争なんてもう起きない!
と勝手に心のどこかで思っていたけれど
これからもっと時が経って戦争体験者もいなくなり
もし今の私たちがちゃんと伝えていかなければ
やがて昔話くらいにしか語られなくなった頃
「戦争します!」なんて事になるかもしれない。
今すぐ起こらなくても!100年後200年後も
永遠に起こらないように、戦争を知らない人達に
辛くても映像や音や本にして見せることが必要なんだと…
「誰かが伝えてそして感じていかないと…」
このブログのおかげで本当にその通りだと感じさせられました。
ケンさん、皆さんいつもありがとうございます。