コメント
Unknown
(
にょみこ
)
2010-07-30 01:46:35
ケン坊のお話を聴いて、ずっと気になっていた番組でした。
明日は早起きのため今日は観られませんが、近々拝見させていただきます。
サイトのご紹介、ありがとうございました。
では。
Unknown
(
みい
)
2010-07-30 05:24:42
8月6日が近付くこの時期になると、テレビや新聞で
“原爆”という言葉を見聞きしない日はありません。
そして先日は、甥っ子と行ったファーストフードのお店で、
平和公園に届ける折り鶴にご協力を・・・とあったので、折ってきました。
思わぬところで、折り鶴をお届けする機会に出会えて、
参加することができて嬉しく思いました。
リンク、ありがとうございました。
観ることができず残念に思っていた番組なので、拝見します。
8月6日。
(
MAKI
)
2010-07-30 09:15:34
ケンさん、おはようございます。
遠い太陽の熱でも、夏は凄く暑くて日焼けする。
それなのに、それが近くまで来たなら・・・
想像がつかず、言葉に詰まります。
広島のあの日も、きっと暑くてセミの鳴き声も凄くて
それが、一瞬にして街も人も焼かれセミの鳴き声も止まり
夏なのか?昼なのか?何処なのか?分からなくなるほど
ただ、熱くて痛くて苦しくて・・・・・
今、セミの鳴き声を聞きながら想いました。
ありがとうございます
(
清子
)
2010-07-30 09:45:16
ケンさん、おはようございます。
先日、原爆に関する写真や資料をPCにて拝見しました。
ほかにも何かないかと探していたところです。
読みたいと思った本(原爆を体験された方が書いた本(故人))と一緒に、ケンさんに教えていただいたサイトを観たいと思います。
教えてくださりありがとうございました。
はじめまして。
(
KOH
)
2010-07-30 11:50:17
いつも楽しく読んでいます。
でも、今日の文章はずっと忘れないと思います。
音楽を楽しめるような平和をずっと守っていくこと、
これが戦争で亡くなった方たちへの私たちの義務だと
思います。
考えさせていただいてありがとうございました。
この番組も、きちんと、観ます。
平和への祈り。
(
みさえ
)
2010-07-30 12:32:30
昨晩、携帯から教えて頂いたサイトへいこうとしたら、見れなかったので、再度
を立ち上げて観てきました。
切ない想いで、胸がいっぱいです。
毎年、この時期になると、悲しさと怒りがこみあがってきます。
当時、原爆を経験され、今生きてこられている方々
あの原爆により、夢や希望を一瞬で奪われてしまった方々の事。
これは私たちが生きている間に伝えていかなければいけない話。
物語でなく、実話なんだ。
たくさんの子ども達に伝えていきたい。
出来れば、この時期だけの放送じゃ~なく、月に一度…放送して頂きたい。
原爆を投下されていない地域の方々にもっと伝えて欲しいと。
私自身もケンちゃんのこのブログのおかげで知らなかった原爆の事、知る事が出来たんですもの。
二度とこんな事、してほしくないです。
そして…平和な世界を、平和な未来を…。
ケンちゃん、ありがとうございました_(._.)_
Unknown
(
あみ
)
2010-07-30 14:00:34
この時期になると、色々なところで目にするようになり、
それを見る度、怒りや悔しさ、もどかしさが沸き上がってきます。
想像しただけで…言葉になりません。
戦争を経験された方が、時間が経つにつれて少なくなっていく中で、少しでも伝えていかなくてはいけないと、本当に思います。
“戦争”というのは一つの事件ではなく、亡くなられた方や、現在も苦しまれている方、一人ひとりの、一つずつの、“事件”なんだということを。
そして、二度とあってはならないということを。
番組、リアルタイムで見ていましたが、もう一度見たいと思います。
サイトのご紹介、ありがとうございます。
熱。
(
ゆっか
)
2010-07-31 00:32:52
太陽って凄いですよね!
太陽がなければ、今の地球も何もなかったわけですから。
いつもは明るいイメージの太陽。
でも、その太陽がもしすぐそこに現れたら…。
人の身体が一瞬にして炭化してしまうって…。
原爆投下後の写真を観ると、苦しくってたまらなくなります。炭化してしまった人、体中が焼け焦げた人、身体も残らず影だけになってしまった人。
小さな頃はそんなもの無いと思っていたけれど、写真を観て思いました、「本物の地獄だ…」と。
昨年観ることが出来なかった「少女たちの日記帳」。
動画サイトを教えていただき、ありがとうございます。昨年は観れずに後悔していたので、早速観ようと思います。
年々減っていく戦争・原爆関連の番組。今年は昨年より一本でもいいから多く放送してほしいです。
そして、一人でも多くの人の考えるきっかけ、知るきっかけになってほしいな、と。
では。
広島から
(
mipori
)
2010-07-31 02:53:40
こんばんは。
広島公演の朝、コメントさせていただいた者です。
岡山ではおそらく、ケンさんに一番近い場所で観てました
もう、すごいの一言、かっこ良かったです
普段から涙もろい私、涙と汗が滝のように
緑ちゃん持ってくればよかったとちょっと後悔
昨日の日記を読んで…
私の祖母は爆心地から2km離れたところで被爆しましたが、神社の石垣のおかげで0歳児の伯父と共に命を救われ、本当の祖父は被爆から10年後、原爆症で亡くなりました。
子供3人抱えて、生き抜くことだけ考えてた、
祖母は爆撃で片足を失った義祖父と再婚し84歳まで生きました。
0歳で被爆した叔父は後遺症と断定されてはいませんが半身不随となって20年近くなります。
血のつながりはなかったけれどやさしいおじぃちゃんと、何事にも動じない、強いばぁちゃんに育ててもらい、私は大きくなりました。
「ピカ(原爆)より怖いもんなんか、この世にないけん。」というのが口癖でホントに強い人でした。
生き延びた人たちの悲惨な現実も、少しでも知ってもらいたくてあえて書かせて頂きました。
今でこそ原爆手帳を持っている人には福祉が手厚くありますが、かつて祖母は50代になるまで被爆したことをあまり口に出せませんでした。
差別がひどかったのです。
就職も、結婚もできない、疎開した鹿児島でも居づらく、何年かしてすぐ広島へ帰ってきたそうです。
原爆の光を浴びたことを隠し続けて亡くなった方も大勢いるはずです。
戦争は未だ爪痕を残しているというのに、平和になった今でもテレビでは毎日のように虐待死や餓死する子供のニュースが流れ、このままでいいのかという気になります。。
私も3歳の子供がいますが、今の世の中で子供がどう育つのか、どう育てていいか、不安があります。
家族そろって、おいしいご飯が食べられる、それだけで幸せなはずなのに、どうして、わが子に手をかける親がこんなにたくさんいるのでしょうか。。。
たくさんの命を犠牲にして取り戻せた平和とは、こういうことじゃなかったのではと思ったりします。。
子供たちの、明日をつくる私たちはどうすべきなのか。ケンさんの日記を読んで昨日からずっと考えてました。
あの日の日記にあったように、
今、生きている、生かされているんですね。
精一杯、次の世代に伝えていかなくちゃって思いました。ケンさんありがとう
少し、忘れかけてました
明日からまた、ツアー始まりますね
いっぱい食べて(笑)バシバシ盛り上がって下さいね
Unknown
(
ムツミ
)
2010-07-31 09:07:45
人間の体が、一瞬で炭化。
・・・。
本当に、わけもわからず、
何を思う余裕もなく、
突然、焼かれてしまった・・・のですよね。
やっぱり、どうしても、
怒りと悔しさと悲しさでいっぱいになります。
戦争は、原爆は、もう二度と、絶対に・・・。
これは、本当に、ちゃんと伝えていかなければ、です。
どうしても行きたいところがあるので、
今年も、広島と長崎へ飛ぶ予定です。
お会いしたい方もいるので、ね。
昨年放送された「少女たちの日記帳」。
時々、夢にみるほど、自分の中に残っている番組です。
ぜひ再放送を・・・と、知人を通してお願いしていますが、
・・・どうなるかなぁ。してもらえるといいな。
動画サイト、ご紹介いただきありがとうございました。
未来
(
みかわ
)
2010-08-02 22:42:47
この間みたドキュメンタリー映画は
日本のことを語ってるものではありませんでしたが
「この国には戦争の中で生まれ、育って、
戦争で死んでいく人がたくさんいる」という言葉に
言いようのない気持ちがわいてきました。
日本がしていた戦争は終わりを迎えたから
あたしたちは“戦後”という時代を生きることができてます。
良かった悪かったでは表しきれないけど
終わったから、時間がたったからできることが
もっともっとある気がします。
傷つけたくなくて充分に気を使っても
誰かの心を傷つけずに生きることは難しい。
けど、身体はなるべく傷つけずに生きられると思うんです。
こんなこと、絵空事なんでしょうか…
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明日は早起きのため今日は観られませんが、近々拝見させていただきます。
サイトのご紹介、ありがとうございました。
では。
“原爆”という言葉を見聞きしない日はありません。
そして先日は、甥っ子と行ったファーストフードのお店で、
平和公園に届ける折り鶴にご協力を・・・とあったので、折ってきました。
思わぬところで、折り鶴をお届けする機会に出会えて、
参加することができて嬉しく思いました。
リンク、ありがとうございました。
観ることができず残念に思っていた番組なので、拝見します。
遠い太陽の熱でも、夏は凄く暑くて日焼けする。
それなのに、それが近くまで来たなら・・・
想像がつかず、言葉に詰まります。
広島のあの日も、きっと暑くてセミの鳴き声も凄くて
それが、一瞬にして街も人も焼かれセミの鳴き声も止まり
夏なのか?昼なのか?何処なのか?分からなくなるほど
ただ、熱くて痛くて苦しくて・・・・・
今、セミの鳴き声を聞きながら想いました。
先日、原爆に関する写真や資料をPCにて拝見しました。
ほかにも何かないかと探していたところです。
読みたいと思った本(原爆を体験された方が書いた本(故人))と一緒に、ケンさんに教えていただいたサイトを観たいと思います。
教えてくださりありがとうございました。
でも、今日の文章はずっと忘れないと思います。
音楽を楽しめるような平和をずっと守っていくこと、
これが戦争で亡くなった方たちへの私たちの義務だと
思います。
考えさせていただいてありがとうございました。
この番組も、きちんと、観ます。
切ない想いで、胸がいっぱいです。
毎年、この時期になると、悲しさと怒りがこみあがってきます。
当時、原爆を経験され、今生きてこられている方々
あの原爆により、夢や希望を一瞬で奪われてしまった方々の事。
これは私たちが生きている間に伝えていかなければいけない話。
物語でなく、実話なんだ。
たくさんの子ども達に伝えていきたい。
出来れば、この時期だけの放送じゃ~なく、月に一度…放送して頂きたい。
原爆を投下されていない地域の方々にもっと伝えて欲しいと。
私自身もケンちゃんのこのブログのおかげで知らなかった原爆の事、知る事が出来たんですもの。
二度とこんな事、してほしくないです。
そして…平和な世界を、平和な未来を…。
ケンちゃん、ありがとうございました_(._.)_
それを見る度、怒りや悔しさ、もどかしさが沸き上がってきます。
想像しただけで…言葉になりません。
戦争を経験された方が、時間が経つにつれて少なくなっていく中で、少しでも伝えていかなくてはいけないと、本当に思います。
“戦争”というのは一つの事件ではなく、亡くなられた方や、現在も苦しまれている方、一人ひとりの、一つずつの、“事件”なんだということを。
そして、二度とあってはならないということを。
番組、リアルタイムで見ていましたが、もう一度見たいと思います。
サイトのご紹介、ありがとうございます。
太陽がなければ、今の地球も何もなかったわけですから。
いつもは明るいイメージの太陽。
でも、その太陽がもしすぐそこに現れたら…。
人の身体が一瞬にして炭化してしまうって…。
原爆投下後の写真を観ると、苦しくってたまらなくなります。炭化してしまった人、体中が焼け焦げた人、身体も残らず影だけになってしまった人。
小さな頃はそんなもの無いと思っていたけれど、写真を観て思いました、「本物の地獄だ…」と。
昨年観ることが出来なかった「少女たちの日記帳」。
動画サイトを教えていただき、ありがとうございます。昨年は観れずに後悔していたので、早速観ようと思います。
年々減っていく戦争・原爆関連の番組。今年は昨年より一本でもいいから多く放送してほしいです。
そして、一人でも多くの人の考えるきっかけ、知るきっかけになってほしいな、と。
では。
広島公演の朝、コメントさせていただいた者です。
岡山ではおそらく、ケンさんに一番近い場所で観てました
もう、すごいの一言、かっこ良かったです
普段から涙もろい私、涙と汗が滝のように
緑ちゃん持ってくればよかったとちょっと後悔
昨日の日記を読んで…
私の祖母は爆心地から2km離れたところで被爆しましたが、神社の石垣のおかげで0歳児の伯父と共に命を救われ、本当の祖父は被爆から10年後、原爆症で亡くなりました。
子供3人抱えて、生き抜くことだけ考えてた、
祖母は爆撃で片足を失った義祖父と再婚し84歳まで生きました。
0歳で被爆した叔父は後遺症と断定されてはいませんが半身不随となって20年近くなります。
血のつながりはなかったけれどやさしいおじぃちゃんと、何事にも動じない、強いばぁちゃんに育ててもらい、私は大きくなりました。
「ピカ(原爆)より怖いもんなんか、この世にないけん。」というのが口癖でホントに強い人でした。
生き延びた人たちの悲惨な現実も、少しでも知ってもらいたくてあえて書かせて頂きました。
今でこそ原爆手帳を持っている人には福祉が手厚くありますが、かつて祖母は50代になるまで被爆したことをあまり口に出せませんでした。
差別がひどかったのです。
就職も、結婚もできない、疎開した鹿児島でも居づらく、何年かしてすぐ広島へ帰ってきたそうです。
原爆の光を浴びたことを隠し続けて亡くなった方も大勢いるはずです。
戦争は未だ爪痕を残しているというのに、平和になった今でもテレビでは毎日のように虐待死や餓死する子供のニュースが流れ、このままでいいのかという気になります。。
私も3歳の子供がいますが、今の世の中で子供がどう育つのか、どう育てていいか、不安があります。
家族そろって、おいしいご飯が食べられる、それだけで幸せなはずなのに、どうして、わが子に手をかける親がこんなにたくさんいるのでしょうか。。。
たくさんの命を犠牲にして取り戻せた平和とは、こういうことじゃなかったのではと思ったりします。。
子供たちの、明日をつくる私たちはどうすべきなのか。ケンさんの日記を読んで昨日からずっと考えてました。
あの日の日記にあったように、
今、生きている、生かされているんですね。
精一杯、次の世代に伝えていかなくちゃって思いました。ケンさんありがとう
少し、忘れかけてました
明日からまた、ツアー始まりますね
いっぱい食べて(笑)バシバシ盛り上がって下さいね
・・・。
本当に、わけもわからず、
何を思う余裕もなく、
突然、焼かれてしまった・・・のですよね。
やっぱり、どうしても、
怒りと悔しさと悲しさでいっぱいになります。
戦争は、原爆は、もう二度と、絶対に・・・。
これは、本当に、ちゃんと伝えていかなければ、です。
どうしても行きたいところがあるので、
今年も、広島と長崎へ飛ぶ予定です。
お会いしたい方もいるので、ね。
昨年放送された「少女たちの日記帳」。
時々、夢にみるほど、自分の中に残っている番組です。
ぜひ再放送を・・・と、知人を通してお願いしていますが、
・・・どうなるかなぁ。してもらえるといいな。
動画サイト、ご紹介いただきありがとうございました。
日本のことを語ってるものではありませんでしたが
「この国には戦争の中で生まれ、育って、
戦争で死んでいく人がたくさんいる」という言葉に
言いようのない気持ちがわいてきました。
日本がしていた戦争は終わりを迎えたから
あたしたちは“戦後”という時代を生きることができてます。
良かった悪かったでは表しきれないけど
終わったから、時間がたったからできることが
もっともっとある気がします。
傷つけたくなくて充分に気を使っても
誰かの心を傷つけずに生きることは難しい。
けど、身体はなるべく傷つけずに生きられると思うんです。
こんなこと、絵空事なんでしょうか…