コメント
ただ今 我々は…
(
正直者
)
2007-08-06 22:34:47
この『平和の空』の下で、暮らせていますこと、改めて感謝します。
今 だ~れもいない波止場で、一人夜空を見上げて、しんみりしてきたのよ。
泪が出ました…
(
恋心
)
2007-08-06 22:44:55
今日は初めて核兵器が投下された日です。
その場所となったのは広島でした。
学生の時、広島に修学旅行で行きました…勿論、原爆資料館も見ましたが、若かったうちには悲惨過ぎて、見る事が恐かったです…
今でも頭の中に残ってるのは人の影が写し込んだ階段です。(多分、階段でした)
「影までも写し込んだんだ」って唖然としました。
その影の人は一瞬で亡くなったのでしょう…亡くなったと言うか、消えたのでしょう…。
62年経っても被爆の為に今も年間5千人もの方々が亡くなってると聴きました。
まだ62年経っても原爆の後遺症は残っているのです!
まだその方達には戦争は終わってないのでしょう…
この前「ゾウのはな子」と言うドラマを見て泣きました…話は小学生の時に国語で習ってたので知っているのに…にも関わらず泣きました…
子供達に見せたいと思いDVDにダビングして明後日の出勤の時に持っていきます。
誰も見ないかも知れないけど、持っていきます!知ってほしいから!色んな事を!そしてどう感じたか言わなくても良いから感じて欲しい!
うちは夕日を書くなら赤色の色えんぴつで始めに塗るかな?
いつまでも美しい日本の景色を見ていたい!
長々と書いちゃいました。ごめんなさいm(_ _)m
では…。
おんなじ。
(
こりん
)
2007-08-06 23:15:47
ケン坊さんこんばんです。私もオレンジが浮かびました。けれど最近の空は、何かを訴えかけるが如く真っ赤に染まる…今まで見たことのなぃぐらぃの朱。紅。階段に黒く焼き付けられた方の映像を、小学生の頃に見ました。国語でも戦争につぃてのお話を学んだ事、よく覚えてる。今日のケン坊さんblogラストの言葉に「はい」と応えますm(__)m
考えさせられます
(
みさごん
)
2007-08-06 23:17:00
毎年、この時期になると各テレビ局で原爆の事を放送してますが、心が痛みます。
今、私達が出来る事・伝えていかなければならない事・・・原爆を落として行った相手方の国々の人達に「あなたの祖先がこんな悲劇をもたらしたのよ」なんて言っても、実際に自分達の身にふりかかって来なければわからない事ですよね。
もしも、この原爆投下が自分達の国で起こっていたら、どんな事をしてまでも、世界各国の人達に訴えている事でしょう。
原爆・戦争・核兵器・・・実験する為に何人犠牲者を出したら気がすむんでしょうか?
人間はモルモットでもロボットでもないんです。
みんな赤い血が体全体に流れている人間なんです。
生きていける喜びを奪う権利は誰にもありません。
地球環境を悪くしているのは、全て人間なんです。
なんで、みんな仲良くして暮らしてはいけないんでしょうか?
全ての人から自由を奪う権利があるのでしょうか?
毎年と言わず毎日思っている事です。
長くなりましたが、この辺で失礼させて頂きます。
早々、夕焼け空は赤。それも明るい赤ですかね。
では。
祈り。
(
ふみえ
)
2007-08-06 23:27:49
私はまだ、原爆資料館に行ったことがありません。
いつか見なくてはいけない・・・
事実を知らなくてはいけない・・・
と思いつつ、恐いという勝手な感情が先にあって。
でも、被爆されたかたは、資料館どころか、想像を絶する恐怖を62年間もの間背負ってこられてるんですよね・・・
もう二度と、こんなことが起きないように。
戦争なんてしちゃいけない。
平和な空。みんなの心が集まれば、美しい夕焼けはこれからも続いてゆきますもの。
まずは祈ります。
空を見上げれば…
(
ジャッキー
)
2007-08-06 23:47:22
空をみあげれば、いつも空があります。当たり前のようですが、戦争を経験した方々からすれば、空は怖いものだったことでしょうね。
私は28歳で、戦争の事は、学校で学んだり、映画や漫画やテレビなどで学んだりしてきました。小学生の頃は、夏休みのこの時期、家にいたり、外で遊んでいるときに飛行機やヘリコプターの飛ぶ音が聞こえると、『戦争が始まったのではないか』という恐怖を感じていたことを思い出しました。空を見上げるのが怖かったことも。
今朝、職場である保育所にて、黙祷のサイレンを聞きました。子ども達はポカーンとしていましたが、すぐに、みんなで目を瞑り、手を合わせて黙祷をささげました。その後、子ども達に今日がどんな日であるかを伝えました。たった5、6歳の子ども達ですが、じっと聞き入ってくれ、『かわいそうだね…』とつぶやく子もいましたよ。
微力ながら、子ども達に伝えていきたいです、私も。未来も永久に平和が続きますように。私も祈ります。
長文失礼しました。
原爆の日。
(
みい
)
2007-08-06 23:47:56
被爆から62年の広島の空、夕焼け色は見れなかったけど、
今は少し星が出ています。
広島に住んでいながらも・・・資料館は一度行ったきりです。
小学生の時に行った資料館は、正直、直視できなくて
目を覆って歩いた記憶しかありません。
焼け野原になった街を立派に復興させて、こうして
住まわせてもらってる今、遅いかもしれないけど改めて足を運び、
知らなければいけないこと、忘れてはいけないこと、
微力ながらも自分に何ができるのか、もう一度、
一から学ばせてもらいます。
いつまでも青い空・綺麗なオレンジ色の夕焼け空が見れるよう、
平和を願って・・・。
訂正です。。。
(
恋心
)
2007-08-07 00:05:18
原爆資料館は長崎なのですね。。。
間違えてました・・・済みません!!
広島は平和記念資料館なのですね。。。
日本人でありながらこんな名前の事すら間違えるなんて(恥)
ギタリストのPさんを見習わなくては・・・。
本当にそのPさんの様に1つ1つ展示物を見なくてはいけなかったなぁ・・・。
とてつもなく後悔しています。。。(今になって・・・)
Unknown
(
はるぞ~
)
2007-08-07 00:08:53
あたしは、広島在住です。
他県の方が、原爆ドームや平和公園を訪れると
大抵「こんな街中にあるの?」と驚かれます。
そして、あまり知られていないかも知れませんが、
今尚、町中に「被爆建物」や「被爆樹木」など多数残っています。
街の全てが「平和資料館」なんです。
75年は草も生えないと言われていた所が、
今、とてもキレイな街になっているということも含めて…
今ある、「当たり前の風景」がたったひとつの爆弾によって一瞬で壊されたら…と考えるだけでも恐ろしいです。
世界のどこかで「戦争」は今も続いています。
「戦争」をしてイイことは何一つない!!
一刻も早く「戦争」がなくなることを心から願います。。。
世界中の人が、爆弾いっぱいの空ではなく
オレンジ色の夕焼け空を当たり前に見上げられるように…
一人一人を大切に想う心。
(
MAKI
)
2007-08-07 00:08:57
今日は広島原爆記念日ですね。
印象深い話ですが、
原爆が落ちて、食べる物も無くて、
そんな時、畑に丸焦げになった南瓜を見つけて
割ってみると、中は黄色くてホクホクしてて
美味しくて、悲しくて・・・思い出深い味になって・・・
だから8月6日は南瓜を食べる日にしている話。
身近で人が人を殺めてしまう世の中・・・
どうなっているのかな?どうなって行くのかな?
☆人って温かいんですよ^^
優しくしたい、力になりたい、大切にしたい。
だって、幸せになる為に生まれて来たんだもん。
決して、幸せを奪う為に生まれて来たんじゃない。
☆こんばんわ☆
(
秋菜
)
2007-08-07 00:16:58
私も、そのイギリス人の方ほどの気持ちには、なっていないと思います。
日本に住んでいるのに・・・
。
今日という日もテレビで「そーいえば」って思い出したし・・・。
将来、子供にそして孫にも・・・しっかり伝えられるように学んでおかなくてはいけませんよね。
美しい空を守る為にも・・・
。
毎日
(
みかわ
)
2007-08-07 01:20:00
おはよーって起きて
いただきますーってごはん食べて
いってきますーって出掛けたり
さてとーって次のこと始めたりして
ただいまーって帰ってきて
おかえりーって迎えて
おやすみーって寝て
また、おはよーって言える。
去年 対馬丸の子供たちからのメッセージを見て
あたしがこうやって過ごせる毎日や
大切な人たちが元気でいるって確信できる毎日が
どれだけ大切にするべきものか知りました。
人間の中に
正義とか正しいことをしようとする気持ちがある限り
争いごとがなくなることはないと思います。
けど
互いが認め合って許し合えたなら
戦争以外の方法が見つかるような気がします。
原爆という事実。
(
アコ
)
2007-08-07 01:21:55
私は生まれも育ちも広島で、
高校時代は平和公園が通学路だったくらい近くに住んでいました。
小学校の頃には毎年のように資料館に行きましたし、
写生大会も平和公園内でありました。
たしか私は原爆の子の像を描いたような気がします。
中学校では校内に折鶴の碑が作られてましたし、
原爆の子の像を作ろう、と動き出したのは
私の母校の中学校の生徒だったという新事実も知りました。
今までにホント何千羽と折鶴も折ってきました。
でも、ホント実感がないんです。
この広島に原爆が落とされたという実感が。
今は大学に通う電車の中でほとんど毎日原爆ドームを見ています。
それなのに、今まで19年間、ホントに何十回・何百回見たであろう建物なのに、
私の中ではただの「景色」になってるんですよね。
お恥ずかしいことですが、私のような広島県人より、
他の地方の方のほうがより関心を持っていて、
詳しいんじゃないか、と思うときすらあります。
川村さんの日記を見て、
自分を見つめ直す良い機会になりました。
私の父母どちらの両親も原爆にあっています。
なので、私は被爆三世ということになるんです。
被爆三世として、忘れないようにしなければなりません。
そして、原爆が落ちたあと、
日本が広島が何をしてきたかというのも記憶していこうと思います。
考えさせられたこと。
(
やよっぺ
)
2007-08-07 02:26:00
今朝、ふと時計に目を向けると、ちょうど8時15分。勤務中でしたので、心の中で手を合わせることしかできませんでした。
去年職場の研修旅行で、初めて平和記念資料館を訪れました。
あんなにたくさんの資料、展示を見るにはあまりにも時間がなさ過ぎて、やはり時間切れに。
今度は個人的に来ることを誓って、その場を後にしました。
Pさんの現実を知ろうとする心、熱心さ、頭が下がります。
今日テレビで、アメリカの原爆投下に関する教育について特集していました。
原爆が投下されていなかったら、戦争による犠牲者が更に増え続けたであろう、原爆を投下したからこそ最小限の犠牲で済んだ、という肯定論・・・これが今のアメリカの教育の現状。
原爆投下後、広島や長崎で何が起こったか、62年後の今、被爆した方が何を思っているかを少しでも知って欲しいと思ったというのが正直な感想です。
こんなことを書いていたって、あたし自身何も知らないし、分かっていないのかもしれません。日々、何不自由なく暮らして、平和ボケしているあたしが書くことではないのかもしれません。
でも広島と長崎合わせて39万人もの人々の尊い命が犠牲になったのに、今もなお後遺症と戦っている人、心に深い悲しみ・傷を負っっている人がいらっしゃるのに、肯定するのはやっぱり・・・
また違う番組では、教師の中でも意識改革が進み始めているということも特集していて、すぐには無理かもしれませんが、少しずつその考え・教えが広がっていくことを祈らずにはいられませんでした。
夕焼け空、あたしもきっとオレンジのクレヨンで描きます。
いつまでも平和な空が続きますように・・・
では。
あれから一年・・・。
(
にょみこ
)
2007-08-07 04:06:17
昨年の8月、ケン坊が戦争についてのブログを書いてくれて・・・。あの時の私はコメントに書いたとおり、戦争というものをリアルに感じられていませんでした。
あれから一年・・・未だに無知で、平和のための活動などができているわけでもありません・・・。でも、ケン坊がきっかけで、少しづつだけど、知ることが出来ました。戦争の恐ろしさ、悲惨さ、ずっと消えることのない悲しみ。そして平和が、いかに尊いものかを考えることが出来ました。
戦争を知らない時代に生まれ、授業の中で、教科書から学ぶ戦争。それまでは、江戸幕府、明治維新・・・と同じように、ひとつの歴史のなかの遠い出来事のような感覚だったのだと思います。
でも、原爆が落とされた場所は飛行機で数時間、月日もほんのちょっと前・・今身近に生きている父や母の時代の事なんですよね。
それなのに何故、知らないまま、考えないまま、この歳まで生きてきたんだろう・・・。
本当に恥ずかしい・・・というより、愚かですよね・・・。
昨年までの私のように、きっと戦争や平和について、大して考えていないであろう友人(←ゴメン・・)に、「広島に行きたい」「戦争をもっとリアルに感じて考えたい」と、言ってみたところ。「私も!!」との返答でした。なので、いつか必ず!!と、約束しました。
実は、皆きっかけや機会が無くて、あまり言葉に出していなくても、唯一の被爆国の日本人として、戦争を知って伝えなくてはならない義務は感じているのかも知れませんね。
平和を願うのは毎日ですが、悲しく重い戦争にしっかり向き合って改めて考える。人と戦争についての話をする。知る、考える、伝える。記念日を大切にしていきたいです。そして、核廃絶を切に願います・・・。
あ、あたしが描く夕焼けは・・・山に帰るカラスが飛んでます
。
では。
おはようございます。
(
みこ
)
2007-08-07 07:08:50
毎日の幸せをあたり前のように
過ごしているけれど・・・
忘れないこと、知ること、伝え残してゆくこと
そして、感謝で生きてゆきたいです。
平和。
(
ムツミ
)
2007-08-07 08:55:45
学校の授業で教わる「戦争」は、教科書を読むだけでしたから、
被爆国に住んでいながら、正直、身近に感じることはありませんでした。
戦争や原爆について知っているようで、実は何も知らない・・・。
昨年、ケン坊がブログに書いてくれたあの日。
あの日を境に、戦争に対する考え方が変わりました。
そのきっかけをくれたケン坊には、本当に感謝しています。
まだまだ知らないことだらけで、それほど大きな変化はないけど、
少しずつ、前に進んでいると思います。ほんと少しずつだけどね。
先週、仕事の合間に、ある映画を観てきました。
スティーブン・オカザキ監督の「ヒロシマナガサキ」というドキュメンタリー映画。
14人の被爆者の方の証言と、4人のアメリカ人の証言を軸に構成されています。
被爆映像が随所に散りばめられ、原爆の惨状が静かに、淡々と映し出されます。
心と体に深い傷を負いながら、今日まで生きてこられた方々が、
あえて被爆体験を語り、伝え、訴える姿・・・。
そこには、世界中の誰もが共有しなければならない、語り継がれるべきことが、
本当にたくさん詰まっている・・・と感じました。
被爆者の方々の苦しみは、今も続いているんですよね。
平和の大切さ、ありがたさ、強く感じます。
二度と同じことを繰り返さないようにしなければ・・・。
オレンジ色の夕焼け、平和の空、これからもずっと見続けられるように。
東京は神保町の岩波ホールで上映されています。よろしかったら。
http://www.zaziefilms.com/hiroshimanagasaki/
では、今日も元気で。
願い。
(
データあきこ☆
)
2007-08-07 10:28:14
おはようございまーす。
昨夜このブログを読んだあと、しばらくいろんなことを考えてました。
戦争って?平和って?なんで?どうして?・・・と。
答えが出ないことはわかっていても、やっぱり納得することもできません。
62年という月日が経っても、悲しみ、傷みが消えることはないんですよね。
涙が枯れることがないように・・・。
去年のブログを読んだあの日から、戦争に対する意識が変わりました。
わたしたちが知らない、遠い過去のことかもしれませんが、
その過去の上にわたしたちは今、生きている、
生きることができているんですよね。
すべて繋がっているのだから、過去をしっかり知ることから始めなければ、と。
辛い過去からも、苦しかった現実からも、目を背けてはいけないと思いました。
見上げた空が、ずっと青い空でありますように。
大切な人が、いつまでも笑顔でいられますように。
次の時代に、平和な優しいバトンをしっかり渡せるように、
今のわたしたちができることを見つけていきたいですね。
今日もみんなが元気に過ごせますように。
ではー。
今日の平和に感謝。
(
ピンクのパンダ
)
2007-08-07 18:05:56
広島平和記念公園、昨年の春、旅行で訪れました。
とても広くて綺麗な所という印象でした。
国内旅行のツアーは二度目で前回は九州!
その時も特攻隊の資料館に行き、戦争モノ(映画とか)は
大の苦手な私なので個人旅行ならおそらく
訪れなかったであろう場所です。
しかしどちらも行って来て本当によかったと思いました。
ガイドさんの涙を流しながらの解説がとても印象的で
バスの中で号泣したのを覚えています。
旅行から帰って来て、とにかく一度は行った方がいいよ!と
家族や友人たちにも勧め、日本人として、人として
ちゃんと知っておかなければいけない事なんだと
改めて考えさせられた旅でした。
Unknown
(
サオ吉
)
2007-08-07 19:35:09
ケンさん、こんばんは!
日記を見て涙が溢れました。
8/6…前後は本当に忙しくてその日が何日かも分からず。
家に帰ってきてから今日は原爆の日と知ったほどで。
恥ずかしいです。
あと、友達が広島出身で、広島では何時何分に落ちたとか詳しく毎年、習っていたそうです。
私の方では、同じ日本なのに詳しくも授業で習わなかったり。
恥ずかしいです。
これから誰が戦争、平和を願う話をしていくのか。
そんな私たちが知らなくてどうするんだ、という話ですよね。
事実を受け止めて、私ももっと勉強し直します。
ラブ&ピース
空の色。
(
ひろこ
)
2007-08-07 21:58:38
赤い空は戦火のせいかもしれない場所がまだまだあるんですよね…。
どこかと聞かれた時、ちゃんと地名を答えられない自分を情けなく思います。
学生時代に講義で、「空は何色か?」って聞かれたことがあります。
質問した先生の意図するところはきっと、
「空=青ではない、先入観にとらわれないで。」
ってことだったんだと思いますが、
深く考える前に、
空は青、山は緑、太陽は赤って浮かんでくるって
平和な証拠のような気がします。
空が赤いのは夕焼けだから。幸せなことなんですね。
62年前の広島の空の色はこれから先ずっと、
もう誰も見ちゃいけない色なんだと思います。
見ないために、聞いたり、読んだり、見たり、行ったり、
できることはいっぱいあるんですよね
。
Unknown
(
ちは
)
2007-08-07 23:34:56
戦争は過去のことだけど、決して忘れてはいけないこと…。戦争で苦しんで、自分の命を落としてまで日本の為に戦ってくれた方々がいてくれたから、今こうして毎日を過ごせていられることに、改めて感謝しなくてはいけません。
夕日の色…私もオレンジを選びます(^o^)
写真キレイでした(^-^)
Unknown
(
せな
)
2007-08-08 00:09:56
戦争の事実を知っている人はたくさんいるけど、その現実を味わった人はどんどん少なくなっているんですよね。だから私達は戦争を恐いと思わなければならない。
これから先も夕焼けをただきれいと思って見れるように。
わたしは赤い色を夕焼けに感じます。
広島
(
ちいの助
)
2007-08-10 05:47:57
ケン坊さん 久々に書き込みに来ました。
広島って聞くと黙って居られずつい…
主人の転勤で、関東育ちの私が、西日本の人間になった地が広島でした。 広島に住めて良かったです。 戦争と言う言葉、広島では、現在進行形なんだな。と 8/6に思います。 NYの911テロ以降、USAの方々が、広島を考える様になってる。とか…。 悲しいのか、嬉しい事なのか…。 何言い出すんだと、憤慨される方も居ると思いますが、 戦後生まれ、東日本人間だった私は、戦争で亡くなった人は、皆さん同じで、原爆だから…って、強調しなくても、と感じる時も、正直有りますが…。。世界初だからこそ、平和を広島から発信し続けなくては って事ですよね。 理解してる様で理解しきれて無いです。 広島離れましまが、行かなくては、との思いから、6日に行きました。 永遠に語り継がなくては。
支離滅裂な文章ですいません
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今 だ~れもいない波止場で、一人夜空を見上げて、しんみりしてきたのよ。
その場所となったのは広島でした。
学生の時、広島に修学旅行で行きました…勿論、原爆資料館も見ましたが、若かったうちには悲惨過ぎて、見る事が恐かったです…
今でも頭の中に残ってるのは人の影が写し込んだ階段です。(多分、階段でした)
「影までも写し込んだんだ」って唖然としました。
その影の人は一瞬で亡くなったのでしょう…亡くなったと言うか、消えたのでしょう…。
62年経っても被爆の為に今も年間5千人もの方々が亡くなってると聴きました。
まだ62年経っても原爆の後遺症は残っているのです!
まだその方達には戦争は終わってないのでしょう…
この前「ゾウのはな子」と言うドラマを見て泣きました…話は小学生の時に国語で習ってたので知っているのに…にも関わらず泣きました…
子供達に見せたいと思いDVDにダビングして明後日の出勤の時に持っていきます。
誰も見ないかも知れないけど、持っていきます!知ってほしいから!色んな事を!そしてどう感じたか言わなくても良いから感じて欲しい!
うちは夕日を書くなら赤色の色えんぴつで始めに塗るかな?
いつまでも美しい日本の景色を見ていたい!
長々と書いちゃいました。ごめんなさいm(_ _)m
では…。
今、私達が出来る事・伝えていかなければならない事・・・原爆を落として行った相手方の国々の人達に「あなたの祖先がこんな悲劇をもたらしたのよ」なんて言っても、実際に自分達の身にふりかかって来なければわからない事ですよね。
もしも、この原爆投下が自分達の国で起こっていたら、どんな事をしてまでも、世界各国の人達に訴えている事でしょう。
原爆・戦争・核兵器・・・実験する為に何人犠牲者を出したら気がすむんでしょうか?
人間はモルモットでもロボットでもないんです。
みんな赤い血が体全体に流れている人間なんです。
生きていける喜びを奪う権利は誰にもありません。
地球環境を悪くしているのは、全て人間なんです。
なんで、みんな仲良くして暮らしてはいけないんでしょうか?
全ての人から自由を奪う権利があるのでしょうか?
毎年と言わず毎日思っている事です。
長くなりましたが、この辺で失礼させて頂きます。
早々、夕焼け空は赤。それも明るい赤ですかね。
では。
いつか見なくてはいけない・・・
事実を知らなくてはいけない・・・
と思いつつ、恐いという勝手な感情が先にあって。
でも、被爆されたかたは、資料館どころか、想像を絶する恐怖を62年間もの間背負ってこられてるんですよね・・・
もう二度と、こんなことが起きないように。
戦争なんてしちゃいけない。
平和な空。みんなの心が集まれば、美しい夕焼けはこれからも続いてゆきますもの。
まずは祈ります。
私は28歳で、戦争の事は、学校で学んだり、映画や漫画やテレビなどで学んだりしてきました。小学生の頃は、夏休みのこの時期、家にいたり、外で遊んでいるときに飛行機やヘリコプターの飛ぶ音が聞こえると、『戦争が始まったのではないか』という恐怖を感じていたことを思い出しました。空を見上げるのが怖かったことも。
今朝、職場である保育所にて、黙祷のサイレンを聞きました。子ども達はポカーンとしていましたが、すぐに、みんなで目を瞑り、手を合わせて黙祷をささげました。その後、子ども達に今日がどんな日であるかを伝えました。たった5、6歳の子ども達ですが、じっと聞き入ってくれ、『かわいそうだね…』とつぶやく子もいましたよ。
微力ながら、子ども達に伝えていきたいです、私も。未来も永久に平和が続きますように。私も祈ります。
長文失礼しました。
今は少し星が出ています。
広島に住んでいながらも・・・資料館は一度行ったきりです。
小学生の時に行った資料館は、正直、直視できなくて
目を覆って歩いた記憶しかありません。
焼け野原になった街を立派に復興させて、こうして
住まわせてもらってる今、遅いかもしれないけど改めて足を運び、
知らなければいけないこと、忘れてはいけないこと、
微力ながらも自分に何ができるのか、もう一度、
一から学ばせてもらいます。
いつまでも青い空・綺麗なオレンジ色の夕焼け空が見れるよう、
平和を願って・・・。
間違えてました・・・済みません!!
広島は平和記念資料館なのですね。。。
日本人でありながらこんな名前の事すら間違えるなんて(恥)
ギタリストのPさんを見習わなくては・・・。
本当にそのPさんの様に1つ1つ展示物を見なくてはいけなかったなぁ・・・。
とてつもなく後悔しています。。。(今になって・・・)
他県の方が、原爆ドームや平和公園を訪れると
大抵「こんな街中にあるの?」と驚かれます。
そして、あまり知られていないかも知れませんが、
今尚、町中に「被爆建物」や「被爆樹木」など多数残っています。
街の全てが「平和資料館」なんです。
75年は草も生えないと言われていた所が、
今、とてもキレイな街になっているということも含めて…
今ある、「当たり前の風景」がたったひとつの爆弾によって一瞬で壊されたら…と考えるだけでも恐ろしいです。
世界のどこかで「戦争」は今も続いています。
「戦争」をしてイイことは何一つない!!
一刻も早く「戦争」がなくなることを心から願います。。。
世界中の人が、爆弾いっぱいの空ではなく
オレンジ色の夕焼け空を当たり前に見上げられるように…
印象深い話ですが、
原爆が落ちて、食べる物も無くて、
そんな時、畑に丸焦げになった南瓜を見つけて
割ってみると、中は黄色くてホクホクしてて
美味しくて、悲しくて・・・思い出深い味になって・・・
だから8月6日は南瓜を食べる日にしている話。
身近で人が人を殺めてしまう世の中・・・
どうなっているのかな?どうなって行くのかな?
☆人って温かいんですよ^^
優しくしたい、力になりたい、大切にしたい。
だって、幸せになる為に生まれて来たんだもん。
決して、幸せを奪う為に生まれて来たんじゃない。
日本に住んでいるのに・・・。
今日という日もテレビで「そーいえば」って思い出したし・・・。
将来、子供にそして孫にも・・・しっかり伝えられるように学んでおかなくてはいけませんよね。
美しい空を守る為にも・・・。
いただきますーってごはん食べて
いってきますーって出掛けたり
さてとーって次のこと始めたりして
ただいまーって帰ってきて
おかえりーって迎えて
おやすみーって寝て
また、おはよーって言える。
去年 対馬丸の子供たちからのメッセージを見て
あたしがこうやって過ごせる毎日や
大切な人たちが元気でいるって確信できる毎日が
どれだけ大切にするべきものか知りました。
人間の中に
正義とか正しいことをしようとする気持ちがある限り
争いごとがなくなることはないと思います。
けど
互いが認め合って許し合えたなら
戦争以外の方法が見つかるような気がします。
高校時代は平和公園が通学路だったくらい近くに住んでいました。
小学校の頃には毎年のように資料館に行きましたし、
写生大会も平和公園内でありました。
たしか私は原爆の子の像を描いたような気がします。
中学校では校内に折鶴の碑が作られてましたし、
原爆の子の像を作ろう、と動き出したのは
私の母校の中学校の生徒だったという新事実も知りました。
今までにホント何千羽と折鶴も折ってきました。
でも、ホント実感がないんです。
この広島に原爆が落とされたという実感が。
今は大学に通う電車の中でほとんど毎日原爆ドームを見ています。
それなのに、今まで19年間、ホントに何十回・何百回見たであろう建物なのに、
私の中ではただの「景色」になってるんですよね。
お恥ずかしいことですが、私のような広島県人より、
他の地方の方のほうがより関心を持っていて、
詳しいんじゃないか、と思うときすらあります。
川村さんの日記を見て、
自分を見つめ直す良い機会になりました。
私の父母どちらの両親も原爆にあっています。
なので、私は被爆三世ということになるんです。
被爆三世として、忘れないようにしなければなりません。
そして、原爆が落ちたあと、
日本が広島が何をしてきたかというのも記憶していこうと思います。
去年職場の研修旅行で、初めて平和記念資料館を訪れました。
あんなにたくさんの資料、展示を見るにはあまりにも時間がなさ過ぎて、やはり時間切れに。
今度は個人的に来ることを誓って、その場を後にしました。
Pさんの現実を知ろうとする心、熱心さ、頭が下がります。
今日テレビで、アメリカの原爆投下に関する教育について特集していました。
原爆が投下されていなかったら、戦争による犠牲者が更に増え続けたであろう、原爆を投下したからこそ最小限の犠牲で済んだ、という肯定論・・・これが今のアメリカの教育の現状。
原爆投下後、広島や長崎で何が起こったか、62年後の今、被爆した方が何を思っているかを少しでも知って欲しいと思ったというのが正直な感想です。
こんなことを書いていたって、あたし自身何も知らないし、分かっていないのかもしれません。日々、何不自由なく暮らして、平和ボケしているあたしが書くことではないのかもしれません。
でも広島と長崎合わせて39万人もの人々の尊い命が犠牲になったのに、今もなお後遺症と戦っている人、心に深い悲しみ・傷を負っっている人がいらっしゃるのに、肯定するのはやっぱり・・・
また違う番組では、教師の中でも意識改革が進み始めているということも特集していて、すぐには無理かもしれませんが、少しずつその考え・教えが広がっていくことを祈らずにはいられませんでした。
夕焼け空、あたしもきっとオレンジのクレヨンで描きます。
いつまでも平和な空が続きますように・・・
では。
あれから一年・・・未だに無知で、平和のための活動などができているわけでもありません・・・。でも、ケン坊がきっかけで、少しづつだけど、知ることが出来ました。戦争の恐ろしさ、悲惨さ、ずっと消えることのない悲しみ。そして平和が、いかに尊いものかを考えることが出来ました。
戦争を知らない時代に生まれ、授業の中で、教科書から学ぶ戦争。それまでは、江戸幕府、明治維新・・・と同じように、ひとつの歴史のなかの遠い出来事のような感覚だったのだと思います。
でも、原爆が落とされた場所は飛行機で数時間、月日もほんのちょっと前・・今身近に生きている父や母の時代の事なんですよね。
それなのに何故、知らないまま、考えないまま、この歳まで生きてきたんだろう・・・。
本当に恥ずかしい・・・というより、愚かですよね・・・。
昨年までの私のように、きっと戦争や平和について、大して考えていないであろう友人(←ゴメン・・)に、「広島に行きたい」「戦争をもっとリアルに感じて考えたい」と、言ってみたところ。「私も!!」との返答でした。なので、いつか必ず!!と、約束しました。
実は、皆きっかけや機会が無くて、あまり言葉に出していなくても、唯一の被爆国の日本人として、戦争を知って伝えなくてはならない義務は感じているのかも知れませんね。
平和を願うのは毎日ですが、悲しく重い戦争にしっかり向き合って改めて考える。人と戦争についての話をする。知る、考える、伝える。記念日を大切にしていきたいです。そして、核廃絶を切に願います・・・。
あ、あたしが描く夕焼けは・・・山に帰るカラスが飛んでます。
では。
過ごしているけれど・・・
忘れないこと、知ること、伝え残してゆくこと
そして、感謝で生きてゆきたいです。
被爆国に住んでいながら、正直、身近に感じることはありませんでした。
戦争や原爆について知っているようで、実は何も知らない・・・。
昨年、ケン坊がブログに書いてくれたあの日。
あの日を境に、戦争に対する考え方が変わりました。
そのきっかけをくれたケン坊には、本当に感謝しています。
まだまだ知らないことだらけで、それほど大きな変化はないけど、
少しずつ、前に進んでいると思います。ほんと少しずつだけどね。
先週、仕事の合間に、ある映画を観てきました。
スティーブン・オカザキ監督の「ヒロシマナガサキ」というドキュメンタリー映画。
14人の被爆者の方の証言と、4人のアメリカ人の証言を軸に構成されています。
被爆映像が随所に散りばめられ、原爆の惨状が静かに、淡々と映し出されます。
心と体に深い傷を負いながら、今日まで生きてこられた方々が、
あえて被爆体験を語り、伝え、訴える姿・・・。
そこには、世界中の誰もが共有しなければならない、語り継がれるべきことが、
本当にたくさん詰まっている・・・と感じました。
被爆者の方々の苦しみは、今も続いているんですよね。
平和の大切さ、ありがたさ、強く感じます。
二度と同じことを繰り返さないようにしなければ・・・。
オレンジ色の夕焼け、平和の空、これからもずっと見続けられるように。
東京は神保町の岩波ホールで上映されています。よろしかったら。
http://www.zaziefilms.com/hiroshimanagasaki/
では、今日も元気で。
昨夜このブログを読んだあと、しばらくいろんなことを考えてました。
戦争って?平和って?なんで?どうして?・・・と。
答えが出ないことはわかっていても、やっぱり納得することもできません。
62年という月日が経っても、悲しみ、傷みが消えることはないんですよね。
涙が枯れることがないように・・・。
去年のブログを読んだあの日から、戦争に対する意識が変わりました。
わたしたちが知らない、遠い過去のことかもしれませんが、
その過去の上にわたしたちは今、生きている、
生きることができているんですよね。
すべて繋がっているのだから、過去をしっかり知ることから始めなければ、と。
辛い過去からも、苦しかった現実からも、目を背けてはいけないと思いました。
見上げた空が、ずっと青い空でありますように。
大切な人が、いつまでも笑顔でいられますように。
次の時代に、平和な優しいバトンをしっかり渡せるように、
今のわたしたちができることを見つけていきたいですね。
今日もみんなが元気に過ごせますように。
ではー。
とても広くて綺麗な所という印象でした。
国内旅行のツアーは二度目で前回は九州!
その時も特攻隊の資料館に行き、戦争モノ(映画とか)は
大の苦手な私なので個人旅行ならおそらく
訪れなかったであろう場所です。
しかしどちらも行って来て本当によかったと思いました。
ガイドさんの涙を流しながらの解説がとても印象的で
バスの中で号泣したのを覚えています。
旅行から帰って来て、とにかく一度は行った方がいいよ!と
家族や友人たちにも勧め、日本人として、人として
ちゃんと知っておかなければいけない事なんだと
改めて考えさせられた旅でした。
日記を見て涙が溢れました。
8/6…前後は本当に忙しくてその日が何日かも分からず。
家に帰ってきてから今日は原爆の日と知ったほどで。
恥ずかしいです。
あと、友達が広島出身で、広島では何時何分に落ちたとか詳しく毎年、習っていたそうです。
私の方では、同じ日本なのに詳しくも授業で習わなかったり。
恥ずかしいです。
これから誰が戦争、平和を願う話をしていくのか。
そんな私たちが知らなくてどうするんだ、という話ですよね。
事実を受け止めて、私ももっと勉強し直します。
ラブ&ピース
どこかと聞かれた時、ちゃんと地名を答えられない自分を情けなく思います。
学生時代に講義で、「空は何色か?」って聞かれたことがあります。
質問した先生の意図するところはきっと、
「空=青ではない、先入観にとらわれないで。」
ってことだったんだと思いますが、
深く考える前に、
空は青、山は緑、太陽は赤って浮かんでくるって
平和な証拠のような気がします。
空が赤いのは夕焼けだから。幸せなことなんですね。
62年前の広島の空の色はこれから先ずっと、
もう誰も見ちゃいけない色なんだと思います。
見ないために、聞いたり、読んだり、見たり、行ったり、
できることはいっぱいあるんですよね。
夕日の色…私もオレンジを選びます(^o^)
写真キレイでした(^-^)
これから先も夕焼けをただきれいと思って見れるように。
わたしは赤い色を夕焼けに感じます。
広島って聞くと黙って居られずつい…
主人の転勤で、関東育ちの私が、西日本の人間になった地が広島でした。 広島に住めて良かったです。 戦争と言う言葉、広島では、現在進行形なんだな。と 8/6に思います。 NYの911テロ以降、USAの方々が、広島を考える様になってる。とか…。 悲しいのか、嬉しい事なのか…。 何言い出すんだと、憤慨される方も居ると思いますが、 戦後生まれ、東日本人間だった私は、戦争で亡くなった人は、皆さん同じで、原爆だから…って、強調しなくても、と感じる時も、正直有りますが…。。世界初だからこそ、平和を広島から発信し続けなくては って事ですよね。 理解してる様で理解しきれて無いです。 広島離れましまが、行かなくては、との思いから、6日に行きました。 永遠に語り継がなくては。
支離滅裂な文章ですいません