今回のコンサートは Keith Jarrett Solo 2014 Special Night ~清澄なる響きをより身近に~ でした。 しかし、素晴らしい音が、いくつかの音の重なりがホールに響いているのに遮って拍手をしてしまう人がいるという。。。 もう、こうなるとアレですね。ゴルフツアーで時々ギャラリーに向けて「静粛に」という札が掲げられているのを見たことがありますが、同じように、キースのコンサートではステージの端で「拍手は今」と書かれた札をスタッフがタイミング良く掲げるとか、そうでもしないと、“清澄なる響き”は死守できないかも、ですね。 でもそんなことをしたら興醒めです。 拍手は、湧き上がる感動や喜び・称賛・感謝などを伝えるものであって、指示されるものではありませんから。 視聴覚機能も加齢と共に衰えますしね。難しいですなぁ。
ブログは、毎日読ませて頂いてます。
キースジャレットの大阪フェスでの事、悲しいですね。
なんかイライラ~_~;します。
目立ちたいのか?
と思ったり。
こうしたらどうかと、
手荷物は、こちらでお預かりいたします。
お口に飴玉入れて頂き、ハンカチをお口につけてお聴きになって下さい。
拍手は、とても、とてもありがたいのですが、演奏途中は、辞めて頂き、キースが席を立った時点でお願いいたします。
ここまで言わせるのかと思うほど、どうですか?!
気持ち良く最高の演奏していただきたいし、最高の雰囲気の中を味わいたいものです。
ケンさん、優しいです(^.^)
そして、終わったあとの静かな余韻を楽しむことも。
圧倒的な世界が終わってすぐの、つかのまの無音状態。
それはまるで宇宙空間のようで(って、行ったことはないけど)、
もしくは、自分が透明になって、実像をなくした世界にいるような、
なんともいえない、たゆたう時間。
そして、実際は1秒か2秒のわずかな時間だと思うけれど、
時間が止まっていたのを思い出したかのように、
一斉に起こる割れんばかりの拍手でショーストップ。
何度か経験したことがあります。
全部が終わったあとの、いつまでも残る自分の内側で響いている余韻も心地良いけれど、
その瞬間の静寂した「間」という余韻もゾクゾクします。
キースのコンサートは行ったことはありませんが、
そんなぞくぞくした感動があるんだろうなあ、と思います。
ケンさんが、初めての体験(聴験? 耳験?)もできて良かったです。
今の日常生活で何百人が一斉にルールを繊細に守るっていう状況は
確かにあまりないかもしれないけれど、
でも求められているのは難しいことではないはず。
やはり、『キースのコンサートに自分も重要な役割で参加している』
っていう意識が残念ながら少し足りない方がいるってことなんでしょうね。。
そのちょっとしたことで失うものの甚大さ。
ほんとうに簡単なことなのだけれど、
ほんとうに難しい問題でもあるのだなあと。
次こそ、
聴衆とキースの完璧な世界がホールに、特に大阪に、響きますように。
いや、もう何と申しましょうか。素人なので細かいところはうまく表現できませんけれども、各曲、それぞれ色々な情景が目に浮かんで、沢山心地よい旅をした気分になりました。晴れた森の中の澄み切った湖でゆっくり泳いでいるようなそんな気分も味わいました。
神聖で、贅沢な時間でした。
それにしても、ですね。
「もうすぐキースがステージに」と云う時のお客さんの咳の嵐(今咳をしておかないと!のような)に思わず苦笑してしまいました。皆様緊張していたのでしょう。私は一度も咳は出ませんでしたがー。
そして、あのパタンという乾いた音はパンフレットの音だったとは。確か会場施設内の表示に「荷物は座席の下か足元に置いて下さい」というような注意書きがあったように記憶しています。それで私は白い生地の鞄を床に置くか迷ったのです。その方は表示に則った結果、倒してしまったのでしょうか。私も、“乾いたパタン”がその瞬間からキースに影響を与えてしまっただろうなという気がしました。
今回のコンサートは
Keith Jarrett Solo 2014 Special Night
~清澄なる響きをより身近に~
でした。
しかし、素晴らしい音が、いくつかの音の重なりがホールに響いているのに遮って拍手をしてしまう人がいるという。。。
もう、こうなるとアレですね。ゴルフツアーで時々ギャラリーに向けて「静粛に」という札が掲げられているのを見たことがありますが、同じように、キースのコンサートではステージの端で「拍手は今」と書かれた札をスタッフがタイミング良く掲げるとか、そうでもしないと、“清澄なる響き”は死守できないかも、ですね。
でもそんなことをしたら興醒めです。
拍手は、湧き上がる感動や喜び・称賛・感謝などを伝えるものであって、指示されるものではありませんから。
視聴覚機能も加齢と共に衰えますしね。難しいですなぁ。
さて。
この日は少し早めに着いたので向かいのニューオータニの中をぶらぶらしていたのですが、ピアノの音につられて歩いて行くと、ラウンジにスケルトンのグランドピアノがありました!!
そして、何と「海月」のように蒼く光り輝いて・・・はいませんでしたorz
無発光でしたが、無色のスケルトンのピアノを生で見たのは初めてでしたので、ちょっと貴重な体験でした。
ブログ最初の鍵盤の上のチケットの写真、素敵ですねー。
今年のキースの日本でのソロコンサート
最後のspecial night
いくつかの 残念は、あったとはいえ
それでも キースがその条件でできうる最高の音楽を表現してくれて 良かったです。
2000人であれ 800人であれ 1万人であれ
ルールを守るのは、自分だけでいいんですよね
ひとりひとりが 自分のことだけをきちんとしたら それで一つの 「完全な静寂」を作ることができるはずなんですよね
今回大阪のことがあってから 会場でのアナウンスは、ずいぶんと親切丁寧に案内してくださっています。でも それでもできない人がいる・・・なぜなんでしょう?
想像力の欠如なんでしょうか?
「キースが椅子から立ち上がるまで、音楽は続いています。」
「どうぞ、最後まで余韻をお楽しみください」
これが 何を意味するか 分からない人がおられるということですよね?
これは、拍手のタイミングを注意しているんだなという風に思いつかないんでしょう
この際 回りくどい言い方でなく
「キースが鍵盤から手を離しても 音楽は、続いていますので余韻をお楽しみいただいて キースが椅子から立ち上がってから拍手をしてください。」 まで 具体的に表現しない限り 通じないような気がします。
荷物に関しても 「何かを立て掛けると倒れた時に音がします。絶対に立て掛けず寝かして置いてください」 まで 言わないと伝わらないのでしょう
子供じゃないけど そこまでしなければ
通じない 悲しいことです。
いつから 日本人は、想像力がなくなってしまったのかな?
キースがまた あの素晴らしい観客のいる日本で演奏したいよって言ってくれることを 願うばかりです。