コメント
戦争・・・命より大切なモノはない。
(
MAKI
)
2007-08-15 23:29:01
中学生の頃は、好きな人の映画を観によく行きました。
アイドル歌手主演のね^^
でも・・・友達と一緒に“ひめゆりの塔”を
観に行った時に、心にリアルに衝撃を受けて、
映画館を出ても戦争が続いていたら・・・
そんな恐さのせいで、映画館が苦手になりました。
戦争のドラマとかを見ると必ず思うのが
おにぎりを差し入れたい。薬を持って行きたい。
助けに行きたい・・・とかね。
でも結局・・・何も出来ない自分を知るだけで、
起こりえる戦争を止める事が出来ない・・・。
☆62年前があるから今がある。
毎日を大切に生きていきたいですね、ケンさん。
ちょっとそこへ座りたまえ!
(
恋心
)
2007-08-15 23:32:08
本当にケン坊さんの書いてる通りです!(同感)
そんな事言ってる人(若者)がいるなんてショックです。。。
戦争はしたって何の解決にもならないし
やったところで何が残るのでしょう?人と人が殺しあって・・・
残るのは悲しい記憶と多くの死骸と恐怖を体験をした事でのトラウマではないですか?
戦争で帰ってきた軍人さんは戦争の事を口にしなかったそうですね。。。
言う事も出来ない位の体験をしたんでしょう。。。
中には狂ってしまった方も居たって聴きます。。。
軍人として戦争した人でも「したくて戦地に行った」訳でなく
「行かなくてはならなくて嫌々ながら戦地に行ったのです」
中には志願して行った方も居ると思いますが
その時にはもうマインドコントロールされてたんじゃなでしょうか?
「お国の為に!」でも死ぬ間際には「お母さん!」と叫んで死んだ若い兵士も居た筈。。。
その時に初めて心の中の言葉が出たんじゃないかと思います。。。
今日はテレビで色んな戦争に関する番組を見ました。
「はだしのゲン」を描いた漫画家さんの事もしてました
(名前が出てこなくて済みません。。。)
あれは本人の本当の体験なんだと初めて知りました!
そして今ではもう絵を描く事も出来ないそうです。。。
体がアチコチダメになってるので・・・
それでも学校へ行って講演をして戦争の悲惨さを訴えています!
まだまだ書きたい事はありますが。。。
長々と書いてしまいました
では~~
(支離滅裂ですみません・・・)
事実。
(
ふみえ
)
2007-08-15 23:36:52
知らないことだらけです。
何となくでしか知らないことも沢山。
胸が詰まります。ケンさんの文を読むだけで、
涙がでます。
映像をみると嘘みたい。
映画じゃなくて、実際にあった出来事だなんて。
国の為に自分の命を。
死ぬとわかっていながらの戦い。
恐怖なんてものじゃないんでしょうね。
悲しすぎる。どんな気持ちだったんだろう・・・
なんて想像しても絶対にわからない。
こんな悲惨な悲劇。もう絶対にに嫌だ!!
私たちは平和ぼけしてる。
今を生きているから、戦争時代をわからないのは当然で、でも、事実を知ると言うこと、その人たちの命によって今があるということ・・・深く心にとめておかなくてはいけませんね。
戦争は絶対に嫌だ!いけない!
私の父方の祖父(岡山に住んでます)は戦争で中国に行ったそうです。
人を殺めたこと。もう思い出したくないと、私は生まれてから一度も祖父から戦争の話を聞いたことがありません。父もほとんど聞いてないそうです。
命はあっても、一生背負う心の傷。
伝えていかなくてはいけないこと。聞いておかなくてはいけないこと。でも話したくもないこと。
母方の祖母(他界してます)は一緒に住んでいたのでよく話してくれました。
本当に恐かった。でも聞かなくちゃいけない気がして
子供ながらにいつも話してもらっていました。
もう今は聞けない。もっと聞いておけばよかった。
戦争をして幸せだったなんて聞いたことありません。
勝っても負けても誰も何の得にもならない。
もう二度とおきませんように。世界が平和でありますように。
今日、
(
みい
)
2007-08-15 23:47:46
病院で顔見知りになったおじいちゃんから、
戦争時の話を聞いたばかりです。
そんな時代を必死に生きてこられた方々に
「しょうがない」なんて言葉、
絶対聞かせたくない。
私もケン坊と同じ気持ちです。
Unknown
(
684号
)
2007-08-16 00:01:11
私の父方の祖父も母方の祖父も帰還兵でした。特に父方の祖父からは小さな頃から戦時中の話を聞かされました。ラバウルに行っていた事。上官には逆らえなかった事。相手の兵士にも自分と同じ様に祖国に家族を残して来ていると思いながらも戦った事。
祖父は牛肉が食べられない人でした。何故なら戦地で食料もなく牛を捕まえて自分達で捌いて食べたんだそうです。牛肉を食べると戦争の記憶が蘇ってどうしても食べられないと。
帰還兵の方達は今でもPTSDを患っている方もいるそうです。もう戦後62年も立っているのに。今の私達はその犠牲の上に生きて居る事を忘れてはいけないですよね。
☆こんばんわ☆
(
秋菜
)
2007-08-16 00:34:32
今日、お墓参りに行ってきました。
戦病死した祖父と、一昨年亡くなった祖母のお墓です。
小さい墓場なんですけど、結構いい場所にお墓が立ってるんですね。
その理由は、戦死した人のお墓は優先的に、いい場所に立ってるんだそうです。
今日、父から聞いて知り、複雑な気持ちになりました。
祖父は喜んでいるんでしょうか・・・。
なんだか、何て書いていいのか解らなくなってきましたが・・・
とにかく!戦争はもう二度としてはいけませんよね!
今、戦争に関心がない若者も、何年か先に気付くはずです。
私だって、高校生の頃は関心なかった(さすがに「やられたらやり返せ!」とまでは思ってませんよ)けど、今は戦争の事、知ろうとしてますから。
知ること、伝えていくこと…
(
みつこ
)
2007-08-16 00:54:51
62年前の夕焼けも、きっとケンさんの写真のように綺麗だったのでしょう。
私が生まれた年は、戦後20年近くたっていたのにもかかわらず、まだまだ戦争が身近にあったような気がします。高度成長期を支える人々と、四肢の一部を失った傷痍軍人…対極ともいえる状況を見ながら、幼いながらも疑問に思い、母に聞いたことがありました。子どもの頃特攻隊に憧れた父、母の実家に疎開してきた親戚の方々の生活、沖縄戦で戦死し、遺骨さえ戻って来なかった父の叔父、戦後だいぶたって沖縄へ自由に行けるようになってから父はすぐ行き、せめて沖縄の土だけでもと持ち帰り、お墓にいれたこと…たぶん、私は一生忘れないと思います。
私の子どもも20歳、戦争当時軍人として戦っていた方々と同じくらいの歳になりましたが、先人たちが未来に馳せた思いや夢は、知っているかぎり次の世代に伝えていきたいと思います。
終戦
(
みさごん
)
2007-08-16 00:57:41
写真綺麗に写ってますね。
戦争中って今日みたいな猛暑日が幾日も続いていたんだろうなーって。
そんな中、終戦の知らせを聞いた人々の心や精神面でのケアって考えたら。
しんどかったんだろうな~。
今、世界中で戦争している国や戦争してなくてもどこかで必ずってほど、殺人事件なんか起きてるでしょ。
あれって一種の戦争と同じだよね。
自分だけが生き残るには、他人の事なんて考えてないから、人を殺めたりするんでしょ。
何が大切か?をわからない人達が多過ぎ。
世の中おかしくなってきている証拠だよね。
さて、話は変わりますが、今日の猛暑日ケン坊はどう過ごしてましたか?
熱中症にならなかったですか?
ちょっと動いただけで、大粒の汗がしたたり落ちるくらいの暑さでしたよね。
気温が40℃って体温より高いんだよ。高熱じゃない。それだけ地球が高熱だしてるんだよね。
私はね、なるべく朝晩と水撒きして気温をさげようと努力してるけど、結局どの家庭でもエアコンつけなきゃ熱中症になるからやむを得ないとわかっていてつけるでしょ。
打ち水みんなでやれば地球が少しは「楽」って言ってるような気がします。
あまり暑いと「ムカつく」とか言って関係ない人を殺めたりしちゃいますから、まずは心落ち着かせるためにもエコが必要なんですよ。
盆休みは終わり。明日から(今日)は仕事です。
暑いけど頑張ります。
では、おやすみなさい。
夕焼け
(
みかわ
)
2007-08-16 01:37:31
写真、きれいすぎてちょっとしんどいです。
今朝、なぜが早く目が覚めたので
かりてきてあった映画をみました。
戦争のものではないんですが
すべての人に愛すべき場所や家族があって
亡くなってしかたなかった命なんて
ひとつもないんだって思いました。
日本にとっては戦争は終わったものかもしれないけれど
地球上では今なお戦時下におかれてる場所があります。
悲しいです 何もできなくて…
若者の言葉
(
もりもり
)
2007-08-16 02:05:43
自分の身近になければ、無関心・無責任になってしまうのは仕方のないことかもしれませんが
それでもあまりに悲しいですよね。
時代は繰り返す、なんて言葉がありますが、
細かい内容は変わっているにしろ、大筋の歴史を確かに繰り返す方向に進んでいるような気がして恐ろしいです。
でも繰り返す恐れを知りながら、それに甘んじるなんて馬鹿げたことですよね。
どのようにしても食い止められないものなのでしょうか。
綺麗な夕焼け。
(
にょみこ
)
2007-08-16 03:03:59
アメリカと日本、国同士が戦った戦争・・・。でも、実際に戦っていたのは生身の「人」と「人」。そしてその多くの人は、戦争が始まる前の生活では、人同士が殺しあうことなど考えもせずに暮らしてきた、私達と同じ、「すぐ隣の人達」なんですよね。
日本が負けて終戦。この硫黄島の戦いでも伝えられていように、実際に戦ったアメリカの兵士達は、勝利したことの喜びなんかをはるかに上回る、辛く悲しい体験・・・記憶に、その後の人生も縛られて、苦しんで・・・。
戦争は、勝てばめでたし、なんかでは決してなく。どちらの国の人々も沢山死に、傷付き、その家族や恋人や友人達の人生をも悲しく変えてしまう。
本当に、ほんの62年前の出来事。想像もつかないほどの悲惨な「戦争」を経験した我が国日本。沢山の方達が苦しみながら死んでいった「犠牲」。そこから学んだ、決して忘れてはいけない大切なこと、風化させてしまうには余りに早過ぎる・・・。ここで戦争について考えるようになってから、そう思います。
「戦争はもう二度と・・・絶対にしてはいけない。」
沢山の犠牲を知り、決して忘れず、後世に伝え「戦争のない平和な国」を守っていきたいです。
何年先も、平和な空の綺麗な夕焼が見られるように・・・。
ではー。
何も語らず…
(
正直者
)
2007-08-16 05:18:14
父方 母方の祖父も戦地に行ったそうですが、当時は『甲種合格』
この意味すら分かりませでした。人を 甲乙丙に選別してたとか。
戦争の事は絶対に口にする事なく胸に秘めたまま他界しました。
映画などで語られるものより、実際はもっともっと悲惨で残酷なものであったと
今現在こうして、平和な暮らしが出来ていますこと、改めて感謝いたします。
戦後62年・・・
(
やよっぺ
)
2007-08-16 07:50:01
ケン坊、おはようございます。
62年前の夕焼け、当時の人々はどんな思いで見たのでしょう・・・
母方の祖父も戦地へ赴いたうちのひとり。他界してから12年経ちましたが、帰還してから戦地でのことを話したことはないそうです。
あたしには想像し尽せないほど、辛く悲しい体験をしたのでしょうね。
それをずっと胸に抱えたまま生きていた祖父。あたしにとっては優しいおじいちゃんだったけど、あの笑顔の裏にそんな思いもあったんだ・・・
全てが「お国のため」だったあの時代。何の疑問も抱かず戦地へ赴く「すぐ隣の人達」。
「玉砕を」「捕まるなら自決を」という精神。
そう教育され、そういう風潮だったとは言え、恐ろしいことです。
それが62年前まで現実に起こっていたこと。
昨日の戦没者追悼式に、参列した戦没者の親はひとりだけだったいうことをニュースで知りました。
62年・・・すでに昔のこと?自分には関係ない?
そんなこと絶対にないはず。
平和な「今」を生きているあたしたちが無関心でなんていてはいけない。
たくさんの方達の犠牲の上にこの平和が成り立っていること、知らなくては。後世に伝えていかなくては。
そして「戦争をくり返さない」こと誓わなければ。
では。
おはようございます。
(
みこ
)
2007-08-16 09:07:56
こわいくらい美しい夕焼けですね。
今日からお休み、お墓参りに行って来ます。
昨日は終戦の日、正午にサイレンが鳴りました。
どちらもが被害者であり加害者にもなる戦争。
命という一番大切なものを犠牲にして、いったい何を
得ようと云うのだろう・・。
戦争が無くなりますように・・・
みんなが笑って暮らせるように・・・
黙想・・。
手紙
(
BB
)
2007-08-16 10:44:38
ケンさん、観られたんですね、映画
硫黄島は悲惨でしたね。
本土に近く、サイパンからの直線上にあったという皮肉な立地が“時間稼ぎ”的ゲリラ戦を生んでしまったのでしょうね。栗林中将は玉砕を認め無かったのに、それでも自ら・・・という方が多かったなんて、よほどの苦しい戦いだったのでしょう。
アメリカ軍は比較的命を大切にする戦いであったのに対し、日本の戦いは命さえも武器といった感じでしたからね。米兵の目には異常だと映っていたようです。
硫黄島で実際戦った兵隊さんが身近な職業の方や体の弱い方だったのは・・・もしかしたら硫黄島だったからなのかも知れませんよね
栗林中将が硫黄島に派遣された理由を思うと、何となくそんな気がします・・・。
今世界で起きてる戦争や、今後起こり得る戦争は本当になんとかして無くなって欲しいですけど、62年前の戦争に関してはどうしてもっと早く降伏しなかったのかな・・・っていうやるせない思いが常にあります。今言ってみても仕方ないんですけど・・・ね。
テレビのインタビューで広島の若者が「原爆が落ちたとか興味無いっすね」って言ってたのはショックでした・・・。
平和。
(
ムツミ
)
2007-08-16 12:38:36
原爆や戦争の事実のみならず、理不尽に命を落とさなければならなかった
「すぐ隣の人達」がたくさんいた、ということ。絶対に忘れちゃいけないこと。
まだ62年しか経っていないのに、確実に風化しつつあります。
後の世代に伝えていかなければ、語り続けていかなければ・・・と強く思います。
昨日、戦争体験者の方を紹介していただき、お会いしてきました。
「お国のために」と、葛藤を抱えながら戦地に向かった方々の、本当の思い。
大切な人を送り出した、引き裂かれるような、潰されるような思い。
恐怖に怯え、震え、堪える日々。
私の想像なんて遥かに超えた悲しみ、辛さ、痛み。
本当に色々なことを考えさせられ、様々な思いが込み上げました。
ケン坊のブログ、昨夜読んだんですが、
何を書いたらいいのかわからなくなって、結局書けず…。
今言えることは、戦争は絶対にしちゃいけない。
弱い立場の人達、本当に多くの犠牲があって、今の私たちがあるんだ、ってこと。
これから、まだまだ、もっともっと考えます。
知ることから逃げていたら、過去から学ばなければ、
また同じことを繰り返してしまうことになるから・・・ね。
涙が出そうなほど美しい夕焼け。
キレイだな、って思える私たちは、とっても幸せなんだ。
平和な今日に、ありがとう。
世界が平和でありますように。
では、今日も元気で。
62年という時間。
(
データあきこ☆
)
2007-08-16 16:31:45
こんにちはー。
もう62年なのか、まだ62年なのかわかりませんが、
何年経ってもこの事実は決して忘れてはいけませんよね。
書きたいことも思っていることもたくさんあるのに、
なかなか言葉が見つかりません。
いろんな想いが心の中で交差してます。
ただひとつはっきり言えるのは、やっぱり戦いは絶対ダメということ。
そして戦争で流した涙、落とした命を絶対無駄にしないように、
今を生きるわたしたちがちゃんと“次”に繋げていかなければ・・・と。
何年後も何十年後も、優しい気持ちでこの夕焼けを見ていられますように。
昨夜、流れ星をひとつ見ました。
あれが未来への希望の光だったらいいな。
ではー。
無言
(
ちり
)
2007-08-16 21:31:08
昨年、主人が中国の友人の家へ行きました。
目的の1つは、日本人が大虐殺をした某所を自分の目で見ること。
帰ってきた主人から聴かされたことは‥
ありません。
伝える言葉が見つからないそうです‥
でも、その表情から感じとれたことは、私も忘れません。
戦争は、常に被害者であり、加害者である。
日本がしてきたことからも、目をそらしてはいけないと感じます。
改めて考える機会をくださって、ありがとうございました。
向き合う。
(
ひろこ
)
2007-08-16 23:05:01
誰かや何かの為に死ななきゃいけないことや、
死を選ぶしかないほどの状況を、
想像してみてもできなくて、もやもやしてて、
でもできるようにならなくちゃいけない。
誰かときちんと向かい合って話がしたいです。
過去のことも、未来のことも、
考えることがいっぱいで、
逃げている場合ではないですね。
広島
(
くりすぴぃにゃ
)
2007-08-17 17:01:19
小学2年生のときに広島の原爆記念館?に言った事があります。
火の中を逃げる人の蝋人形があって印象的でしたが、「怖い」くらいにしか感じなかったように思います。
ケン坊さんの写真のような平和な夕焼けがずっとみられるといいですね。
うーん
(
なか
)
2007-08-19 01:40:52
絵本?かな、僕が見たイラク戦争ってゆうのが、あります。 読んで見て下さい。 戦争は、今でも起こってるんですね。 早くなくなればいいですね
うーん
(
なか
)
2007-08-19 01:42:55
絵本?かな、僕が見たイラク戦争ってゆうのが、あります。 読んで見て下さい。 戦争は、今でも起こってるんですよね。 戦争の傷あとは今でも残ってますし、みんながやらないという気持ちだけは、もって欲しいですね
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アイドル歌手主演のね^^
でも・・・友達と一緒に“ひめゆりの塔”を
観に行った時に、心にリアルに衝撃を受けて、
映画館を出ても戦争が続いていたら・・・
そんな恐さのせいで、映画館が苦手になりました。
戦争のドラマとかを見ると必ず思うのが
おにぎりを差し入れたい。薬を持って行きたい。
助けに行きたい・・・とかね。
でも結局・・・何も出来ない自分を知るだけで、
起こりえる戦争を止める事が出来ない・・・。
☆62年前があるから今がある。
毎日を大切に生きていきたいですね、ケンさん。
そんな事言ってる人(若者)がいるなんてショックです。。。
戦争はしたって何の解決にもならないし
やったところで何が残るのでしょう?人と人が殺しあって・・・
残るのは悲しい記憶と多くの死骸と恐怖を体験をした事でのトラウマではないですか?
戦争で帰ってきた軍人さんは戦争の事を口にしなかったそうですね。。。
言う事も出来ない位の体験をしたんでしょう。。。
中には狂ってしまった方も居たって聴きます。。。
軍人として戦争した人でも「したくて戦地に行った」訳でなく
「行かなくてはならなくて嫌々ながら戦地に行ったのです」
中には志願して行った方も居ると思いますが
その時にはもうマインドコントロールされてたんじゃなでしょうか?
「お国の為に!」でも死ぬ間際には「お母さん!」と叫んで死んだ若い兵士も居た筈。。。
その時に初めて心の中の言葉が出たんじゃないかと思います。。。
今日はテレビで色んな戦争に関する番組を見ました。
「はだしのゲン」を描いた漫画家さんの事もしてました
(名前が出てこなくて済みません。。。)
あれは本人の本当の体験なんだと初めて知りました!
そして今ではもう絵を描く事も出来ないそうです。。。
体がアチコチダメになってるので・・・
それでも学校へ行って講演をして戦争の悲惨さを訴えています!
まだまだ書きたい事はありますが。。。
長々と書いてしまいました
では~~(支離滅裂ですみません・・・)
何となくでしか知らないことも沢山。
胸が詰まります。ケンさんの文を読むだけで、
涙がでます。
映像をみると嘘みたい。
映画じゃなくて、実際にあった出来事だなんて。
国の為に自分の命を。
死ぬとわかっていながらの戦い。
恐怖なんてものじゃないんでしょうね。
悲しすぎる。どんな気持ちだったんだろう・・・
なんて想像しても絶対にわからない。
こんな悲惨な悲劇。もう絶対にに嫌だ!!
私たちは平和ぼけしてる。
今を生きているから、戦争時代をわからないのは当然で、でも、事実を知ると言うこと、その人たちの命によって今があるということ・・・深く心にとめておかなくてはいけませんね。
戦争は絶対に嫌だ!いけない!
私の父方の祖父(岡山に住んでます)は戦争で中国に行ったそうです。
人を殺めたこと。もう思い出したくないと、私は生まれてから一度も祖父から戦争の話を聞いたことがありません。父もほとんど聞いてないそうです。
命はあっても、一生背負う心の傷。
伝えていかなくてはいけないこと。聞いておかなくてはいけないこと。でも話したくもないこと。
母方の祖母(他界してます)は一緒に住んでいたのでよく話してくれました。
本当に恐かった。でも聞かなくちゃいけない気がして
子供ながらにいつも話してもらっていました。
もう今は聞けない。もっと聞いておけばよかった。
戦争をして幸せだったなんて聞いたことありません。
勝っても負けても誰も何の得にもならない。
もう二度とおきませんように。世界が平和でありますように。
戦争時の話を聞いたばかりです。
そんな時代を必死に生きてこられた方々に
「しょうがない」なんて言葉、
絶対聞かせたくない。
私もケン坊と同じ気持ちです。
祖父は牛肉が食べられない人でした。何故なら戦地で食料もなく牛を捕まえて自分達で捌いて食べたんだそうです。牛肉を食べると戦争の記憶が蘇ってどうしても食べられないと。
帰還兵の方達は今でもPTSDを患っている方もいるそうです。もう戦後62年も立っているのに。今の私達はその犠牲の上に生きて居る事を忘れてはいけないですよね。
戦病死した祖父と、一昨年亡くなった祖母のお墓です。
小さい墓場なんですけど、結構いい場所にお墓が立ってるんですね。
その理由は、戦死した人のお墓は優先的に、いい場所に立ってるんだそうです。
今日、父から聞いて知り、複雑な気持ちになりました。
祖父は喜んでいるんでしょうか・・・。
なんだか、何て書いていいのか解らなくなってきましたが・・・
とにかく!戦争はもう二度としてはいけませんよね!
今、戦争に関心がない若者も、何年か先に気付くはずです。
私だって、高校生の頃は関心なかった(さすがに「やられたらやり返せ!」とまでは思ってませんよ)けど、今は戦争の事、知ろうとしてますから。
私が生まれた年は、戦後20年近くたっていたのにもかかわらず、まだまだ戦争が身近にあったような気がします。高度成長期を支える人々と、四肢の一部を失った傷痍軍人…対極ともいえる状況を見ながら、幼いながらも疑問に思い、母に聞いたことがありました。子どもの頃特攻隊に憧れた父、母の実家に疎開してきた親戚の方々の生活、沖縄戦で戦死し、遺骨さえ戻って来なかった父の叔父、戦後だいぶたって沖縄へ自由に行けるようになってから父はすぐ行き、せめて沖縄の土だけでもと持ち帰り、お墓にいれたこと…たぶん、私は一生忘れないと思います。
私の子どもも20歳、戦争当時軍人として戦っていた方々と同じくらいの歳になりましたが、先人たちが未来に馳せた思いや夢は、知っているかぎり次の世代に伝えていきたいと思います。
戦争中って今日みたいな猛暑日が幾日も続いていたんだろうなーって。
そんな中、終戦の知らせを聞いた人々の心や精神面でのケアって考えたら。
しんどかったんだろうな~。
今、世界中で戦争している国や戦争してなくてもどこかで必ずってほど、殺人事件なんか起きてるでしょ。
あれって一種の戦争と同じだよね。
自分だけが生き残るには、他人の事なんて考えてないから、人を殺めたりするんでしょ。
何が大切か?をわからない人達が多過ぎ。
世の中おかしくなってきている証拠だよね。
さて、話は変わりますが、今日の猛暑日ケン坊はどう過ごしてましたか?
熱中症にならなかったですか?
ちょっと動いただけで、大粒の汗がしたたり落ちるくらいの暑さでしたよね。
気温が40℃って体温より高いんだよ。高熱じゃない。それだけ地球が高熱だしてるんだよね。
私はね、なるべく朝晩と水撒きして気温をさげようと努力してるけど、結局どの家庭でもエアコンつけなきゃ熱中症になるからやむを得ないとわかっていてつけるでしょ。
打ち水みんなでやれば地球が少しは「楽」って言ってるような気がします。
あまり暑いと「ムカつく」とか言って関係ない人を殺めたりしちゃいますから、まずは心落ち着かせるためにもエコが必要なんですよ。
盆休みは終わり。明日から(今日)は仕事です。
暑いけど頑張ります。
では、おやすみなさい。
今朝、なぜが早く目が覚めたので
かりてきてあった映画をみました。
戦争のものではないんですが
すべての人に愛すべき場所や家族があって
亡くなってしかたなかった命なんて
ひとつもないんだって思いました。
日本にとっては戦争は終わったものかもしれないけれど
地球上では今なお戦時下におかれてる場所があります。
悲しいです 何もできなくて…
それでもあまりに悲しいですよね。
時代は繰り返す、なんて言葉がありますが、
細かい内容は変わっているにしろ、大筋の歴史を確かに繰り返す方向に進んでいるような気がして恐ろしいです。
でも繰り返す恐れを知りながら、それに甘んじるなんて馬鹿げたことですよね。
どのようにしても食い止められないものなのでしょうか。
日本が負けて終戦。この硫黄島の戦いでも伝えられていように、実際に戦ったアメリカの兵士達は、勝利したことの喜びなんかをはるかに上回る、辛く悲しい体験・・・記憶に、その後の人生も縛られて、苦しんで・・・。
戦争は、勝てばめでたし、なんかでは決してなく。どちらの国の人々も沢山死に、傷付き、その家族や恋人や友人達の人生をも悲しく変えてしまう。
本当に、ほんの62年前の出来事。想像もつかないほどの悲惨な「戦争」を経験した我が国日本。沢山の方達が苦しみながら死んでいった「犠牲」。そこから学んだ、決して忘れてはいけない大切なこと、風化させてしまうには余りに早過ぎる・・・。ここで戦争について考えるようになってから、そう思います。
「戦争はもう二度と・・・絶対にしてはいけない。」
沢山の犠牲を知り、決して忘れず、後世に伝え「戦争のない平和な国」を守っていきたいです。
何年先も、平和な空の綺麗な夕焼が見られるように・・・。
ではー。
この意味すら分かりませでした。人を 甲乙丙に選別してたとか。
戦争の事は絶対に口にする事なく胸に秘めたまま他界しました。
映画などで語られるものより、実際はもっともっと悲惨で残酷なものであったと
今現在こうして、平和な暮らしが出来ていますこと、改めて感謝いたします。
62年前の夕焼け、当時の人々はどんな思いで見たのでしょう・・・
母方の祖父も戦地へ赴いたうちのひとり。他界してから12年経ちましたが、帰還してから戦地でのことを話したことはないそうです。
あたしには想像し尽せないほど、辛く悲しい体験をしたのでしょうね。
それをずっと胸に抱えたまま生きていた祖父。あたしにとっては優しいおじいちゃんだったけど、あの笑顔の裏にそんな思いもあったんだ・・・
全てが「お国のため」だったあの時代。何の疑問も抱かず戦地へ赴く「すぐ隣の人達」。
「玉砕を」「捕まるなら自決を」という精神。
そう教育され、そういう風潮だったとは言え、恐ろしいことです。
それが62年前まで現実に起こっていたこと。
昨日の戦没者追悼式に、参列した戦没者の親はひとりだけだったいうことをニュースで知りました。
62年・・・すでに昔のこと?自分には関係ない?
そんなこと絶対にないはず。
平和な「今」を生きているあたしたちが無関心でなんていてはいけない。
たくさんの方達の犠牲の上にこの平和が成り立っていること、知らなくては。後世に伝えていかなくては。
そして「戦争をくり返さない」こと誓わなければ。
では。
今日からお休み、お墓参りに行って来ます。
昨日は終戦の日、正午にサイレンが鳴りました。
どちらもが被害者であり加害者にもなる戦争。
命という一番大切なものを犠牲にして、いったい何を
得ようと云うのだろう・・。
戦争が無くなりますように・・・
みんなが笑って暮らせるように・・・
黙想・・。
硫黄島は悲惨でしたね。
本土に近く、サイパンからの直線上にあったという皮肉な立地が“時間稼ぎ”的ゲリラ戦を生んでしまったのでしょうね。栗林中将は玉砕を認め無かったのに、それでも自ら・・・という方が多かったなんて、よほどの苦しい戦いだったのでしょう。
アメリカ軍は比較的命を大切にする戦いであったのに対し、日本の戦いは命さえも武器といった感じでしたからね。米兵の目には異常だと映っていたようです。
硫黄島で実際戦った兵隊さんが身近な職業の方や体の弱い方だったのは・・・もしかしたら硫黄島だったからなのかも知れませんよね
栗林中将が硫黄島に派遣された理由を思うと、何となくそんな気がします・・・。
今世界で起きてる戦争や、今後起こり得る戦争は本当になんとかして無くなって欲しいですけど、62年前の戦争に関してはどうしてもっと早く降伏しなかったのかな・・・っていうやるせない思いが常にあります。今言ってみても仕方ないんですけど・・・ね。
テレビのインタビューで広島の若者が「原爆が落ちたとか興味無いっすね」って言ってたのはショックでした・・・。
「すぐ隣の人達」がたくさんいた、ということ。絶対に忘れちゃいけないこと。
まだ62年しか経っていないのに、確実に風化しつつあります。
後の世代に伝えていかなければ、語り続けていかなければ・・・と強く思います。
昨日、戦争体験者の方を紹介していただき、お会いしてきました。
「お国のために」と、葛藤を抱えながら戦地に向かった方々の、本当の思い。
大切な人を送り出した、引き裂かれるような、潰されるような思い。
恐怖に怯え、震え、堪える日々。
私の想像なんて遥かに超えた悲しみ、辛さ、痛み。
本当に色々なことを考えさせられ、様々な思いが込み上げました。
ケン坊のブログ、昨夜読んだんですが、
何を書いたらいいのかわからなくなって、結局書けず…。
今言えることは、戦争は絶対にしちゃいけない。
弱い立場の人達、本当に多くの犠牲があって、今の私たちがあるんだ、ってこと。
これから、まだまだ、もっともっと考えます。
知ることから逃げていたら、過去から学ばなければ、
また同じことを繰り返してしまうことになるから・・・ね。
涙が出そうなほど美しい夕焼け。
キレイだな、って思える私たちは、とっても幸せなんだ。
平和な今日に、ありがとう。
世界が平和でありますように。
では、今日も元気で。
もう62年なのか、まだ62年なのかわかりませんが、
何年経ってもこの事実は決して忘れてはいけませんよね。
書きたいことも思っていることもたくさんあるのに、
なかなか言葉が見つかりません。
いろんな想いが心の中で交差してます。
ただひとつはっきり言えるのは、やっぱり戦いは絶対ダメということ。
そして戦争で流した涙、落とした命を絶対無駄にしないように、
今を生きるわたしたちがちゃんと“次”に繋げていかなければ・・・と。
何年後も何十年後も、優しい気持ちでこの夕焼けを見ていられますように。
昨夜、流れ星をひとつ見ました。
あれが未来への希望の光だったらいいな。
ではー。
目的の1つは、日本人が大虐殺をした某所を自分の目で見ること。
帰ってきた主人から聴かされたことは‥
ありません。
伝える言葉が見つからないそうです‥
でも、その表情から感じとれたことは、私も忘れません。
戦争は、常に被害者であり、加害者である。
日本がしてきたことからも、目をそらしてはいけないと感じます。
改めて考える機会をくださって、ありがとうございました。
死を選ぶしかないほどの状況を、
想像してみてもできなくて、もやもやしてて、
でもできるようにならなくちゃいけない。
誰かときちんと向かい合って話がしたいです。
過去のことも、未来のことも、
考えることがいっぱいで、
逃げている場合ではないですね。
火の中を逃げる人の蝋人形があって印象的でしたが、「怖い」くらいにしか感じなかったように思います。
ケン坊さんの写真のような平和な夕焼けがずっとみられるといいですね。