コメント
 
 
 
ヒロシマ (麻帆)
2008-03-26 23:30:17
広島の人でも,原爆を落とされた日を知らなぃ人がぃるのゎ,すごぃ悲しぃことだと思ぃます。だって,これからもこの事実を伝ぇなぃといけなぃですから!!!!!!!

私ゎ,広島に住んでぃます。そして,私のぉばぁちゃんゎ原爆被害者です。
私の場合ゎ,小さぃ頃から話をょく聞かせてもらってたんで原爆とぃうことを知ってぃます。もちろん,日にちも。
でも,話を聞ぃていなぃ人の方が実際多ぃんですょね。そのことを考ぇたら,私たちが伝ぇなければならなぃんだと,今日の日記を読んで考ぇさせられました。
ぁりがとぅござぃました。
では-。
 
 
 
Unknown (ライ)
2008-03-26 23:36:37
どうして戦争が行われるのか…私はよく分かりません。そりゃあ財産とか土地とかいろんな問題があってそれがエスカレートして戦争という形になってるとは思うんですけど…戦争で手に入れた物って心から喜べないのではないかと思います。喜ぶとか喜ばないとかそういう話じゃないですけど、戦争はただたくさんのものを奪い取るだけだと思います。テレビのSP番組で戦争の話を見てもただただ涙が止まりません。私は一応広島人なんで原爆のことは物心ついたときから知ってますけど…自分の無力感を痛感します。
 
 
 
ヒロシマ ()
2008-03-26 23:37:29
私は先生方に恵まれ、広島について中学から深く学ぶことができました。
中でも1番熱心だった先生と久しぶりに会いました。最初の他愛のない話からヒロシマの話に。
昨年、一人旅で広島へ行ったことを話すと
「そうか、それは嬉しいな。いいか?あと少ししたら戦争を体験した世代が日本にはいなくなるんだ。お前が“忘れない”こと。最低限、それだけでいい。」と。一瞬「それだけでいいの?なんかしなきゃだめじゃない?」って聞き返そうとしましたが、先生の言っている意味がなんとなく理解できて言葉を飲み込みました。“忘れない”ってこと。私は約束を守ろうと思います。
 
 
 
先日・・・ (みさえ)
2008-03-26 23:38:40
TVで東京大空襲の放送(2夜連続)を見て思ったんですが、広島・長崎よりも先に東京は空襲にあっていたんですよね。
私の住んでいる所はたまたまこの空襲の被害がありませんでしたが、酷いです。

何故、罪もない人達の命を奪うんだろうって。
そんな権利誰にもないじゃ~ないですかー。

悲しすぎます。
実験したければ、人も動物も植物もいないところで、実験すればいい事でしょ。

戦争したって何にもならない。
悲しみだけが残るだけ。

ケンちゃん、そうじゃないですか?

いつも、ケンちゃんが広島や長崎の事を色々教えてくれていますが、その前に東京の事も皆さんに教えてあげて下さい。

空襲と原爆は違うかもしれませんが、人の命がなくなる事は一緒でしょ。

両方ともアメリカがやった事。

なんで、どうして、自分達の国でやらないの?
なんで日本なのって思います。

大人も子供もたくさん命を落としています。

これから、私達が考えていかなければならない事だと思います。
どうしたら、戦争はなくなるのか?
戦争をしないで、平和に暮らして行きたいって誰もが思う事ですよ。
だったら、どうしたら良いかを考えていかなければいけないんですよね。


意味不明になってしまい、ごめんなさい。

 
 
 
怖いです (ヒロネエ)
2008-03-26 23:50:20
ただただ怖い。恐怖です。今、静かにテレビ見たりご飯食べて話して笑ってる事が、一瞬のうちに暗黒な世界にかわるんよ。
嫌よ!!どうしたら無くせるんよ!!どうしたら、みんなが笑って暮らせるんよ!!
戦争、犯罪のない世の中になりたい。
 
 
 
Unknown (ニャン)
2008-03-27 00:00:09
ケンちゃん、読ませていただきました。ありがとう。

広島についての、つい前の日記にも書かせてもらいましたが、私が平和記念公園に行ったのは10年ほど前…しかも小学生。正直ほとんどその時の記憶がありません。
被曝時間で止まった時計・コンクリートについた影(?)の写真…この2つだけが何故か記憶にあります。(もしかしたらどこか違う資料館と記憶が混じってるかもしれません。)
その当時は、、真剣には見てましたが、どこか現実味がなかったというか…。

『もう一度(広島へ)行かないといけない気がする』と書きましたが、ケンちゃんの文章を読んで行くのが怖くなりました。今もケンちゃんの文章で涙が…寒気が……。

私が思ってる以上に重いこと。そして大切なこと。そこに行って、直に見て、直に感じないと戦争について深く考え、知ったことにはならないな…と思いました。被曝・終戦の日を知ってるだけで、戦争を何もわかっちゃいないな…と思いました。

携帯からなので写真・資料は見れません。もしパソコンから見てたとしても…今は見れないだろうな。。
なんとなくの気持ちで見たくありません。心の準備じゃないですけど、、戦争・過去の現実と向き合う心にしてから、写真・資料…そしてケンちゃんの言葉を一字一字…読ませて、見させて、感じさせてもらいます。

 
 
 
ついこの間。 (ふみえ)
2008-03-27 00:04:38
戦争が日本であっただなんて信じられないくらいの今の日本。
今、写真や被爆者の方々の文から生々しい戦争を感じました。
信じられない。ついこの間のことだなんて。
現実にあったことだと思えないくらいに悲惨な状態。
想像もつかないような地獄。
いまだに耳の底に残る人の声とは・・・。
そんな体験をされた方が同じ今に生きていて、戦争の本当の恐怖と無意味さを感じておられる。
戦争なんて二度と起こらないように。
あんな悲惨なむごいこと。
私は広島にまだいけていません。
去年からずっと思いながら・・・
事実から逃げてはいけない。知ること。
向き合うことが恐怖だなんて・・・・
当時生きていた方、戦争を体験した大勢の方々の恐怖を思うと、今の自分なんて、なんの恐怖があるというのか。
今はここで読んで知ること。
そしていつか。

自分の命はどれだけの方々の命の上に成り立つのか。

 
 
 
忘れちゃいけないこと (いくの)
2008-03-27 00:10:20
ケンさんの言葉読んでいて、また考えさせられました。

修学旅行で長崎の原爆資料館見学しました。 そこにあるガラスが溶けた跡とか当時の写真など・・・・見てるだけで、怖いと思ってしまったし、いたたまれない気持ちになり涙が止まらなかったです。
実際体験した方の話も聞いて、それがリアルに伝わり、まだ生まれてなかった私でも苦しくなりました。

今でも世界のいろんな所では紛争があるし、地雷が残っていて、罪のない人が亡くなっているんですよね。

学校で日本史の中で戦争について勉強し、いろんな見方とかできるようになりました!!
こうやってこれからも忘れないで次へ次へと伝えていきたい事ですね!!
 
 
 
心のままに。 (MAKI)
2008-03-27 00:12:34
去年の10月の広島ライブの時に行きましたので
ケンさんの写真・・・見覚えがあります。

1番、心に残ってるのは数々の遺品です。
本当は傍に置いておきたいはずなのに、
みんなに知って欲しい、覚えていて欲しい、
悲しみを繰り返さない為に・・・辛かったでしょうに。
親の死。子供の死。友の死。

誰が落としたのですか?誰が落とさせたのですか?

核は人の手で作られ、人の手で落とされ、
人がいる限り増え続けるのでしょうか。
人がこの世から居なくならない限り、
戦争も無くならないんでしょうか。

私達は後、何十年生きるでしょう。
平和になって行くのか?悪くなって行くのか?
見届ける事は出来ません。
『愛』や『優』が未来に引き継がれるように
『憎』や『戦』も未来に引き継がれてゆく・・・

 ☆核が悪魔なら・・・・・
  それを作りだした人間は何なのでしょうか?
 
 
 
原爆 (しゅう)
2008-03-27 00:21:01
私は、広島に行った事がありません。
教科書で見るぐらいしか原爆の事を知りません
テストに出るからといって覚えた、原爆投下日時も、言われるまで思い出せない自分が恥ずかしく思います。

修学旅行で沖縄に行ったのを思い出しました。
戦争について肌で感じた事を、受け入れられずに忘れようとしていました。

ガマに入って感じた事やあの空気は忘れてはいけない事だと気づきました。

けんさんのおかげで本当に忘れてはいけない事を思い出しました。

今の思い出した気持ちを忘れずに大人になりたいです。

めちゃくちゃな文章で、すいませんでした。
 
 
 
老舗シモムラ時計店。 (アコ)
2008-03-27 00:25:27
川村さん、こんばんは。
いつも思っていることなんですが、今日は改めて。
川村さんが撮られる写真はホント綺麗ですねー。
今回は広島を写してくださって、
身近な場所なだけに川村さんの腕にほれぼれしています(笑)

現実は、やはりそうなんでしょうね。
私自身、知らないことがたくさんあると思います。
地元が広島じゃない方でここまでご存知なのは
私の近くではホント川村さんくらいです(笑)

平和記念公園は日々成長していってるんですよね。
私が小学生の頃は地下の展示場なんてなかったですから。
新しい技術が開発されて色々な見せ方が増えたのも理由のひとつだとは思うのですが、
展示するものが増えたのも理由のひとつに入るんです。
実は、被爆して亡くなられた方の遺品を展示させてくれるよう
遺族の方にお願いしてるんですよ。
一人でも多くの生きた証を、
一人でも多くの方にこの惨劇と共に伝えたいから。
最後に行ったのはいつだったかな。
もう、ずいぶんと様変わりしているんでしょうね。

昔、お墓参りに行くたびに父が説明をしてくれました。
墓石に彫ってある名前を指しながら
「この人この人はね、どこどこで原爆にあったんだ。
そして、この子はね、当時まだ2歳だったんだよ。」
享年二歳。まだ小さかった私には二歳で死んでしまう、
そして、原爆にあって死ぬ、という重みが全く分かりませんでした。
ホント「ふーん」くらいで済ませてしまっていたと思います。
でも、あの頃よりはだいぶ大人になった今では
痛さが十二分に分かる心になりました。

久しぶりに行ってみようかな、と思います「平和公園」。
春になると桜がいっぱい咲いて、お花見が出来るんですよ。

あ、あと下村時計店!!
まだあるんですよ、広島に(笑)
今は結構大きくなりまして、広島に何店舗かあるはずです。
当時の建物はなくなってしまっていますが、
今では中心部に物凄く綺麗なお店があります。
平和公園周辺ですと、被爆建物がちらほらとありますので、
広島に来られた際には、是非行ってみてください。
このようなお話におすすめという単語は相応しくないと思いますが、
おすすめしたい場所は「袋町小学校平和資料館」です。
平和公園から目と鼻の先にある小学校内にある資料館で
被爆校舎を一部ですがまだ保存してあるはずです。
原爆投下から数日後には避難所・救護所として使われていたようなんですが、
焼けてすすけたコンクリートの壁とチョークを使って、
「伝言板」としての役割も果たしていたそうです。
地域の住民の安否確認などたくさんの情報を交わしていたみたいです。
ホームページでもちらっとですが見れるようなので、
気になったら「袋町小学校」で検索してみてください。

お花見と下村時計店あたりの明るい話のまま終わろうと思っていたのですが、
結果的にやっぱりこんな感じになってしまいました(笑)

川村さんのおかげでまた新しいことを知ることができました。
ありがとうございました。
 
 
 
前の投稿で (しゅう)
2008-03-27 00:37:22
テストに出るからと言って覚えた原爆投下日時も思い出せない
と言う文で不快に感じた方
本当にすいません

しっかり内容を理解して、沢山の方々が犠牲になられた。
日本人に産まれて来たからには知って居なければいけない事だと
思って覚えなければいけないのに、テストに出るからなんていう安易な気持ちで覚えた自分が恥ずかしいという気持ちで書きました。

紛らわしい文を書いてしまいすいませんでした。
何度も投稿して
本当にごめんなさい


不適切でしたら、お手数ですが、消して下さい。よろしくお願いします

 
 
 
しゅうさん&ケンさんへ☆ (メグ☆)
2008-03-27 00:58:38
まずは、しゅうさんへ。
”平和ボケ” いつかケンさんが、そう教えて下さいました。
私達は、毎日自分の人生を生きているんです。
だからいつの間にか、自分の人生が中心になってしまうんです。
だけれども今、自分が生きるこの世の中で、自分に起こりうる事柄、触れる事柄は、全部自分に不可欠な事柄なんです。
テストがある時は、覚えなければいけない事柄だったかもしれないけれど、今は自分の身に起きかもしれないと思える事柄だった・・・と考えられ、心痛む。
そうケンさんの言葉から学び取れたって事は、とても素敵な事だと想います。
恥ずかしく想うなら、貴方はこれからきっと私より素敵な大人になれます。

ケンさんへ☆
沖縄の話しに続き、ミュージシャンのケンさん!ではなく、私の大好きな世代の尊敬出来る人間だと感じます。これは、嘘ではなく!ブログの文章を涙しながら、読ませて頂きました。
ケンさんという人間を、私は尊敬します!!
 
 
 
ありがとう。 (香織)
2008-03-27 00:59:10
ケンさん,いつも大切な事を教えてくれてありがとうございます。私はこの事実を忘れません。私も忘れてはいけない事だと思うから…ケンさん本当に大切な事をありがとう。
 
 
 
共存共栄できる世界 (たつみ)
2008-03-27 01:27:27
原爆開発に関係した科学者からも原爆反対の声が
あがったのに、結局未だに核はなくならない。
排他思想や利益追求。どれもこれも自分勝手。
景気が悪くなると戦争を起こす国もあるしね。
おかしな世界ですよ。
核廃絶。ほんとにあんな物は必要ありません。
ついでに言うなら原発もいりません。
自然と人と人が共存できる世界が広がることを
いつも願っています。
 
 
 
Unknown (にょみこ)
2008-03-27 01:34:05
広島のお話、ありがとう。
行った時の参考にさせていただきますね。

戦争の恐ろしさ、悲しさをしっかり感じてきます。
平和への願い。それがこの世界の将来を守る力になれたら・・・。という思いです。

これからだって、いつ国策が間違われるかわかりません・・・。

知らない、分らない、ではなく、一人の日本人として、正しい意見を持てるようにならなきゃ。

どうしたら核をなくせるんだろう・・・。

ではー。
 
 
 
広島… (いつか)
2008-03-27 01:41:01
広島に原爆を落とされた日時はもう頭にしみついています。
私は広島で生まれ育ちましたが小学校から平和教育を受け、夏になると必ずクラスの代表が千羽鶴を持っていきました。

8月6日のあの時間になるとテレビはどの局も平和式典になります。
これって広島だけなんですね?それが当たり前だと思っていました。
夏休みで部活をしててもその時間がくると学校にいる全員で黙祷をしてました。
本当にそれが当たり前だと思ってた…

もっと私たち広島人が、子どもたちや日本中の人々に伝えていかなきゃいけないですよね
ケンさんに感謝です
 
 
 
改めて知ったこと。 (ゆう)
2008-03-27 02:02:55
今回、実際にたくさんの写真や資料を見て改めて知った事は、「助けられなかった苦しみ」が存在していた事でした。
これは、本当に衝撃を受けました。

あの日、被爆された方々の苦しみは幾重にもあったのでしょうが、中でも、「助けを求めている人をどうする事もできない」という、残酷な現実。

崩れた壁に埋もれた我が子を必死で助けようとしながらも助けられなかった母親の絵が、どうしても頭から離れません。添えられていた、「ごめんね、助けてあげられなくてごめんね」という言葉に、涙が止まりませんでした。

被爆された方々は、間違いなく、何の罪もない人達のはずなのに、「助けてあげられなかった」という罪悪感を、心の傷を抱えながら生きていかなければならなかった・・・なぜ、この人達が苦しまなければならないのか!本当に、心の底から悔しくて悔しくて、仕方がなかったです。

「菊池俊吉写真展」、色々な想いを抱えながら見てきました。

被災直後と、二年後の写真。

現実の世界に突然地獄を突き付けられながら、それでも復興を遂げようとする、強い力。
・・・いや、そんな、復興を遂げるなんて事を目指していた訳ではなく、被災直後はそんなスケールで考える事なんてできなかったんじゃないのか、ただ、その日を生きていかなければいけなかっただけなんじゃないか・・・そして、その生きる力の結果が復興へと繋がったんじゃないか、とか、頭の中が、ぐるぐると混乱し続けていました。

「国立原爆死没者追悼平和祈念館」は、残念ながら今まで知りませんでした。少しは調べて行ったつもりだったのですが・・・次回、必ず。

本当に、いつになったら世界から核が廃絶されるのか・・・と、途方にくれてしまいますが、諦める訳にはいかないですからね。
現実を受け止めて、それに負けないで、力を合わせて、声を挙げていかなければ!と、本当に心から思います。

ケンさん、今日もみんなで考える機会を作ってくれて、本当にありがとうございました。一人で色々考えてしまって苦しかったので、感謝です。

 
 
 
戦争の悲惨さ… (ゆうコン)
2008-03-27 02:16:10
どうして戦争は無くならないのでしょうか…。自分の利益を考える人ばかりだから?
イラクへ行ったアメリカ兵が、国へ戻っても正気に戻れず自殺をした…
日本の自衛隊の人も未だに睡眠障害に悩まされている…
広島や長崎で、あんなに悲惨な体験をした日本でさえ、救援隊と称して戦場へ行くという政策を立てる政府……
そんな政府という場所にいる人を選んでいるのが自分達なのか…と思うと、私にも責任があるのかもしれません。
残念ながら、私は広島と長崎へは訪れた事はなく、自分の眼で原爆の跡を見たのはファインダーを通してだけですが、日本人として見ておくべき所、きちんと知っておくべき事だと思います。
ケンちゃんの文章を読んでいて、鹿児島へ行った時、知覧の特攻隊跡地にある博物館や食堂を巡った時に、手紙や写真が涙で見えなくなった事を思い出しました。胸が痛くなりました…
今も探している方もいらっしゃるんですよね……
きれいごと…を言う気はありませんが、戦争という事が無くなる日が来てほしい。
長くなって、ごめんなさい…(ちょうど、今日、中学生の生徒と話しをしたのです)
おやすみなさい、ケンちゃん。
 
 
 
無関心で生きてはいけない。 (gooddays128)
2008-03-27 02:26:21
こんばんは,ケンちゃん。

高校の修学旅行で一度原爆ドームを見ました。
軽く説明を受けましたが,あまり想い出せません。
けれど,当時ドーム前で撮った集合写真のことを想い出しました。
修学旅行という名目であの場で記念写真を撮っていたこと,複雑な想いでした。
…と云うのも,授業内でも何度か学んでいたし,悲劇の舞台になってしまった場所ですから,どんな顔で写ればいいのか解らなかったんです。
ただの記念場所として撮るべきなんだろうかと疑問に思っていました。
もっときちんとあの場所に行ったからには何か知るべきものがあったのではないかと今更ながら想います。
淡々と眺めてしまうのではなく,向き合って歴史や人々の傷や痛みを考えるべき時間だったのではないかと…強く,今想います。
時間の無い中での行動だったから,簡単な説明や内容が薄くなってしまうのも仕方のないことだったのかも知れませんが,それでも最低限見るべきものをしっかりと見ておきたかった。
それだけの時間のゆとりを持たせてほしかった,と思います。

いつかまた機会があれば訪れたい場所です。
と云うか訪れて刻み付けておかなければならない場所であり,歴史であり,痛みであると想います。

修学旅行当時の写真を見つけましたが,ドーム単独を自分で撮っていました。
あの場所の空気感はなんだか他の場所と違うような印象を受けたように思います。
この言葉がもしかすると失礼になるのかも知れないけれど…ただ怖いという気持ちです。
ひやりとした風の中に立ちすくんでしまったような,そんな感じだったように思います。
ケンちゃんの話を読んで改めて知っておかなければならないし,覚えておかなければならないのだと想いました。
あの年のあの日…その様子や当時を知る人,それぞれの想いが言葉や映像として残っているならもっと多くの人にさらされるべきですよね。
例え傷をえぐるようなものであっても,心が傷んでも…。
二度と同じ過ちを繰り返さないためにも…。
これからの未来が犠牲の上に作られるモノになってほしくないし,犠牲になる人がいない未来であってほしいから…。
争いや戦いのない世界を一人一人,一国一国が築いていけるように努力して,助け合い支え合い生きていけたら…そう想い,願い,祈り,私自身も何かしらに取り組まなければならないのだなと念います。

改めて命の尊さ,原爆や兵器の恐ろしさを考えさせられました。
兵器を作るのも使うのも人。
どうか作るのも使うのも愛や優しさであってほしいですね。
長くなりました…すみません。
今日一日,新たな日をケンちゃんとみなさんが無事過ごせるよう祈っております。
それでは…。
 
 
 
日付 (極上えび天丼+)
2008-03-27 08:57:52
僕は原爆投下の日付を絶対に忘れません。なぜなら、6日は息子の誕生日だからです・・・。本当は前日の5日に陣痛もあったのですが、これも何かの縁なのでしょうかね?
 
 
 
ずっと心に。 (みい)
2008-03-27 11:09:43
ケン坊、おはよーございます。

紹介してくれたリンク、昨夜も順にいくつか拝見しましたが、
駆け足で読み進めるのではなく、時間をかけてじっくり
読ませてもらいます。

原爆が投下された場所、今はとても美しい街並みになっているけど、
その下には62年前に起きた現実が、そのまま埋まっているんですよね。
安易な理由で、実験的に初めて投下された原子爆弾。
それにより、奪われた数多くの未来。

当時を生きていた方々にとっては、思い出したくもない現実。
だからこそ、私たちはその方々の貴重な言葉を受け止め、
言葉なき遺品も写真も確固たる事実の証として受け止め、
絶対に風化させてはいけない現実なんですよね。
忘れちゃいけない。

今年は、甥っ子と一緒に訪れる約束をしています。
9歳の彼の目に心に、どのように映るのか。
私が初めて訪れた時と同じかもしれない。
でも、テレビや本でしか見たことのない場所に足を運び、
どんな風にでもいいから何かを感じて欲しいって思ってます。

私も知らないことがたくさんありました。
今回も、ケン坊の目で見た広島を教えてくれて、ありがとうございます。
 
 
 
守るべき命、守られるべき命。 (データあきこ☆)
2008-03-27 11:25:44
こんにちはー。

何年何月何日・・・情けないことですが、その年を逆算しなければ出てこない、そんな自分がいました。ケン坊の言葉に、はっとさせられました。

ブログはもちろん、リンク先のページも、昨夜読ませていただきました。
読んでいるうちにね、涙が溢れてきて、特に実際そのときその場所にいた方の言葉は、重く心の深い場所に入ってきました。
家族なのに一緒に逃げられない辛さって、どんなものなのでしょうか?
目の前で助けを求めている人たちを助けられないもどかしさって、どんなに痛いものなのでしょうか?

リンク先の記事のひとつに「被爆者から若者へ」というものがありました。
ケン坊ももう読まれているかと思いますが、その中のある被爆者の方の言葉が忘れられません。

「もうだめだ。死ぬんなら何としても家に帰りたい。」

・・・もうね、言葉になりませんでした。泣いても、叫んでも、過去は変わりませんが、ひたすら涙が溢れてきました。


誰がなんと言っても、どんな理由があろうとも、やっぱり戦争は絶対にダメですよね。
命以上に大切なものなんて、どんなに探しても見つかりませんもん。


こんな悲惨な現実が、これ以上増えませんように・・・。
ココロの平和が、世界の平和に繋がりますように・・・。
 
 
 
う~ん。。 (はるりん)
2008-03-27 12:38:24
時代は刻々と過ぎてゆくけど、
あの日広島や長崎で起こった事を
私達は一生忘れてはならないと改めて思いました。
もちろん、あの出来事を経験した人達しか
本当の恐怖は分からないかも知れない・・・
今平和な生活が出来ている事を心から感謝したいですね。。
ケンちゃん、大切な事をありがとう。

そしてこれから先、こんなに恐ろしい事が
もう起きませんように・・
 
 
 
何故何故・・・と言う思い。。。 (恋心)
2008-03-27 14:30:41
本当に無くなった方の写真や体験した方の文章は
多分うちが見ても同じ様に泪が出るだろうと思います。
どうしてこの人達が亡くならなければならなかったのか・・・
何も悪い事して無いのに・・・
何故この方達が犠牲になったのか?
考えると虚しさと悲しみとで泪が出そうです。。。
本当に今でも核は減るどころか増えてます。
広島・長崎の事を何も学べない人間って・・・何なんでしょう?
核は廃絶すべき物!!
今だに被爆のせいで亡くなってる方が居るというのに・・・
何も悪い事して無い方々が犠牲になって命を落としたのに・・・
こんな現実を(核が無くなって無い事)亡くなった方が天国から見てたら
「私達の命の重さの意味を全然解ってくれて無いのね・・・」って言われそうです。。。
恥ずかしいですよね・・・
62年後の今も大丈夫じゃ無いですって言わなきゃ・・・
 
 
 
ありがとうございます (まみのすけ)
2008-03-27 14:56:49
今回も沢山の事を教えていただきました。
涙が止まりませんでした…。

私は広島に生まれ育ち、小中学校と強制ではありましたが、毎年夏(8/6or15)には体育館に集まり被爆者の方から多くのことを教えてもらっていました。なので、日時くらいは知っていますが、まだまだ知らないことが多い事にココで気づかされました。
最近では学校でも平和学習に力を入れていない所が多いようで、こんなんでええんか!?と強く感じます。

原爆資料館。小4の修学旅行で行ったきりもう10年近く行っていません。あの時はただただ怖くて悲しくて、現実にあったことを直視できず足早に出口へ向かったのを覚えています。今度は多くの方が残してくださった不の遺産をしっかり受け止めに行きたいと思います。

絶対にもう二度と起きてはいけない、起こしてはいけない。そう心に誓って…。何も出来なくても、知ること・忘れない事が今の私に出来る精一杯の事だと思います。
 
 
 
Unknown (サオ吉)
2008-03-27 15:38:36
ケンさん、こんにちは!

なぜ戦争をしなければならないのでしょうか。
なぜ罪のない方達の命を奪うのでしょうか。

私は一度も広島に足を運んだことが
ないのですが、この事実を知るためにも
行かなくちゃいけないな、と思っております。
前までの私だったら行かなくちゃ、とは
思っていなかったと思うんです。
でも戦争を体験している方達がもう結構な
お歳になっていたり、平和ボケしている自分が
いかに何も知らないのかって…。
自分が知らなくてどうする!こうやって
ケンさんをはじめ、多くの方に戦争について
沢山のことを学んでいるのだから、
ここで何もせずにいるのはどうなんだ!と思います。

何年かかっても絶対に自分のからだで
あの時のことを学んできたいです。

ではー。
 
 
 
広島。 (ムツミ)
2008-03-27 20:48:47
ブログを読んでいたら、広島での色々なことを思い出して、
昨夜は涙が止まらず、ずいぶん長い間、ベッドの中で泣いていました。
感じたことや、思いはたくさんあるのに、それが言葉にならなくて。
今もまだグチャグチャだったりしますが、どうしても感謝の気持ちは伝えたくて。
ケン坊が見た、感じた広島を、写真と言葉で伝えてくれて、
・・・本当にありがとうございます。

「菊池俊吉写真展」、見てきました。
ショッキングな写真もありましたが、目を伏せちゃいけないと思いました。
遠い昔のことではなく、ついこの間のこと。現実。
その現実から目をそむけず、そこから学ばなければ。
今を生きる人として、知っておかなければならないと痛感しました。
目を逸らさず、知ることが、未来の希望へと繋がっているような、
そんな気がしました。というか、そう信じたいです。

核廃絶。本当に本当に、強く願います。
どうして核は増え続けているんだろう。どうして必要なの?
本当に、・・・止めなきゃ。
一人一人の声は小さいかもしれないけど、たくさん集まれば、きっと。

-----

生の言葉、直筆、・・・本当に、痛いです。

去年、戦争についてお話してくださった方が、
「会わせたい人がいるの」と、知り合いのおばあちゃんを紹介してくださいました。
この方は、あの日、息子さんを目の前で・・・。
瓦礫の山に埋まってしまい、どうにもできなかったそうです。

あの日の光景、臭い、声、音、痛み。
忘れたくても忘れられない、と、涙ながらに話してくださいました。
二度と見たくなかったであろう当時の日記も見せてくださって。
本当にね、涙が止まりませんでした。

「助けてあげられなくて、ごめんね。」「できることなら私が・・・。」
「なぜ我が子が。」「毎日夢に出てきて苦しい。痛い。」
「あの時、一緒に死んでしまえばよかった。」「何度も死のうと思った・・・。」

被爆者の方々の苦しみは、62年経った今も続いています。
涙ながらに話してくださったおばあちゃんの思い。
しっかり受け取りました。無駄にはしたくありません。

・・・おばあちゃん、体に気をつけて、これからも元気でいてね。

-----

長くなりました。ごめんなさい。

国立原爆死没者追悼平和祈念館、知りませんでした。次回必ず。
・・・教えてくれて、ありがとう。
 
 
 
きっかけ (みかわ)
2008-03-27 21:38:39
皆さんのコメントも含めていろんなことを考えながら読ませていただきました。

あたしは現在書店で働き、写真集も含めた芸術の棚を担当として任されています。
こちらのブログでそれまで知らずにいた対馬丸のことや戦争のことを教えてもらい自分なりにも考えるようになって、去年の8月にあたしなりの知ってもらいたい活動をと思い、自分の棚で戦争や紛争に関する写真集のフェアを展開しました。
時期も時期だったので、他の棚でも戦争関連本のコーナーが作られていました。商売としては当たり前のことなのかもしれないですが、他の棚のフェアは月末までに撤去されていきました。8月だけ…あたしはすごく違和感を感じました。平和祈願はイベントではなく、常に意識されるべきだって。
歴史上日本が直接携わった最後の戦争から60数年のうちにも、地球上のどこかでは絶望しか生まない紛争やテロが起こり絶えません。戦争から受けた傷が癒されてるどころか、最近はえぐる様な事件ばかりです。命があり維持されてることがどんなに特別なことかわからず、当たり前になりすぎて麻痺してる気がします。

去年のフェアから数は減らしましたが、ケンさんも購入された『ノーモア ヒロシマ・ナガサキ』も含めた数冊をずーっと平積みし続けています。正直、売れてはいません。けど、立ち止まって真剣に見てくださっている方をたくさん見掛けました。あたしはそれでいいと思うんです。説得力には欠けるかもしれないけど、史実として語ることができなくても。
以前トラックバックさせていただいた記事で紹介した『焼き場に立つ少年』という写真が乗っている『トランクの中の日本』という本が重版され、本屋さんでも目にすることができるようになりましたので。

直接記念公園や平和記念資料館に直接出掛けて見るのには及びませんが、もし知りたい気持ちがある方は本という方法をとることもお勧めです。
どなたかも書かれていましたが、忘れないことが重要だとあたしも思います。興味を持って知って、その次にできること。
 
 
 
(((ノд+"悲) (ぶう姫☆)
2008-03-27 21:48:34
ケン坊こんばんわ☆

このblogを読むだけでも
涙が零れてきてしまいました;

絶対に認められない
決して許されない
そンな酷く哀しく恐ろしい出来事だったけど..
目が覚めたら
すぐ忘れてしまう様な夢ぢゃなく
現実に起こったこと..
受け止めなくてわいけない。。。。

これから先
二度とこンな酷いコトが起きない様に
原爆の投下があったコトを忘れない様に
悔しくて悔しくて
怒りさえ感じる出来事だけど
心に刻まなきゃいけない気がする。。。

また広島に行く機会があったら
絶対に記念公園に行きます。

何云ってるか
自分でも解らなくなってきてしまったι

すみませんがこの辺で。。。
 
 
 
今もなお。 (やよっぺ)
2008-03-27 22:07:43
昨夜はケン坊のブログ、そして教えていただいたリンク先の文章を読みながら、溢れる涙をこらえることができませんでした。

とてつもなく強いメッセージ。
あまりにも痛いメッセージ。
「あぁ、どうして・・・。」
この言葉ばかりが頭の中を巡り続けました。

犠牲になった方々、そして大切な人を失った方々の「伝えたい想い」がこんなにも溢れているのに、今を生きているわたし達は、受け止められていない現実。
「今もなお、どうして世界中で戦争が起きてしまっているの?」
「今もなお、どうして核爆弾がなくなっていないの?」
そんな声が聞こえてきそうで・・・。
大切な大切な命、痛み、苦しみ、絶望、平和への願い、祈り・・・決して無駄にしてはいけないのに。
「もう大丈夫。安心してくださいね。」ってご報告できる日が来ることを願わずにはいられません。

昨日、今日と皆さんのコメントを拝見させていただき、とても考えさせられました。
と同時に、こんなにも大勢の方が、真剣に考え、自分の想いや意見を言っていることが、とても素晴らしいし、貴重なことだと改めて思いました。
一人ひとりの力は弱く、小さいけれど、強い意志を持って、力を合わせれば、やがて大きな力となり、不可能だと思っていたことだって、可能になるかもしれない、なんて。

ありがとう、ケン坊。
この縁、本当に大切にしたいと思います。

まだまだ知らないことばかり。
紹介してくださったリンク、もっとしっかりじっくり読みたいと思います。

ではー。
 
 
 
広島… (志穂)
2008-03-27 22:34:20
私は広島の原爆ドームに行った事はありません。
ですが、ケンちゃんのブログを見て、一度は行かなければならないと思いました。
たった1発の原爆で、どれだけの人が亡くなって、どれだけの人が傷を負って、どれだけの人が悲しんだか…。
体の傷や、心の傷…。
計り知れない位の傷が今も尚残っているという事は、たとえ…これから大きな戦争がなかったとしても、残して置かなければならないと思います。
私はまだまだ、広島や長崎で起こった事は無知に近いです。
学校で形式的に習っただけです。
きちんと広島まで行ってこそ、本当に学んだと言っても過言ではないと思います。
ケンちゃんのブログを見て、本当に…やりきれない、悲しい思いを感じました。
そんな気持ちでは片付けられない、出来事ですが…。
私は今度是非、広島に行って原爆について学びたいと思いました。
私は高校の修学旅行で沖縄に行きました。
平和祈念公園やアブチラガマ(本物の防空壕)や沖縄平和祈念堂に行って来ました。
そこで聞いた話の中で、沖縄の言葉で「ぬちどぅ宝」、訳すと「命こそ宝」になります。
私にとって、この言葉は一生忘れられない言葉になりました。
戦争をした事で、私達は起こった出来事をしっかりと受け止めて、これからの子ども達に伝えていかなければならないという話を聞きました。
「命があってこそ、今がある。」私達には、やらなければいけない事が沢山ありますね!
この、ケンちゃんのブログを見ている人に、ケンちゃんの思いがしっかりと伝わるといいですね。
これからも、ケンちゃんのブログ頑張って下さい。
あ~長くなっちゃいましたぁ。
では-。
 
 
 
生きた言葉 (ひとみ)
2008-03-27 23:25:32
私も昨年秋に広島を訪れて、商店街近くの袋町小学校原爆資料館(?)という所に行きました。

そこは爆心地から2キロくらいだったと思います。
爆風のためにススで黒くなった壁に、
自分が負傷したため同僚に生徒を託す旨の伝言、
生徒の死を伝える母親の言葉、
家族の安否を知らせる生徒の字…

壁一面にギッシリと書いてあって、
どんだけ悲しい中でこれ書いたんやろって思うと涙が止まらなくなりました。

言葉は訴えてきますね。
そして…問いかけてきますよね。

ここはホントに、ケンさんには見てもらいたい場所です。
もう知ってるかな?
商店街の近くです。

ぜひ。
 
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