ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




先週末は仕事と重なったので、一番近所の盆踊り大会を逃してたんです

そしたら今夜、またちょっと離れた違うところでもあると聞きましてね。「じゃ、ちょっとだけ。」と、やりかけの仕事を一時横へ置いて、GO(浴衣は着なかったけどねー。持ってるんですけどねー)。盆踊りとかって、行きそびれたら、どうも街中で自分だけ損をしたみたいな、仲間はずれになったような、妙に悔しい気持ちがするんですよね(←単にいやしいのか(笑))。

 

「平成16年」って書いてありますね。この紙、三年選手ですね(笑)。雨に降られちゃった時もあったのかな。一曲終わるたびに、進行役のおばさんがマイクで声をかけて盛り上げます。「みなさまー、えー次はー、『東京音頭』です。どうぞご一緒に踊ってくださいませー。」お、東京音頭だ、やっぱ好きだなー(笑)。

盆踊りの音楽=音頭は、皆で一緒に歌ったり、踊るためのものです。コンサートで座って聴く音楽ではありません。だからどの曲も、タイトルは違えど、メロディーは覚えやすいよう、だいたい五音階(専門用語ではペンタトニック、と言います)が使われてます。これは実は一般的な演歌も同じです。しかも、難しい「ハモり」がなくて、簡単に誰もが一緒に唄えます。モノフォニー、ないし、ヘテロフォニーなんて言いますが、これは、音楽の構造的には、お経や、あと・・・ジャ○ーズさんの多くの音楽も同じです。

そして踊り。これはまず手で踊る、日本舞踊独特の、いわゆる「手踊り」です。そう、まず手に決まった型があるんですね。だから、なんなら座っていても踊れます。対して、西洋のワルツとかクラシックバレエになると、まず足に決まったステップがありますよね。言ってみれば「足の踊り」です。なのでこちらは座っては踊れません。ちなみに若者の大好きなクラブミュージックなどでのダンスは、アフリカが発祥です。ヒップホップなどに代表されるこのダンスは・・・手にも足にも決まりはありません。むしろまずそれらの力を全て抜くことから始めます。いわば「脱力の踊り」ですね。お国柄で色々あって、面白いですね

なので今日見ててね、改めて思いましたが、盆踊りはやっぱり手が美しいのです。とくに、やっぱり今夜は年季の入ったおばあちゃんがサマになってましたねー。団扇をこう、帯の後ろに挟んでね、ゆったりと指先をスーッ、スッ、って動かしてるのを見てるとね、それだけでなんともこう、あー、日本人でよかったな、などと(笑)。

 

浴衣の女の子が、汗だくになって風船で遊ぶちっちゃな妹をね、ハタハタと扇子であおいであげてました。とっても美しい光景でした。なんか涙が出そうになるくらい。

 

とか言ってね、おにーさんは暑さに負けまして、ちょいと失礼の・・・ぷ(笑)。いや、一本だけにしてきましたよ(笑)。

盆踊り・・・「盂蘭盆の頃、夜間に老若男女の集団で行われる踊り」、ということです。こう書くと、なにやら呪術的ですらありますよね(笑)。500年の歴史があります。主に村の娯楽であり、また結束を強める為に、行われたのだとか。

昔は、マイクもないし、音楽も今のようなカセットテープ(へたすりゃMDやCD-Rかな(笑))ではなくて、もちろん生の楽器演奏に生の唄。辺りは、漆黒の闇夜。その中で、きっともっとずっーと薄暗い、ぼうっと火の入った沢山の提灯の下で踊られてたであろう、盆踊り・・・うーん、かなり幻想的だったんじゃないかなぁ。見てみたかったなぁ。そんな盆踊り大会、まだやってるところ、ありませんかねー

さて、そろそろ心地良い祭酔いも覚めましたし、あとちょっとだけお仕事しますよ

ではー。



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現代人の暮らしというのは、つまり人工物の中での暮らし、ということ。

例えばたった今、あなたの周りを見回してみたら、おそらく目に入るものほとんど全てが、誰かの、人間の手によって作られたものなのではないでしょうか。

僕達は24時間、人工物の中で、人工物に囲まれて、人工物を使い、人工物から情報を得て、生きています。街も、今や全てアスファルトで覆い尽くされてますから、少しでも土が出て、そこに草が生えていたりすると、「あ、あそこに空き地が」などと言います。

本来、それは「空き地」、なんかではないのに。自然の姿なのに。でも、なにかで埋めなきゃ気がすまない。

そんなだから、いつのまにか人間は本来は自然のものである虫(まーとくに、あの黒いのなんかね(笑))が部屋の中に入ってきただけで、別に攻撃されたわけでもないのにね、もう。「キャー!殺虫剤!」などと、大きくうろたえてしまうような生き物になってしまいました。要するに自然物とは共存できない、というかね。いつの間にか、人工物に囲まれた生活に慣れてしまったのかもしれません。言い換えれば、自分の生活環境の中では、人工物以外の存在を恐れるような、そんな生き物になっているのかもしれません。スーパーの売り場に、殺虫剤の種類のなんと多いこと(笑)。

子供の頃、夏休みになると、毎年のように静岡にある親戚の家に遊びに行っていました。家の周りは今の季節なら、一面キレイな緑色の稲に覆われた、田んぼ。夜は文字通りカエルの合唱、昼間は見飽きて気にもならなくなるほどの赤トンボ。ある日、オニヤンマがそこら中開けっ放しの家の中をね、シュワー!って飛んで横切っていったこともありました。戦闘機かと思うほど、でかくて速かったですよ

木々の間を探検してると、クモの巣に顔をつっこんだりして「うおっ。ペッペッ。」なんてことは普通のことでした。そんな中、虫カゴと網持って、虫採りね。おいおい、今は虫から逃げてるっていうじゃないですか。いつの間に、一体どうなっちゃったんだ、大丈夫か(笑)。

その田舎の家には、歳の近い女の子が2人とちょっと歳下の男の子が一人いましてね、よく皆で一緒に泥だらけになって、遊んだものです。ある夜、僕より一つ年上の一番上の女の子がね(当時小学3年生位かな)・・・家の中にあの黒いヤツが出た時、「ほっ。」って、素早く両手で捕まえてね、僕を見て笑ってね、「ケンちゃんはダメなんだよな、これ?別にかわいいもんよ、ほれ。」って僕の目の前で手をゆっくり・・・するとそこから「・・・○$Θ×△★~」。

今となっては、楽しい思い出ですが(いや、この一件だけは疑問ありかな(笑))。ある意味、ものすごく頼もしかった彼女達は、今でも出来るのかなぁ、あんな芸当。それとも、やっぱりすっかり都会の人になってしまったかなぁ・・・

いや、仮に出来ても、二度といいけど、あれは(笑)。

夕焼け。人工物だらけの暮らしの中で、数少ない自然物。素晴らしいですね

ではー。



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