メールでのご返事はすでにさせていただいているが、そこに書かなかったことを含めて、ここに書いておきたい。
まず、父が自分の子ども以外の誰かに対してプレゼントをしたり特別に親身になったりするということは私はあまり聞いたことがなかったので、マコちゃんにランドセルを贈った話は、父が亡くなった後に聞いたが、何か胸を衝かれる思いがした。
それは父が宝物のように大切に隠し持っていた煌く思い出であったように思われる。私は父がどのような気持ちでマコちゃんにランドセルを贈ったのかは知らない。それには何かきっかけがあったのだろう。女川のご家族との間でマコちゃんの小学校入学の話題が出て、その中で「物入りだねぇ」なんて話になって、「そしたらランドセルでもあげっちゃっ」なんて話になったのかもしれない。善行というものは、それを受け入れてくれる相手がなければ成り立たない。おそらく憲ちゃんはマコちゃんの存在にとても感謝していたのではないか。そんなふうに思う。
マコちゃんがランドセルを大切に使ったことについては、こんな件があった。
>糸がほつれると母に言われ釣具屋さんに持っていって/機械で縫って直してもらいました。
釣具屋さんというのが女川らしくていいが、それよりも何よりも信子おばちゃんがマコちゃんに釣具屋さんに行って直してもらうように言ったことだ。こわれたら捨てて新しいものを買う、修理するより新しく買った方が安い。今はそんな経済効率優先の時代だが、良いものを長く使う。革のランドセルを大事に大事に使う。そんな「物」への関わり方が偲ばれてとても慕わしいのだ。
また、マコちゃんが結婚祝いのお礼に贈った本について、こう書かれていた。
>「学院出身だがらこういう本うんと好ぎなんだいっちゃ」と若かりし頃の/ミッションスクールの文学青年を髣髴とさせるようなことばでした。/線香くさい大文字屋のおんちゃんのイメージからはかけ離れていて/とっても意外な気がしました。
まず「線香くさい」というイメージについてだが、にこやかだが生真面目で、あまり余計なことを言わないむっつりだった憲ちゃん、粋だとか派手だとかというものは無縁という意味では、「線香くさい」というのはうなづけるイメージだ。ただ「線香」という仏教系イメージを私は父に持ったことがないので、その点はちょと意外な気がした。
私自身は母から「お父さんは若い頃本が好きで、暗いところでよく本を読んだから、目が悪くなった」という話を聞いていたし、憲ちゃん自身の話の内容から、どちらかという西洋的なもの、科学的なものを評価するところがあったので、仏教とか東洋的なもの、日本的なものへの志向は希薄に感じられた。
だいたい神棚の手入れや墓掃除なんかはいつもきょこちゃん(享さん)がしてくれていたし(石巻にお住まいの頃はそうだった)、型通りの墓参以外は信心というものに興味を示さなかったように思う。これは商売に身を入れていたことの裏返しであるのだろうが、今考えると、おろそかにし過ぎのようにさえ思える。
ただ、兄の忠典から聞いた話で、「おれは親鸞が好きだなあ」と言っていたと聞いたことがある。また母(喜久子)からは、ばっぱ(小糸さん)が大文字屋の墓の敷地内に日蓮宗の石碑を建立したのを見て憲ちゃんが「こんなのいいのがやぁ」と言ったという話を聞いたこともある(称法寺は曹洞宗であるから、まあ極めて常識的なコメントであるが)。だから父に仏教へのそれなりの関心があったこともわかる。
またその一方で、憲ちゃんが純然たる「ミッションスクールの文学青年」のイメージかというと、そうでもない。テレビのニュースで凶悪事件の報道が流れると、よく舌打ちしながら「こいなの殺してしまえ!」と口走っていた。私など横で聞いていて「オイオイそれは極論だろ」と思っていた。少なくとも内面的にクリスチャンでないことは確かだ。
でも考えてみれば、仏教にも「殺生戒」があるから、憲ちゃんは仏教的とも言えない。
要するに心底宗教に沈潜する人ではなかった。きわめて現実的な人だった。
それが私の憲ちゃんに対するイメージである。
そんな憲ちゃんだったからであろうか、マコちゃんがランドセルのことを教えてくれたことは、私の心を温めた。
マコちゃんとの交流は父の心も温めていたであろう。
この思い出を分かち合ってくれたマコちゃんに私は心より感謝する。
付記1
今日8月1日と明日2日は石巻川開きの日。今年は行けなかったが来年は久々に見てみたいと思う。
付記2
日和山軍団から連絡があり今度東京で会うことになりそうである。楽しみである。
まず、父が自分の子ども以外の誰かに対してプレゼントをしたり特別に親身になったりするということは私はあまり聞いたことがなかったので、マコちゃんにランドセルを贈った話は、父が亡くなった後に聞いたが、何か胸を衝かれる思いがした。
それは父が宝物のように大切に隠し持っていた煌く思い出であったように思われる。私は父がどのような気持ちでマコちゃんにランドセルを贈ったのかは知らない。それには何かきっかけがあったのだろう。女川のご家族との間でマコちゃんの小学校入学の話題が出て、その中で「物入りだねぇ」なんて話になって、「そしたらランドセルでもあげっちゃっ」なんて話になったのかもしれない。善行というものは、それを受け入れてくれる相手がなければ成り立たない。おそらく憲ちゃんはマコちゃんの存在にとても感謝していたのではないか。そんなふうに思う。
マコちゃんがランドセルを大切に使ったことについては、こんな件があった。
>糸がほつれると母に言われ釣具屋さんに持っていって/機械で縫って直してもらいました。
釣具屋さんというのが女川らしくていいが、それよりも何よりも信子おばちゃんがマコちゃんに釣具屋さんに行って直してもらうように言ったことだ。こわれたら捨てて新しいものを買う、修理するより新しく買った方が安い。今はそんな経済効率優先の時代だが、良いものを長く使う。革のランドセルを大事に大事に使う。そんな「物」への関わり方が偲ばれてとても慕わしいのだ。
また、マコちゃんが結婚祝いのお礼に贈った本について、こう書かれていた。
>「学院出身だがらこういう本うんと好ぎなんだいっちゃ」と若かりし頃の/ミッションスクールの文学青年を髣髴とさせるようなことばでした。/線香くさい大文字屋のおんちゃんのイメージからはかけ離れていて/とっても意外な気がしました。
まず「線香くさい」というイメージについてだが、にこやかだが生真面目で、あまり余計なことを言わないむっつりだった憲ちゃん、粋だとか派手だとかというものは無縁という意味では、「線香くさい」というのはうなづけるイメージだ。ただ「線香」という仏教系イメージを私は父に持ったことがないので、その点はちょと意外な気がした。
私自身は母から「お父さんは若い頃本が好きで、暗いところでよく本を読んだから、目が悪くなった」という話を聞いていたし、憲ちゃん自身の話の内容から、どちらかという西洋的なもの、科学的なものを評価するところがあったので、仏教とか東洋的なもの、日本的なものへの志向は希薄に感じられた。
だいたい神棚の手入れや墓掃除なんかはいつもきょこちゃん(享さん)がしてくれていたし(石巻にお住まいの頃はそうだった)、型通りの墓参以外は信心というものに興味を示さなかったように思う。これは商売に身を入れていたことの裏返しであるのだろうが、今考えると、おろそかにし過ぎのようにさえ思える。
ただ、兄の忠典から聞いた話で、「おれは親鸞が好きだなあ」と言っていたと聞いたことがある。また母(喜久子)からは、ばっぱ(小糸さん)が大文字屋の墓の敷地内に日蓮宗の石碑を建立したのを見て憲ちゃんが「こんなのいいのがやぁ」と言ったという話を聞いたこともある(称法寺は曹洞宗であるから、まあ極めて常識的なコメントであるが)。だから父に仏教へのそれなりの関心があったこともわかる。
またその一方で、憲ちゃんが純然たる「ミッションスクールの文学青年」のイメージかというと、そうでもない。テレビのニュースで凶悪事件の報道が流れると、よく舌打ちしながら「こいなの殺してしまえ!」と口走っていた。私など横で聞いていて「オイオイそれは極論だろ」と思っていた。少なくとも内面的にクリスチャンでないことは確かだ。
でも考えてみれば、仏教にも「殺生戒」があるから、憲ちゃんは仏教的とも言えない。
要するに心底宗教に沈潜する人ではなかった。きわめて現実的な人だった。
それが私の憲ちゃんに対するイメージである。
そんな憲ちゃんだったからであろうか、マコちゃんがランドセルのことを教えてくれたことは、私の心を温めた。
マコちゃんとの交流は父の心も温めていたであろう。
この思い出を分かち合ってくれたマコちゃんに私は心より感謝する。
付記1
今日8月1日と明日2日は石巻川開きの日。今年は行けなかったが来年は久々に見てみたいと思う。
付記2
日和山軍団から連絡があり今度東京で会うことになりそうである。楽しみである。
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