筑井孝子の毎日日記

絵を描き 教え 頑張る毎日

だいぶご無沙汰で。。

2019-08-29 17:40:06 | 星野富弘さん
父が群馬大学に入院して
それで

検査の結果
もう治療の方法がないとのことで

昨日群大から退院してきました。

それで

今後は在宅看護になります。

いろいろ大変だけど
がんばろうとおもっています

いろんな文章をかきたいですが。
なかなかあほで。。
だめです


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父は中学の時
、兄弟は全員中卒でしたが、学校の
先生が成績があまり
よいので「千代」(母)にいって高校に進んだそうです。

商業高校が近かったのでそこに通ったそうです。父は商業を

卒業すると「大学に行く」ということもできないで
私の父(四郎)と母(恵子)が営んでいた米とガスのお店の手伝いで
前橋まで来たそうです。

18歳でお店の手伝いをしていた父(正)に
お客様から「サンヨー電機」(今のパナソニック)に事務員を募集してると聞いたそうです。

それで二年後前橋を離れ大泉のサンヨーの事務に行ったそうです。

商業を出ていたので
事務の分野に充てられていたようです。

わたしは父(正)が前橋に来た頃生まれました。
だから気が付いたときにはいたように覚ええています

父(正)はサンヨーに勤めていましたが
毎週バイクで前橋まできていました。

母がきれいだからきていたのか?と
幼心に思っていましたが、

今回聞くと

「こどもたちを生んだばかりで化粧もしてなくて
一生懸命働いてたからきれいでないよ。」って

サンヨーでは
高度成長期だったのでしょう

毎年2人だけ
茨城大学に行かせてくれたそうです。

ひょんなことで
父はそこに受かったと言っていましたが
孫が東京大学の法科に受かるほどだから
頭がよかったのでしょう

父は「茨城大学の短大」と言っていましたが
3年茨城に住んだそうです。

そして23歳になったとき
大泉の今のラグビーの有名な所のパナソニックのあるところで
働き始めました。3年お給与をもらいながら奨学金ももらい
そして勉強をしていました。が

父が27歳になったころ
私の父(四郎)が
胃潰瘍から尿毒症になりアッと今に亡くなり

その次の年父(正)が母と結婚してくれました。

今回

「なんで母と結婚したの?」ときいたら

わたしに父(正)はいいました。

お前があまりにかわいく
もしこのまま

俺がこなかったら
どうなってしまうんだろうって思ったんだよって

わたしは

今まで母があまりにきれいだから

父(四郎)が死んで
好きな母と結婚したいっておもったのだろうと
おもっていました。

父(正)のやさしさに涙しました

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