個展がおわりました。
約束して
仕事をおねがいしてくれたので
たくさん忙しいのに
仕事をしてあげて
「きてくださいね」って
『ありがとうございます』って答えてくれて
それで
来ない。。って人が一人二人ではない
すばらしい人や優しい人
何度も来る人がいるなか
そんな人は数パーセントだけど。。こころが嫌になるのが
わたしの肝っ玉が小さいからだろう
父の介護の保険関係で
時間がつぶれる
きょうは
また市役所から人がくる
明日は郵便局
で
今日の午後は障害持つ我が子のドクターとの話し合いがある
息子Bくんは千葉のところの停電で
今週からずっと仕事だ
それを思えばわたしなんか何でもない
それで富弘さんとのこと
=============================
私が還暦を迎えて間もない個展をした時会場でだ
わたしにどうしても見てほしい子供がいるというのだ
80歳になったHさんの息子は「こども」なのだろうか?と思ったが
わたしの目の前に座る人が子供らしい
彼はもう50を過ぎているだろう
「知的障害なのです」をお母さんらしい方がいう
私にむかって
「先生に少しでも絵を教えてほしい」というのです
「これからこの子がどうになっていくのか?と心配していると
この子『絵が描きたい』っていうんで」と
そして続ける
「実は先生のこと大好きな孫の『晴』わかりますか?」と
晴君は私の教室が大好きでで中学3年まで通っていた子だ
わたしはびっくりしました。
晴君のママが私のことを教えてくれたらしい。
会場にはたくさんの人もいたのでHさんに
わたしは自分の作った新聞を見せてまってもらっていた
渡した新聞にはちょうど
わたしの自分のことしか書いていない自分新聞で
その年に「全国の道徳の教科書」に選ばれたことを
うれしく思ったことが書いてあったのですが。。
Hさんは話し出した。
「私の父は骨折してそれで富弘さんと同じ病室に居たんですよ」
わたしはびっくりして
『多分わたしも毎日行っていたので会っていますね?』と
すると
Hさんは続けます
「あの頃僕は40歳くらいでしたが、富弘さんは彼女がいてね。。
すごいかわいい娘さんでしたよ。
その娘さんが来る時間になるとね富弘さんは
富弘さんのお母さんに櫛できちっと髪の毛をセットしてもらってね」と
そういえば星野さんは自分で手が動くわけでもないけど
いつもお母さんは木の櫛で六四分けのきっちっとした髪の毛にしてもらっていたように思います。
『あれ??そのかわいい娘って私かな?』というと
Hさんは
「あ。。先生かもしれないです。」って
わたしは
あまりにうれしくて
『あはは』と大きな声で
照れ笑いをしました
それからしばらくその当時の私のことを覚えていてくれて
話がもりあがった
40年の時を超えて
わたしのことが心に残っていてくれたことに
嬉しさが込み上げた
約束して
仕事をおねがいしてくれたので
たくさん忙しいのに
仕事をしてあげて
「きてくださいね」って
『ありがとうございます』って答えてくれて
それで
来ない。。って人が一人二人ではない
すばらしい人や優しい人
何度も来る人がいるなか
そんな人は数パーセントだけど。。こころが嫌になるのが
わたしの肝っ玉が小さいからだろう
父の介護の保険関係で
時間がつぶれる
きょうは
また市役所から人がくる
明日は郵便局
で
今日の午後は障害持つ我が子のドクターとの話し合いがある
息子Bくんは千葉のところの停電で
今週からずっと仕事だ
それを思えばわたしなんか何でもない
それで富弘さんとのこと
=============================
私が還暦を迎えて間もない個展をした時会場でだ
わたしにどうしても見てほしい子供がいるというのだ
80歳になったHさんの息子は「こども」なのだろうか?と思ったが
わたしの目の前に座る人が子供らしい
彼はもう50を過ぎているだろう
「知的障害なのです」をお母さんらしい方がいう
私にむかって
「先生に少しでも絵を教えてほしい」というのです
「これからこの子がどうになっていくのか?と心配していると
この子『絵が描きたい』っていうんで」と
そして続ける
「実は先生のこと大好きな孫の『晴』わかりますか?」と
晴君は私の教室が大好きでで中学3年まで通っていた子だ
わたしはびっくりしました。
晴君のママが私のことを教えてくれたらしい。
会場にはたくさんの人もいたのでHさんに
わたしは自分の作った新聞を見せてまってもらっていた
渡した新聞にはちょうど
わたしの自分のことしか書いていない自分新聞で
その年に「全国の道徳の教科書」に選ばれたことを
うれしく思ったことが書いてあったのですが。。
Hさんは話し出した。
「私の父は骨折してそれで富弘さんと同じ病室に居たんですよ」
わたしはびっくりして
『多分わたしも毎日行っていたので会っていますね?』と
すると
Hさんは続けます
「あの頃僕は40歳くらいでしたが、富弘さんは彼女がいてね。。
すごいかわいい娘さんでしたよ。
その娘さんが来る時間になるとね富弘さんは
富弘さんのお母さんに櫛できちっと髪の毛をセットしてもらってね」と
そういえば星野さんは自分で手が動くわけでもないけど
いつもお母さんは木の櫛で六四分けのきっちっとした髪の毛にしてもらっていたように思います。
『あれ??そのかわいい娘って私かな?』というと
Hさんは
「あ。。先生かもしれないです。」って
わたしは
あまりにうれしくて
『あはは』と大きな声で
照れ笑いをしました
それからしばらくその当時の私のことを覚えていてくれて
話がもりあがった
40年の時を超えて
わたしのことが心に残っていてくれたことに
嬉しさが込み上げた
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