今日は私の大学時代の友人がふたりで来てくれた
友だちに日程調整して今日になったんだけど
仏間で話をしていても、高校大学時代の娘を知らないから、その話ができるわけではない
世間話もそれもよし、なんて思っている私だったけど、なんだか今日はダメだったなぁ・・・
心が全然違うことを思ってた
ふたりの話に全然ついていけない心を感じながら座っていた
空虚・・・そして心の緊張感
食事に行った先で命日のお参りの話になった
ご住職に対して不信感のある私はついついその話を・・・
もともとありがたい話より現世のしがらみ一杯の話が多いご住職だった
それでも、まあ、その人となりで仕方ないなぁ、とすませていた
でも、娘が亡くなって忌明けも済ませていない時期に
「これから地球環境は悪化するばかり、そんな世の中に生きてなくて幸せだったかもしれない」と・・・
納骨前のお精抜きの時、お墓で
「ここは見晴らしが良いお墓だ、入るのが楽しみだね」と・・・
忘れられない言葉・・・
子どもを亡くすことが、どんなに辛いか苦しいか悲しいか
まだまだ一日一時間が苦しい時期に、寿命までは生きなきゃ、と言い聞かせながら生きている日々なのに、心をえぐられた
僧侶という仕事をどう意識しているのか、プロ意識はないのか、そう思った
人間だ、どんな職業でもその人は人間なんだ
でも、でも、許せない・・・
明日が命日だからいつにも増していろいろなことが頭をよぎる
友人にそんな話をし出したら涙で・・・
心がどこか緊張しているし、なんだか食事が終わった頃にはすごく疲れてしまった
明日は娘の友だち四人が来てくれる
娘の友だちは、その友だちの中に存在する娘を感じていられるから、だから受け容れられるんだと、今日はっきりわかった
疲れ方が違うなぁと思った
明日は娘と一緒に大切な友達と過ごそう
姿はないけれど、必ず、一緒にいるよね☆