これほどの長い10年を過ごすことは、これからの生涯でも二度とありません。
断言できることは悲しくもありますが、
少しだけ安心します。
あの苦しみはもう二度と今世では嫌です。
最初の一年は、ただただ辛かった、なぜあの子が・・・。
次の一年は、ただただ虚しかった、なぜそこに姿がない・・・。
その次の一年は、ただただ寂しかった、なぜなぜ、それを問いかけるのにも疲れてきた・・・。
「現実を受け入れていますか?」
入院中に看護師さんから言われた言葉です。
重い問いかけとして私の中にいつも存在していました。
今は、それに拘りがありませんが、とても苦しく感じていました。
10年を過ごして、思うことは、
時は残酷なところもあるけれど、
やはり癒しをもたらしてくれます。
もっと自分を癒そう。
もっと幸せになろう。
もっと家族を幸せにする。
もっと癒しを広げ伝える。
自分の人生を自分で生きる。
娘を見送る体験から学ぶことは必ずあるはず、
と思わないと歩いてこられなかった日々がありました。
今は、その実感もありますが、
やはりそれは私の人生の一部です。
でも、とても大きな一部です。
静かに穏やかに娘へ思いを馳せる日々です。
時には涙することもあります。
身近な死に触れれば、
やはり思い出します。
そのすべてが私であるという中に生きられることに、
これまで出会ってきた人たちに、
心から感謝申し上げます。
本当に本当にありがとうございます。
人は人の中で傷つきもします。
でも、人は人の中で癒されます。
真実の癒しに触れる機会を得られたことに、感謝しています。
ブラックな私であっても、
理想を熱く語っている私であっても、
落ち込んでぐちゃぐちゃ言ってる私であっても、
いつも共に歩んでくださった人たちに、
心からありがとうございます。
今年は、命日前後に用事を入れたのですが、
長男次男も一緒にお墓参りをする日が持てました。
穏やかな小春日和でした。
命日前の二日間は、娘の存在をたくさん感じられました。
命日には、親友Yちゃんが来てくれていました。
今年の流れで思うことは、
命日月なのに、命日月だから、と理由を付けることは、しなくてもいい、
今、自分がしたいこと、自分で選び、生きていくことがベストだということです。
娘を理由に自分自身を制限するのは止めようと思います。
基準を自分に戻すことにします。
娘は、いつも私の中に存在しているのだから。
自分のせいでお母さんが喜んでいない、、、
そんな思いをいつまでもさせたくないと思います。
でも、10年経ったから、、、10年経ったから、なんですよ。
本当にそう思います。
blogのトップページの時間を毎年更新します。
更新しながら、私の中の新しい一年のシフトが始まります。
これからもどうぞよろしくお願いいたします
かわいらしいお供えをいただきました。
春のお花に囲まれています。
お花屋さん、いつも百合をくださいます。
紅梅が一輪、膨らみ始めました。
白梅は、まだ固い蕾です。
こぶしの蕾、硬くても、春を迎える準備をしていることでしょう。
今朝は本当に冷え込みました。
氷の手水鉢に朝の光が差し込んできれいでした。