本日は台風による天候不安定の中、午前午後とお集まりいただいて、ありがとうございました。
無事に新しい方もお迎えできたことに心より感謝いたします。
子どもたちもたくさん応援してくれていたと思います。
皆さん無事に帰宅されてホッとしています
相手を思いやるってどんなことなのでしょうか。
「心配してるの」のはずが「心配してあげてるのに」・・・こんな勘違いも多い。
日の浅いころはいろいろな刺激に敏感すぎて、受取れないことも多すぎて、壊れそうな自分を保つだけでも、ものすごく大変
せっかく私を思ってくれてるのに私はその思いやりを受け取れない
せっかく私を思ってくれてるのに私は素直に応えられない
せっかく私を思ってくれてるのに私は・・・
自責の念に上塗りする必要はありません。
まずは自分の心を守ることを最優先しましょう
それは悪いことでもなんでもないのです
自分のためにしかエネルギーを使えない時期もありますよ、大きな大きなとてつもなく大きなショックを経験したのだから
自分をかわいがってあげてくださいね
なぜ今ここにあの子がいないのか・・・
「運命・宿命」そんなことでは納得できない、どう考えたらいいのだろうか・・・
そんなお話が出ました。
皆さんはどう考えられますか?
どう思われますか?
私は今、こんな風に感じています。
自分の力の及ばない尊厳的なことであると
それは魂という存在を確信するとき
魂の永遠である大きな大きな流れの中での今世を生き終えるという捉え方
人間である私が努力して変えられる範疇の外に存在することのような感じ
何か触れられない尊厳的なもののような感じがしています。
「尊厳」という言葉しか私には表現できないのですが、清らかなというのでしょうか・・・そんな部分だという感じがしています。
真実・・・寿命が尽きてみないとわからない
ですから自分がどう思っていくか、それに関わってくるとは思います。
ただ、これは感じてしまうのですよね。
「運命・宿命」の話を
魂の存在を心底確信してと話される人と
魂の存在という捉え方があるという視点で話される人と
その違いはとっても大きくて話をしていると、どちらから話している人なのかというのを感じられてしまうのですよね。
確信していらっしゃる人のお話は心に染み込んできます。
何をどう信じて生き切るか・・・自分自身の心の安定する方向で感じて信じていくことが一番ですね。
それは人それぞれでいいと思う
だからこそ、社会が成り立っている
こんなに大切なご縁がつながれて支えあえる人とも巡り合えることになっているのだから
今日もいろいろなお話ができました。
ありがとうございました。
午前中はパステルアート楽しみましたよ
恥ずかしい・・・と言いながら写真のアップに了承してくださってありがとうございます~
え~っ!?強制了承~なんて声もありましたかぁ
一枚目のお地蔵さまは皆とっても個性的^^
二枚目は自由に描いた
みんなで何かするって楽しいね
夢中になるって素敵だってこと思い出してくださった人も
壊れそうな心を持て余し、抱えきれなくて悲鳴をあげたり、そんな時を経て
「心が感じる」ことを思い出す・・・少しずつ、少しずつ、マイペースで歩けるようになりますね^^
本日の作品集
子どもたち今日もありがとう