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日記(10.8)   ノーベル物理学賞

2014-10-08 08:38:51 | 日記
10月8日 (水曜日)   晴れ 時折り薄曇り

月食がみられるか?な

昨日、お蕎麦好きの方に、打ってすぐに届けたら
柿を獲っていただいた。
もう、早いもので柿の実の時期だ。



垂れ下がる様に実っている。
まだ少し早い感じだが・・・・

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ノーベル物理学賞の受賞が決まった。
赤崎勇、天野浩、中村修二の3氏が開発した
青色発光ダイオード(LED)は、LED照明の普及による省エネ化への貢献にとどまらず、

   発光ダイオード(LED=Light Emitting Diode)=電流を流すと光を発する電子部品。2種類の半導体をつなげてできており、
   そのつなぎ目で発光する。電気エネルギーを直接、光に変えるため効率が良い。


ITや電力制御など、さまざまな技術分野で世界を変える可能性を秘めている。

波長の短い青い光は、少ない面積で大量の情報を読み書きできる。
青色LEDの技術を発展させた青紫色レーザーを使うブルーレイディスクは、
赤色レーザーを用いるCDやDVDに比べ記憶容量が飛躍的に増加。

小型・高性能のプロジェクターなどへの応用も進み、
IT機器が生活のあらゆるところに存在する
ユビキタス社会への貢献が期待されている。

また、電気自動車や次世代送電網スマートグリッド)など
大電力を制御する電子デバイスとしても有望視されており、LED照明とともに
省エネルギー、低炭素化社会の実現に向けた鍵となる。

纐纈明伯・東京農工大副学長(半導体化学)は「いずれも21世紀の社会を支える技術。
日本が一番進んでいる分野で、今後もコストダウンと高機能化が進められていくだろう」
と話している。 
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蛇足)

窒化ガリウムにこだわり

 世界中の研究者が見切りをつけた窒化ガリウムにこだわり続け、
不可能といわれた高品質の結晶づくりに成功し、
半導体光源の新時代を切り開いた赤崎勇氏。
強い信念に基づくその生きざまを支えたのは、
「われ一人、荒野(あれの)を行く」という孤高の精神だった。


 赤崎氏がLEDの研究に本格的に着手したのは松下電器産業(現パナソニック)に
入社した9年後、同社東京研究所に在籍していた昭和48年のことだった。
光の三原色のうち赤色と緑色のLEDは既に実用化され、
残る青色の激烈な開発競争が世界で始まっていた。

当時、青く光る可能性がある物質はセレン化亜鉛や窒化ガリウムが期待されていた。ただ、窒化ガリウムは電気的な性質の制御に必要な高品質結晶を作るのが非常に難しく、

「本命はセレン化亜鉛」との考え方が世界の主流だった。
それでも赤崎氏は、窒化ガリウムにこだわり続けた。

「セレン化亜鉛より物理的にも化学的にもはるかに安定しており、優れた点が多い。
結晶の品質をとことん良くすれば必ず活路は開ける

背景には、入社前の30年代に名古屋大でゲルマニウムの高純度の
単結晶化に取り組み、成功させた経験と自信があった。

「結晶を反応管から取り出すときの期待や興奮にのめり込んだ時代を思い出した」
からでもあったという。

主流から離れた赤崎氏を待っていたのは孤独な闘いだった。

56年に開かれた半導体の国際学会。
研究成果を発表しても反響がなく、会場からは質問も出なかった。
「われ一人、荒野を行く」。
このとき赤崎氏はこうつぶやき、窒化ガリウムの研究を絶対にやめないと心に誓った。

男の意地でこだわり続けた結果、ついに60年、高品質結晶の作製に成功した。

結晶を作るサファイア基板の表面に、窒化アルミニウムの薄膜を作る手法を「経験上の勘」で導入してみたところ、基板の上に、透明でひび割れのないきれいな結晶を作れたのだ。

これによって実用的な輝度の青色LEDが完成し、
光の三原色がそろった。

赤崎氏の功績で信号機や照明器具は次々とLEDに置き換わり、野球場などでフルカラーの野外大型ディスプレーも実現。屋内施設で野菜を作る植物工場にもLEDが利用されている

 今年9月、名古屋市内で産経新聞の取材に応じ
「LEDの普及で世の中は大きく変わった」と感慨深く語った赤崎氏。

LEDにはさらに大きな可能性があると確信しており、
「今後も健康の許す限り、結晶、光、半導体にかかわる仕事を続けていきたい」と意欲を燃やしている。
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ノーベル物理学賞に赤崎・天野・中村氏
記事が載っています。
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