けにーやじま (旧無礼講ロッカーズ)

信濃三十三観音札所NOW!
令和以降は長野県内外の札所めぐり、古刹名刹訪問記が主です。

令和6年西国三十三所巡礼(2) 播州路 27番書写山圓教寺

2024年11月24日 | 西国三十三所巡礼

巡礼二日目(その1)27番書写山圓教寺(天台宗 本尊:如意輪観世音菩薩)

・6:30に朝食、7:30過ぎに出発。朝食開始+1時間で出発、これが妥当なペース。まず27番圓教寺、午後は24番中山寺に向かう。
・宿を出てから続く四車線の広大な一方通行路、十二所前線が素晴らしい。
・書写山への街道は秋祭りの幟と大きな青や黄色の、大きいヒマワリのような「シデ」が飾られ賑やか。(御立住吉神社秋祭りだったか?失念)後で播磨は褌一丁の勇壮な祭りが盛んな地方だと知った。

書写山 東坂登山道

・その昔書写山にスサノオノミコトが山頂に降り立って1泊したという伝説があり、その名の「スサ」が「書写」の由来という。またこの辺りの地名は夢前(ゆめさき)と言う。なんと良い響きではないか。
・ロープウエイ駅の近隣、この朝っぱらに山陽道高架下の山ぎわで、一人の外国人旅行者がスマホ片手に右往左往。登山道は六方にあり、チャレンジ精神旺盛な海外からの旅行者も書写山を登っての圓教寺巡礼に興味深々のようだ。
・8:00に駐車場を東坂登山道口へ出発。散歩の方が道順を教えて下さり迷わず登山口に到着。標高40m。
・麓の集落からこだまする祭り囃子を聞きながら歩く。かつて書写山は女人禁制で、女人巡礼が納札した如意輪寺からの道と合流した後に岩肌の山となり、徐々に瀬戸内への眺望が開ける。
・淡路島、小豆島方面が良く見え、朝の出発で良かった。当初予定の午後からの登山では逆光で眺望が得られるか懸念だった。
・登山口から1.8㎞、歩行時間実質30分で標高250mのロープウェイ駅到着。眺望よろし。ここで折り返す散歩の人も多い。いいコースである!
・ロープウェイ駅と志納所の間には、圓教寺開祖性空上人と縁のある和泉式部の生立ちを追った大きな絵看板が並ぶ。これはよく読むべし。個人から寄贈されたものである。
・志納所で入山料500円を支払い、案内図をもらう。ここで本堂摩尼殿まで行くバス道と登山道が分かれる。バス道はかつて馬車道といい、平成12年まで観光馬車が通っていた。

とにかく広い!一山が境内、西の叡山と呼ばれる所以。
・登山道を行くと仁王門をくぐることができる。28番成相寺と同じである。足の悪い方はバスで。
・登山道で最初に見られる札所本尊の如意輪観音像を模した銅像は、秘仏開帳の際に感銘を受けた企業主が普段拝観できない人のために制作され奉納したもの。
・次に慈悲の鐘をつく。その後は高さ二尺の三十三所の観音像が間隔を置いて順番に並ぶ。途中、瀬戸内の眺望が開ける場所がある。土地勘か望遠レンズがあれば姫路城もわかるらしい。スマホでは何だかわからん。
・仁王門をくぐると、予約すれば精進料理が出される壽量院がある。日陰にひっそりとした佇まい。
・沐浴場があった湯屋橋を渡り、摩尼殿への石段に着いた。志納所から摩尼殿まで1.5㎞、歩くだけなら25分と散歩の方は言っていたが、ところどころ足を留める分だけ時間はかかった。
・ひたすら仏法修行のため、俗世間とも女人とも隔絶し、山中に別世界を造る。その財力と労働力ははどこに?
・主材の材木と燃料の薪の調達は早かったにしろ、完全人力の時代。風呂の鉄や、積み石材の運搬の知恵が知りたくなった。

寺額にずっしり金色で著された「摩尼殿」の文字が境内全域に光を放つ
・札所本尊の如意輪観音がおわす摩尼殿は、一乗寺同様、懸造りで山からせり出し、階段は摩尼殿の東側に向かって伸びている。

・堂内はロープウェイとバスを乗り継いだ大勢の参拝客で混雑し、線香の煙は展望回廊にも立ちこめている。いかに心を静め読経するか。内陣に入った。

■圓教寺境内案内図。下赤線は回らなかった場所。



山奥に広々とした庭、写経ができる食堂(じきどう)

・納経を終え、「三つの堂」へ歩く。「三つの堂」とは「大講堂」=僧侶学びの場、「食堂」=僧侶寝起き生活の場、「常行堂」=僧侶修行の場、とのことで、三棟はコの字に庭を囲む。
・圓教寺をインターネット検索すると、関連して「2003年の米映画、ラストサムライ」「大河ドラマ軍師官兵衛」と出てくる。そのロケ地を提供した「三つの堂」は境内随一シンボリックな場所とされているのだった。
・前夜ここで行われたコンサートの撤収作業中でパイプ椅子がガチャガチャと騒々しく、不安になったが、
10時きっかりに作業が完了し、静かで広々清々した空間になった。本来の佇まいが戻ったと感じホッとした。
・派手さと無縁、清々とした境内にキリっと漂う真面目さと厳しさ。播州清水寺、一乗寺そしてこの圓教寺と天台宗の三所に共通した空気を感じ取った。
・食堂(じきどう)の一階では庭を正面にして、写経体験が出来るのであった。体験料は用紙に筆ペン貸与で二千円。当然般若心経と思いきや、四十二文字の十句観音経は500円で写経できるとある。
おお、これを持って中山寺への道すがら、花山院に納経すれば良いではないか!そう閃くと、この後の予定を変更せねばと、またも忙しなく案じ始めるのだった。><
・だが、写経の際の注意書きをよく読むと、写経は門外不出だと!そういうものなのかと知って、平常心に戻った。
・本来の仏果菩提の為書きのものは持参し摩尼殿に納経したので、ここでは家族の安全を願い納めた。良いロケーションで良い体験ができる。
食堂で写経。左に大講堂、右手に常行堂。

・令和4年善光寺御開帳で開設された信濃三十三所のコーナーでの十句観音経の写経も思い出し、「いざとなったら筆ペンと写経用紙に十句観音経」の心構えが備わった次第。
・食堂二階には寺伝や宝物の写真が展示され、これが面白い。弁慶のやりたい放題伝説の数々、怒りに碁石をめり込ませた碁盤など良く見るべし。
・???食堂なのに写経道場に展示館ということは、僧侶の生活の場ではなくなったのか?実は食堂は数百年間放置されており、昭和38年に解体修理して現在の形に完成されたとのこと。修理以前の様子が記録された資料があれば見てみたい。
・奥の院へ。梵字が刻まれた和泉式部の歌塚をお参りして、ロープウェイ駅へ戻る。圓教寺歩きは和泉式部に始まり和泉式部で終わるのだった。
・現在は映画ロケやコンサートを催すだけあって、バスルートと「三つの堂」をつなぐ車道もある。
この広い境内を、用事を言い使っては堂から堂へ院から院へと、雨が降ろうが雪が降ろうが下駄履き雪駄履きで駆けずり回る古の若い僧侶の姿を想像しながらの帰路となった
・ロープウエイで下る。下界の田んぼは稲刈りの盛り。コンバインで刈った藁束が、花びら型に広げて置かれていたのが見えた。粋なことをしなさる。
・駐車場着13時。出発からあっという間の5時間、歩いた距離は7㎞を超えた。回れなかった院坊も多く、やはり一日一所が妥当であろう。


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