(「莫那魯道烈士之墓」にて)
この人間のどこが’英雄’なのか理解に苦しみます。
霧社セデック族・マヘボ社の頭目:モーナ・ルダオ(1880年 - 1930年)
霧社セデック族6社を率いて当時の小学校を大人数で襲撃し、女子供にいたるまで日本人を大量殺害して山に逃げて最期は自殺。その後発見された遺体は埔里や大学、博物館等で展示され’晒し者’にされた人です。 英雄でも何でもないです。
霧社事件で殺害された人たち(日本人)のお墓は、今では一切整備されていない荒れ果てた原住民たちの’酒飲み場’になっています。歴史は歴史ですが、私は道徳上何か間違えている気がしてなりません。
確かに彼ら(原住民たち)の生活は、日本人の介入によって大きく変わりました。
特にインフラ面の整備、教育等は日本人が持ち込んだもので、大部分の原住民たちは野蛮な原始的な生活から抜け出せて返って日本人に感謝していた人がほとんどだったそうです。私はこの町(プリ)に住んで5年近くが経ち、今ではたくさんのセデック族の友達がいます。彼らの話を聞いているとあの映画『セデック・バレー』の内容がモナ・ルダオを美化し過ぎているようにしか思えない。霧社事件を起こした人たちのせいで酷い迷惑を被った人たち(台湾人)を私はたくさん知っているので、その辺の歴史もしっかりと明記すべきだと思います。
ちょっと感情的になってしまいましたが、『霧社事件』に対しての私の率直な気持です。
ここは非常に綺麗に整備されていますが、日本人のお墓はその正反対の状況です。
霧社には日本統治時代に建てられた神社の鳥居が今でも残っています。
この人間のどこが’英雄’なのか理解に苦しみます。
霧社セデック族・マヘボ社の頭目:モーナ・ルダオ(1880年 - 1930年)
霧社セデック族6社を率いて当時の小学校を大人数で襲撃し、女子供にいたるまで日本人を大量殺害して山に逃げて最期は自殺。その後発見された遺体は埔里や大学、博物館等で展示され’晒し者’にされた人です。 英雄でも何でもないです。
霧社事件で殺害された人たち(日本人)のお墓は、今では一切整備されていない荒れ果てた原住民たちの’酒飲み場’になっています。歴史は歴史ですが、私は道徳上何か間違えている気がしてなりません。
確かに彼ら(原住民たち)の生活は、日本人の介入によって大きく変わりました。
特にインフラ面の整備、教育等は日本人が持ち込んだもので、大部分の原住民たちは野蛮な原始的な生活から抜け出せて返って日本人に感謝していた人がほとんどだったそうです。私はこの町(プリ)に住んで5年近くが経ち、今ではたくさんのセデック族の友達がいます。彼らの話を聞いているとあの映画『セデック・バレー』の内容がモナ・ルダオを美化し過ぎているようにしか思えない。霧社事件を起こした人たちのせいで酷い迷惑を被った人たち(台湾人)を私はたくさん知っているので、その辺の歴史もしっかりと明記すべきだと思います。
ちょっと感情的になってしまいましたが、『霧社事件』に対しての私の率直な気持です。
ここは非常に綺麗に整備されていますが、日本人のお墓はその正反対の状況です。
霧社には日本統治時代に建てられた神社の鳥居が今でも残っています。