昨日と同じような穏やかな晴天、気温は2度。
同じ空の下に、災害で苦しむ人、戦いに怯える人、飢えに苦しむ人が溢れるほどいる一方で、私は今のところ安穏としている。
このことで罪悪感を感じるほど若くはないが、かといって問題意識を持たないほど呑気ではない。
社会で何が起こっているのか知りたいと思うが、知ったところで何もできないとも思う。
寝癖が取れないままに出てきた。
かつては、私のこのことを冗談混じりでからかってくれる同僚もいたが、それも最近ではもうパワハラ事象となりうるので、職場でそんなことを話題にするようなこともなくなってしまったので、どうでも良い。
人との接点がどんどん小さくなってしまい、誰が何を考えているのかみえなくなってきた。
私が他の人を観察することのできる機会は職場、通勤の電車の中ぐらいだが、それも、服装や歩き方、表情を見るだけで、語り合うことはない。
今いるところを私はどれほど知っているだろう。
そう問い直すと、今の居住地、職場をどれほど理解しているかと考えても、ほとんどわかっていないとわかる。
私は鎌倉の歴史などほとんど知らないし、病理以外の診療科のことはわからないどころか、病理学のこともほとんど知らない。
でも仮にどこかに身を投じても、そこを十分知ることは結局のところ不可能で、ちらっと見てそこを自分なりに解釈するしかない。
ただ、それぞれに関する知識が浅薄だからといって、それらについて語る資格がないというわけではない。
むしろ、何も気がつかないうちにそこにいることで、そこの本質的な部分を担っている可能性もある。
人それぞれが主体的な存在であり、それぞれの考え方を否定することはできない。
個々の思考を理解するための方法とは、何かあるだろうか。
全知全能の神などいるか
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他人に対する無関心、幸いそれはありません。
でも、上手く接するのは難しいですね。
これからもよろしくお願いします。
人のことを理解するのは難しいですよね。
私も全く分かってないと思います。
コロ健先生は、ブログに書かれてる時点で、
既に、周りの人に関心を持たれて、
そこに心を寄せて考えられてる証なので、
それだけで十分ではないでしょうか?
1番怖いのは、人に対して無関心ではないか?と思います。
また、コロ健先生から見られた視点から、
大きな発見に繋がることもあるかも知れないので、
気付かれたことは御伝えされるのも良いことと思います。