時代の波に逆らうことが出来ぬのはいつの世も一緒だが、「怪物」の名を欲しいままにしたアスリートの引退は、確かに、一つの時代に別れを告げる時となりそうです。。。
競輪・滝沢正光が引退…27日に会見 - デイリースポーツ
先週土曜日に、鉄ついでに前橋競輪に寄ったら、富山記念競輪が併売されていて、滝沢先生もこの記念競輪に斡旋されていて、初日1レースの1次予選に1枠1番で出走して2着。7月からの来期はA級に陥落することが決定しており、S級としてはこの富山記念が最後の配分だったので、その去就が注目されていたのだが、滝沢先生も引退ですか…。
滝沢先生の話をしようと思ったら、ふと春先に出かけた大宮競輪場でのワンシーンを思い出した。
未だに東京の大将格として、A級陥落後も君臨し続ける「ヤマケン」こと山口健治が走っていて、番手で人気を被って大敗して、客から「ヤマケン、頼むからもう引退してくれよ」とヤジが飛んでいたっけなあ…。
ヤマケンと滝沢先生がタッグを組んでいた「フラワーライン」の頃の競輪は生憎と知らないが(そもそも千葉と東京では選手の支部が違うので、ラインを組むことはあまりない)、おいらが中学生の頃の20年くらい前は、チバテレビの競馬中継が、大きなレースの競輪中継で潰されていたことがよくあったから、暇つぶしに見ていたということもあって(←どーゆー中学生だよw)、競輪のシステム自体は中学生の頭には理解しがたいものがあったのだが、出てくるたびに人気を背負ってバカ逃げして誰も寄せ付けない滝沢正光という選手のことは知っていたし、よくよく話を聞いてみたら滝沢先生は千葉の選手、それも地元八千代市(勝田台南の方らしい。ちなみに今は佐倉市在住だとか)の選手と知って、急速に親近感が沸いたものだった。
滝沢先生が生で走る姿を初めて見たのは、1994年12月30日の立川競輪場。
「KEIRIN GP '94」でのこと。
その頃は体調が悪く、微熱続きだったのがたまたま良くなったかなんだったか、とにかくこのまま家に引きこもっていても仕方がないと出かけた競輪場だった。
シャレで滝沢先生の頭の枠から買おうとか思ったりしたのだが、まさか本当に2着に突っ込んでくるとは思わず、シャレで井上茂徳→滝沢先生と買っておけば、そこそこの配当が当たったのに。
しかもそれには後日談があり、車券に当たらず年越しで気管支炎に当たって入院一歩手前という憂き目にあった。気管支炎を併発したのは、喘息持ちもさることながら、3歩歩けば人と肩が触れあう混雑ぶりの競輪場に出かけて変な菌を体内に取り込んでしまったからに他ならない(泣)。2年後にも、状況は違えど同じような病気になったことから、以後極端に冬場の人混みに異様に神経を使うようになってしまったのはいうまでもない。
今でも、テレビの中で、或いは金網越しで、首を上げて上体を揺らす独特のフォームで「モガく」滝沢先生の姿が、脳裏に焼き付いて離れない。
思えば競輪も大きく姿が変わってしまった。
たまに怪物っぽい逃げ屋がいるかと思えば、大ギアをカマしていたりする選手ばかりで、本当に「バケモノ」と思える選手がほとんどいなくなってしまったのが残念でならない。今でこそ「バケモノ」と呼べる選手は、本当に嵌った時の小嶋社長(小嶋敬二・石川・74期)くらいのものだろう。
今など大ギアが主流になってしまったから、かかってしまえば大ギアの逃げ屋のラインで仕方ないのに、かかる前に別線に叩かれたら一巻の終わり。おいらが福島の山崎芳仁をどうにも好きになれないのは、ひとえにかからなかった時のもろさにある。それは己の脚質ではなく、自転車のギアに頼る部分が多分にあるからなのだろう。つまりそれは、滝沢先生や、一時期の吉岡、神山のような、脚力のみに裏打ちされた「絶対的な強さ」ではないからだ。
あの芸術的とさえ思えるもがきがもう見られないのかと思うと、残念でならない。
徹底先行で売り出し、「怪物」として花開き、競輪界に一時代を築いたアスリートが、また一人消えようとするのは、寂しいけれど、致し方ないのかな…。
滝沢先生、お疲れ様でした…。・゜・(ノД`)・゜・。
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競輪・滝沢正光が引退…27日に会見 - デイリースポーツ
競輪でグランドスラムを達成するなど、豪快な先行、まくりで一世を風靡(ふうび)した“怪物”滝沢正光(48)=千葉・43期・S2=が引退を決意、27日に記者会見を行う。
同選手は適性組で43期生として競輪学校に入校。いわゆる“たたき上げ”の選手として頭角を現し、グランプリV2、特別競輪V12、記念競輪V90、通算勝利787勝をマーク。1990年の小倉競輪祭では井上茂徳に続いて、史上2人目のグランドスラムを達成した。
しかし、40歳を過ぎてからは力の衰えを隠せなくなり、来期(7月1日~)はA級陥落が決定している。これを機に引退を決意したもよう。今後は日本競輪学校の名誉教諭(昨年10月に任命)として後進の指導に当たる予定。
先週土曜日に、鉄ついでに前橋競輪に寄ったら、富山記念競輪が併売されていて、滝沢先生もこの記念競輪に斡旋されていて、初日1レースの1次予選に1枠1番で出走して2着。7月からの来期はA級に陥落することが決定しており、S級としてはこの富山記念が最後の配分だったので、その去就が注目されていたのだが、滝沢先生も引退ですか…。
滝沢先生の話をしようと思ったら、ふと春先に出かけた大宮競輪場でのワンシーンを思い出した。
未だに東京の大将格として、A級陥落後も君臨し続ける「ヤマケン」こと山口健治が走っていて、番手で人気を被って大敗して、客から「ヤマケン、頼むからもう引退してくれよ」とヤジが飛んでいたっけなあ…。
ヤマケンと滝沢先生がタッグを組んでいた「フラワーライン」の頃の競輪は生憎と知らないが(そもそも千葉と東京では選手の支部が違うので、ラインを組むことはあまりない)、おいらが中学生の頃の20年くらい前は、チバテレビの競馬中継が、大きなレースの競輪中継で潰されていたことがよくあったから、暇つぶしに見ていたということもあって(←どーゆー中学生だよw)、競輪のシステム自体は中学生の頭には理解しがたいものがあったのだが、出てくるたびに人気を背負ってバカ逃げして誰も寄せ付けない滝沢正光という選手のことは知っていたし、よくよく話を聞いてみたら滝沢先生は千葉の選手、それも地元八千代市(勝田台南の方らしい。ちなみに今は佐倉市在住だとか)の選手と知って、急速に親近感が沸いたものだった。
滝沢先生が生で走る姿を初めて見たのは、1994年12月30日の立川競輪場。
「KEIRIN GP '94」でのこと。
その頃は体調が悪く、微熱続きだったのがたまたま良くなったかなんだったか、とにかくこのまま家に引きこもっていても仕方がないと出かけた競輪場だった。
シャレで滝沢先生の頭の枠から買おうとか思ったりしたのだが、まさか本当に2着に突っ込んでくるとは思わず、シャレで井上茂徳→滝沢先生と買っておけば、そこそこの配当が当たったのに。
しかもそれには後日談があり、車券に当たらず年越しで気管支炎に当たって入院一歩手前という憂き目にあった。気管支炎を併発したのは、喘息持ちもさることながら、3歩歩けば人と肩が触れあう混雑ぶりの競輪場に出かけて変な菌を体内に取り込んでしまったからに他ならない(泣)。2年後にも、状況は違えど同じような病気になったことから、以後極端に冬場の人混みに異様に神経を使うようになってしまったのはいうまでもない。
今でも、テレビの中で、或いは金網越しで、首を上げて上体を揺らす独特のフォームで「モガく」滝沢先生の姿が、脳裏に焼き付いて離れない。
思えば競輪も大きく姿が変わってしまった。
たまに怪物っぽい逃げ屋がいるかと思えば、大ギアをカマしていたりする選手ばかりで、本当に「バケモノ」と思える選手がほとんどいなくなってしまったのが残念でならない。今でこそ「バケモノ」と呼べる選手は、本当に嵌った時の小嶋社長(小嶋敬二・石川・74期)くらいのものだろう。
今など大ギアが主流になってしまったから、かかってしまえば大ギアの逃げ屋のラインで仕方ないのに、かかる前に別線に叩かれたら一巻の終わり。おいらが福島の山崎芳仁をどうにも好きになれないのは、ひとえにかからなかった時のもろさにある。それは己の脚質ではなく、自転車のギアに頼る部分が多分にあるからなのだろう。つまりそれは、滝沢先生や、一時期の吉岡、神山のような、脚力のみに裏打ちされた「絶対的な強さ」ではないからだ。
あの芸術的とさえ思えるもがきがもう見られないのかと思うと、残念でならない。
徹底先行で売り出し、「怪物」として花開き、競輪界に一時代を築いたアスリートが、また一人消えようとするのは、寂しいけれど、致し方ないのかな…。
滝沢先生、お疲れ様でした…。・゜・(ノД`)・゜・。
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かつて同県の和泉田喜一選手(先行型)や鈴木誠選手と一緒に乗ったり、小橋正義選手との攻防も凄かったですね。
フラワーラインとは、東京&千葉の所属選手が結集し、打倒中野・井上を旗印にしたもの。
吉井・山口健治&国男兄弟も在籍しましたからね。
いやでも、小馬さんが仰るように「大ギア」に頼らないで脚だけで怪物って呼ばれる選手はもう現れないかもしれませんね。
滝澤先生、お疲れさまでした。
全盛時は、一度逃げたら誰も追いすがれませんでしたからね…。
あんな強さを発揮する選手は、もう現れないのでしょうか。
>雷庵さん
伊勢崎彰大…。
「怪物二世」といわれて幾年月。
今や普通のS級選手になっちゃいました…。
>たこすけさん
そのサインは、額縁に入れて大事にしてやって下さい。
滝沢先生、お疲れ様でした。
本当に、石毛次第の普通のS級選手ですね。