<聚楽台>上野駅前のレストラン、半世紀の歴史に幕--21日閉店 /東京 - 毎日.jp - gooニュース
このレストランは、上野を一度でも通りがかったことがある人なら、おそらく知らない人はいないだろう。
上野駅不忍口から上野公園への階段へ行く道の、スクランブル交差点を渡った先のあの古びた建物のレストランのこと。
おいらとしてはあの建物は、聚楽というレストランが入っていたことや、土産物屋が軒を連ねていたというイメージもさることながら、碁会所とか映画館というイメージがあるのはなんででしょ? そういえば、上野公園脇にひっそり佇んでいるピンクの映画館は、今なお現役らしいっすよ。あたしゃ何度も何度も通りがかっても入ることはないけどね(笑)。
思えば上野駅前の、ガードの西側というのは、古びたイメージを長らく保っていた場所で、この「聚楽台」が入った建物もそうだけれど、数年前までそのはす向かいに建っていた、旧京成本社のビル(だっけ?)で、ヨドバシカメラが1階に入っていた建物もまたずいぶんと年季が入った場所で、あのビルから京成上野駅へ連絡する通路があったのだが、それがまた戦後の匂いをプンプン残すくらい古びたままで、「昭和レトロ」のイメージを通り過ぎて、通るのには勇気が要るイメージすらあった。そうでなくても、あの一帯もそうだし、京成電車で上野から一駅乗った、博物館動物園駅も、戦後どころか戦前のイメージすら残していた場所もあって、あの近辺は、時の流れを受け止めて、周囲に比べてゆっくり時を刻んでいるというイメージの建物が多く残っていたのは、実に上野らしい光景だったのだが。
ちなみに、上野から京成下り電車に乗る時と、日暮里の上り列車接近時に、「次は○○に止まります」というアナウンスが流れるのは、4両編成の普通電車だけが博物館動物園に止まっていた頃の名残りで、例えば日暮里駅上りホームだと、「次は、博物館動物園に止まります」というアナウンスが流れていた。もちろんきちんと英語のアナウンスもあった。
中央通りを走る都電などを写した古い写真を見ると、あの近辺は本当にあまり変わっていない。
上野広小路の歩道橋から、上野の聚楽方面へ向けてロングで撮った写真などは各所に残されているが、今でもあの光景が残っているのは、ひとえにロングの写真の奥に必ず写る「聚楽台」のレストランの建物が、周囲に比べて明らかにゆっくり、ゆっくりと時を刻んでいたからなのだろう。
その上野も、さすがに建物の老朽化とか、地震が来たら一発で崩れそうだとか、いろんな問題をはらんでいたのは間違いなく、「聚楽台」の建物より一足先に、旧京成本社ビルは解体され、今なお新しい建物が建設中で、近いうちに新しいビルが披露されることだろう。
建物は建て替えられても、ゆっくり時を刻む雰囲気だけは、変わって欲しくない街ですな。
◇集団就職世代、思い出の場
JR上野駅前にあるレストラン「聚楽(じゅらく)台」(台東区上野公園)が21日で閉店する。入居するビル「西郷会館」の建て替えのめどが立ったためで、集団就職で上野駅に降り立った若者たちの思い出の場所は、半世紀の歴史に幕を閉じる。【井崎憲】
◇建て替え後、再入居も
聚楽台はホテルレストラン業「聚楽」(千代田区)のチェーン店として1959年にオープンした。上野のシンボル・西郷隆盛像の下にあり、社名や店名の由来となった豊臣秀吉造営の城郭風邸宅「聚楽第」をイメージした安土・桃山様式の内装が特徴。座敷200席、テーブル席100席の大型店で、メニューは和洋中約70種類と幅広い。
店長として3年目になる鶴田文三(ぶんぞう)さん(50)は「目立つ場所にあるので昔から待ち合わせ場所だった。大勢で宴会ができるので集団就職者の同窓会によく使われた」と振り返る。
52年に建てられた西郷会館(3階建て)は上野広小路商業協同組合などが所有・管理している。土産物店などで多い時には約60店が入居し、買い物客でにぎわった。老朽化のため、10年ほど前から建て替え計画が浮上し、テナントは徐々に立ち退いた。現在は聚楽台も含め3店舗が営業しているが、5月初旬までに閉店する。
2年半後をめどに3階建てビルに建て替える予定で、新ビルには聚楽台も再入居する交渉が進められている。
1カ月前からレストランに閉店を告げる横断幕を掲げたところ、「また戻ってきてほしい」という声が相次いで寄せられた。鶴田店長は「これだけ親しまれているので今の店の雰囲気を残してまた営業したい」と話している。
このレストランは、上野を一度でも通りがかったことがある人なら、おそらく知らない人はいないだろう。
上野駅不忍口から上野公園への階段へ行く道の、スクランブル交差点を渡った先のあの古びた建物のレストランのこと。
おいらとしてはあの建物は、聚楽というレストランが入っていたことや、土産物屋が軒を連ねていたというイメージもさることながら、碁会所とか映画館というイメージがあるのはなんででしょ? そういえば、上野公園脇にひっそり佇んでいるピンクの映画館は、今なお現役らしいっすよ。あたしゃ何度も何度も通りがかっても入ることはないけどね(笑)。
思えば上野駅前の、ガードの西側というのは、古びたイメージを長らく保っていた場所で、この「聚楽台」が入った建物もそうだけれど、数年前までそのはす向かいに建っていた、旧京成本社のビル(だっけ?)で、ヨドバシカメラが1階に入っていた建物もまたずいぶんと年季が入った場所で、あのビルから京成上野駅へ連絡する通路があったのだが、それがまた戦後の匂いをプンプン残すくらい古びたままで、「昭和レトロ」のイメージを通り過ぎて、通るのには勇気が要るイメージすらあった。そうでなくても、あの一帯もそうだし、京成電車で上野から一駅乗った、博物館動物園駅も、戦後どころか戦前のイメージすら残していた場所もあって、あの近辺は、時の流れを受け止めて、周囲に比べてゆっくり時を刻んでいるというイメージの建物が多く残っていたのは、実に上野らしい光景だったのだが。
ちなみに、上野から京成下り電車に乗る時と、日暮里の上り列車接近時に、「次は○○に止まります」というアナウンスが流れるのは、4両編成の普通電車だけが博物館動物園に止まっていた頃の名残りで、例えば日暮里駅上りホームだと、「次は、博物館動物園に止まります」というアナウンスが流れていた。もちろんきちんと英語のアナウンスもあった。
中央通りを走る都電などを写した古い写真を見ると、あの近辺は本当にあまり変わっていない。
上野広小路の歩道橋から、上野の聚楽方面へ向けてロングで撮った写真などは各所に残されているが、今でもあの光景が残っているのは、ひとえにロングの写真の奥に必ず写る「聚楽台」のレストランの建物が、周囲に比べて明らかにゆっくり、ゆっくりと時を刻んでいたからなのだろう。
その上野も、さすがに建物の老朽化とか、地震が来たら一発で崩れそうだとか、いろんな問題をはらんでいたのは間違いなく、「聚楽台」の建物より一足先に、旧京成本社ビルは解体され、今なお新しい建物が建設中で、近いうちに新しいビルが披露されることだろう。
建物は建て替えられても、ゆっくり時を刻む雰囲気だけは、変わって欲しくない街ですな。
思い出の地なんだ。たしかに変わってほしくない。俺の時代はイラン人がテレホンカ-ドもって売っていたんだ。10枚1000円!!よく買いました。
終電逃して公園横のピンク映画館で
夜を明かそうとしたら
「そこはホモの溜まり場だよ」と
そこに入るホモの方に教えていただき
そのまま連れ込まれそうになって
近くのサウナに逃げた経験アリ。
(サウナの名前はミスターダンディ)
あの頃は、どこからともなくイラン人が沸いてきて、どう考えてもやばそうなテレカを売ってたっけねえ…。
>NICOTINE氏
逃れた場所も逃げた場所も、どっちにしろ後から…(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル