≪第5話 徴用令を受けて T.Y.さん 執筆当時64歳≫ ~戦争体験集「なつくさ」より~
国民徴用令(非常時ということで、平和産業に従事する人や商店で働いていた人を「白紙」の徴用令書で、強制的に軍需産業へ狩りだした国の法律)を受けて、中島飛行機武蔵製作所に徴用第一期生として入所しました。
グランドで入所式があり、三か月全員が保谷寮に居住しました。
寮生活は、起床、点呼、寮長の訓辞、各室内の清掃・整理・整頓で、集団生活の規律・規則は厳しかったが、弱音をはいたり逃げ出すことはしませんでした。
その後、自宅通勤が許可になりました。
仕事はエンジン気筒の加工作業で、工作機械は大部分イギリス製の自動盤でした。
作業員は製品素材の脱・着と附属工具の交換のみでした。
気筒の胴と頭を別々に制作し最後の行程で組み付け、製品は手動のコンベアーで次の行程へ移動されていきました。
現場の職階級は、一般工員、養成工(小学校卒で入所)、徴用工で、職工は三級手、二級手、一級手(班長)、伍長、組長、係長(技術補)、技手となっていました。
名前と番号のついた色別のマークを全員胸につけて、各工場別の区別と身分がはっきりしていて、他の職場への立ち入りは禁止されていました。
また門の出入りも職員と工員とは別々でした。
まさに大軍需工場でした。
国民徴用令(非常時ということで、平和産業に従事する人や商店で働いていた人を「白紙」の徴用令書で、強制的に軍需産業へ狩りだした国の法律)を受けて、中島飛行機武蔵製作所に徴用第一期生として入所しました。
グランドで入所式があり、三か月全員が保谷寮に居住しました。
寮生活は、起床、点呼、寮長の訓辞、各室内の清掃・整理・整頓で、集団生活の規律・規則は厳しかったが、弱音をはいたり逃げ出すことはしませんでした。
その後、自宅通勤が許可になりました。
仕事はエンジン気筒の加工作業で、工作機械は大部分イギリス製の自動盤でした。
作業員は製品素材の脱・着と附属工具の交換のみでした。
気筒の胴と頭を別々に制作し最後の行程で組み付け、製品は手動のコンベアーで次の行程へ移動されていきました。
現場の職階級は、一般工員、養成工(小学校卒で入所)、徴用工で、職工は三級手、二級手、一級手(班長)、伍長、組長、係長(技術補)、技手となっていました。
名前と番号のついた色別のマークを全員胸につけて、各工場別の区別と身分がはっきりしていて、他の職場への立ち入りは禁止されていました。
また門の出入りも職員と工員とは別々でした。
まさに大軍需工場でした。
※因みに、この中島飛行機武蔵製作所は地下通路まで作ってあるほどの大軍需工場だったようです。
その様子をレポートしたブログがありましたので、興味のある方は、 こちら をどうぞ。
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そのころ苦労した生存者も少なくなっています。
こうして、文字になって残ることは良いことですね。
心強くなれるコメントありがとうございます。
こういう内容はためらいがちになってしまって、
いつも迷いながら更新しています。
赤紙だけでなく、「白紙」もあったんですね。。。
「国民徴用令」すべての法律がお国のため。。。
私も知りませんでした。
白紙なんてあったのですね。
戦争のこと、隠されていた事も多いようで、まだまだ知らない事がたくさんありそうですね。