青い空に 似合うのは
満開のお花と 緑の葉っぱ
白い雲も きれいだけど
大きな キノコ雲は 絶対いらない・・・
大きな 大きな 白い雲
誰も見たことのない
空中に生えた きのこのような
青い夏空に 閃光と共に現れた
大きな 大きな 白い雲
その瞬間にまで 時を刻み
チクタクと 働いていた時計
8時15分 永遠に動きを止めた
それを境に 全てが暗黒の世界になったという
さっきまで 手を繋いでいた人が
突然に 消え
背中におんぶした 赤子の鳴き声が
ピタッと 静かになった
蝉の声も消え 空白の音の無い世界
何処が生死の境界線だったのか
考える余地もなく
どれもが一瞬のこと
69年の時の流れに 救いを求め
恐ろしい記憶を
全てリセットしたくても
目を閉じれば また浮かんでくる
聞くだけも恐ろしい 戦争被害の事実
知らない人は
その怖さを
知っておかなければ いけない
同じことを
絶対 絶対 繰り返さないため
そして 忘れてはいけない
戦争という時代の
犠牲になった 多くの尊い命の上に
今 私たちの平和が
あるのだということを・・・
* * *
1945年8月6日午前8時15分、
エノラゲイによって原子爆弾が投下されました。
私は、まだ生まれていなかったので、
戦争のことも、原爆のことも間接的にしか知りません。
私が得た戦争の情報は、祖父や両親からの話、書籍、映画などです。
原爆のことは、東京にいた両親たちすら詳細は知りません。
当時の新聞や、噂に近い人づての話だけだったのだと思います。
広島原爆についての概要をご覧になりたい方は、
こちらをどうぞ。
今思えば、
関東育ちの私が原爆に意識を向けたのは、
高校生の修学旅行で長崎の平和公園に行ってからだったような気がします。
そこで目にした石碑に書かれた言葉がずっと心に残りました。
それは、犠牲になった少女が書いたものだったと思うのですが、
「のどが乾いてたまりませんでした。
水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました。
どうしても水が欲しくて、
とうとう油の浮いたまま飲みました。」
水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました。
どうしても水が欲しくて、
とうとう油の浮いたまま飲みました。」
生涯私の心に残っている言葉です。
これについて、もっと詳細をご覧になりたい方は、こちらをどうぞ。
この時、原爆資料館にも行きまして、
かなり衝撃的なものだったのを覚えています。
でも目を背けてはいけないことだとも思いました。
そのあと、
「はだしのゲン」や「黒い雨」など、
原爆に関する映画や書籍などをいくつか観ました。
そして、
まだ行ったことのなかった広島の原爆ドームや、
資料館にも絶対行きたいと思っていたのです。
子どもが生まれた時、
必ずこの事実を見せておこうと思い、
子どもたちが小学生になった時、
夏休みに広島の原爆ドームと資料館に行きました。
下の娘は、
あまりにも残酷で、思わず目を覆いたくなるような写真に
ショックを受けていました。
でも、それを体験したわけではありません。
あの時の広島や長崎では、
誰彼関係なく、
写真どころか現状を目の当たりにさせられたのです。
避けたくても避けられなかった子どもたちが大勢いたのです。
どれほど怖かったことでしょう。
両親を失って一人ぼっちになってしまった子も多かったはずです。
そのことを思うと、今も胸が痛くなるのです。
原爆だけではありません。
戦争によって失われた多くの方々の命を、
決して無駄にしないためには、
二度と戦争を繰り返さないことが、
未来を繋ぐ私たちの役目なんだと思うのです。
今日は、
ちょっと重い内容になってしまってごめんなさい。
でも、これは絶対に忘れたくないことだったので・・・。
せめて写真だけでも明るくと、
華やかに咲いた百日紅のお花を載せさせていただきました。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます。
そして、お疲れさまでした。
― The sky ―
2014.8. 朝 @つくば市
「 ダルマ落としができそうな雲 」
あれほど衝撃を受けたことはありませんでした。
この世の地獄とはこのようなことを言うのだろうと思いました。
そして原爆の恐ろしさというものを知りました。
戦争によってたくさんの尊い命が亡くなりました。
その犠牲によって、今日の私達の命があるということを、しっかりと思い起こさなければいけないのだと思います。
そのことを、夏雪草さんの言霊が教えてくれました。
まだ朝の5時だというのに、里山では蝉の合唱が始まっています。
あの日の朝もきっとそうだったのでしょうね。
我が家の方では、
早朝から梨の消毒が始まっています。
広島の原爆資料館にいらしたのですかぁ。
あの影響は大きいですよね。
今の時代だと、
残酷映像だとか言われて、
隠されてしまうのではないかと、
そんなことを懸念したりもします。
でもあれは作り話でもないし、
CGや編集画像でもなく、
事実なのだということを知って欲しいですね。
先ずは真実を見つめることから・・・
ありがとうございます。
ひとりひとりが平和を大切にして大きな輪になりますように。
青空には美しい花がお似合い
素直に、本当にそう思います
青空と、美しい花、そして平和な世界
ここにいつも意識を向けていたいと思います
ありがとうございます
いつもありがとうございます。
ちいさな繋がりから、
大きな平和の輪(和)になると良いですね。
みんなが見上げる空には、
いつも美しいものであって欲しいですね。
いつもありがとうございます。
平和は犠牲の上にあるのですね。
日々の平和を実感して、過去の過ちを二度と繰り返さない覚悟を持たなければなりません。
今も紛争が世界のあちらこちらにあります。
人間の知恵は善に使うべきですよね。
合掌・・・
それは あの悲惨な戦争を忘れないことが条件です
小学6年生の二人の子供が朗々とスピーチをする一方
あれくらいの文章を一国の総理が紙面に目をやりながら
くちずさむ・・・平和はなんと・・・遠いものだと思わせました。
「他人事」ではありません。
今の生活が崩れ去るほどのことよりもっと恐ろしい
戦の中へ突き進もうとする動きの中に身をおくことにもなりかねない今の時勢なのです。
考える時間は十分すぎることなどありませんよね。
平和をまもること…このことのために「多くの犠牲」をしいたのですから 絶対に守らねばなりません。
そじて わずかな疑念も抱かせない政治でなくてはならないのでは・・・ひとりの今を生かされている人間のつぶやきでした。ここに示された記事について目を通してみることにいたします。いつも貴重な指針をありがとうございます。
何時も 素敵な詩を拝見させて頂いています。
静かな・・詠み・・心が和みます。
言づて、有り難うございます。
暑さの折、お身体ご自愛ください。
今後とも宜しくお願いいたします。
恐ろしいことが起きたことなど、理解できませんでしたが
9月の新学期になって、教室では毎日、先生の言われる
ままに、教科書を墨で塗り潰していました、
何か大きな変化が起きたなと云う予感が子供なりに
興奮したことがおもいだされます、
その後 壮年期になって、広島への旅行の機会があり
原爆資料館を見て、ものすごい衝撃をうけ、あの強烈な説得力には、ただ涙が止まりませんでした、
あれは誰もが見てほしい、 今でも思っております。