あしあとのこし

現在のことも、過去のことも、未来への夢も、いろんなことをとりあえず並べてみちゃおうと思っています。

生命力 ~繋がった小さな命~

2014-08-29 | 懐かしい日々

予定日まで まだ数か月あったのに

せっかちなあなたは 

世の中に出たいと 合図した







まさかの あなたのフライング

ここでくじけたら 

母親失格なんだと 気持ちに喝を入れ







覚悟を決めての セレモニー







あなたが この世に産まれるその瞬間が

どんな結果になろうとも

しっかりそれを 受け止めようと

それが 母として与えられた 最初の試練







「男の子ですよ」のひと言に

喜んだのも 束の間で

遠くにチラッ と見えたあなたの身体は 

紫色で 泣き声もなく 








対面を 許されないままに台の上

ひたすら祈った 数分間


逆さまにされて 何度も叩かれて

ようやく かすかに聞こえた 







ふぎゃ という 

あなたの小さな声







今でも私の耳に 残ってる







あぁ! 
この子 頑張ったんだわ

って思った瞬間







堰を切ったように 涙溢れ 
 






何度も 何度も 

いつまでも 繰り返し







心の底から湧き出た言葉







ありがとうございますだけだった

* * *




にほんブログ村 ポエムブログ 心の詩へ



毎週水曜日のテレビドラマ「若者たち」

先日の放送タイトルは、「生まれる」でした。

主人公(妻夫木聡さん)と奥さん(蒼井優さん)の赤ちゃんが、
早産で生まれてしまうというお話し。

通常分娩で生まれなかった子の将来への不安、
父親になる心理状態など
そこにまつわる人間ドラマに、
またまた感動し涙してしまいました。

ドラマ内容の詳細は、
番組サイトの「過去の放送内容」をご覧くださいませ。


実はですね、
もう、何十年も以前のお話しですが、
私の長男も早産だったのです。

そんなこともありまして、
ドラマに描かれた親の気持ちが痛いほどに伝わって
いろいろ共感しながら観ていました。

それで時を経た今、
当時のことを振り返ってみました。

以下は、私事であり長くなりますので、
適宜スルーしてくださいませ。



妊娠7か月。
それまで順調だったのに、
お腹の痛みは突然にやってきました。

初めてのお産だったので、
実家に帰る予定だったのですが、
そんなことを言ってられず、
いつも定期健診に通っていた病院へ・・・。

すぐに点滴も打ったのですが、
もうそれも間に合わずそのまま分娩室へ。

呼吸法がどうのこうのもなく、
時間もかからず、簡単に産まれてしまいました。

そりゃそうですよね。
まだ小さいのですから・・・。

足もとの方で、よく見えなかったのですが、
お医者様の手の中にいる子は黒色に近い紫色でした。
そしてなかなか泣きません。

しばらくして
「ふぎゃ」

小さな声で、それだけでした。

既に連絡済みだったのでしょう。
すぐに小児科の先生が入っていらっしゃいまして、
何やら応急処置的なことを施して保育器の中に・・・

そのまま、
保育器は分娩室から運び出されて行きました。


そして私は一人、
暗い病室で寝かされていました。

普通の赤ちゃんに比べたら、
想像以上に小さな身体と、命が助かるかどうかの不安。

母親の私には詳細を知らせてくれなかったのですが、

母乳が出ないように胸の周りを氷で冷やされ、
プラス、お乳を止める薬まで処方されたことで、
大方の想像はつきました。

それでも母親ってしぶといと言うのか、
強くなれるものですねぇ・・・。

一晩中名前を考えまして、
弱々しくても、
名前をもらったら、自覚して生きてくれるだろうと・・・。

それと、
この世に産まれた証しである出生届を早く出すこと。

それが唯一、その時私にできる
子供を助けるための手段だと信じていたのでした。

いつもなら、
私の言うことなんて一切聞く人ではない夫が、
私一人で考えてしまった名前をすんなり受け入れて、
すぐに出生届を出して欲しいという願いにも応じてくれました。

その時も、
やけに優しい夫の様子から何か変だなって思いました。

後日談ですが、
この時息子は99パーセント助からないと言われていたそうです。
なので、母親の思うようにさせてあげるようにと
お医者さまから言われていたそうです。

それと1週間以内?だったかしら、
もし助からなかった場合、
死産で届ける選択肢があるそうですね。

そうすれば、
次に生まれた子でも、戸籍上は長子となるわけですから。
そう願う家庭もあるみたいです。


そのことを、
私がいないところで病院から相談されたそうです。
ちょっと悲しいお話しですね。

幸い、その時は奇跡的にも命が繋がり、
その後保育器の中の息子は、
ほんの何㏄ほどのミルクを飲み始めるようになったと聞かされ、
(暫く、母親の面会は許可されていませんでした)
母乳を飲ませたいとお願いしました。

投薬を止め、
胸の周りを氷で冷やしていたのも、今度は温めて・・・
まぁ忙しいこと。
それからの私の日課は、乳搾りで忙しくなりましたわ。

お蔭さまで母乳もかなり出るようになり、
その後もずっとミルクのお世話にはならず、
母乳だけで育てることができました。

保育器から出られるようになって、
初めてこの手に抱きかかえ、
直接お乳を飲ませた時の感動は、
ずっとずっと忘れられないでいます。

もしかしたら、
産んだ瞬間よりも感動したような気がします。

そして数か月後に、
川崎病で再入院するまでは、平穏な日々が続いたのでした。


最後まで、
楽しいわけでもない
個人的な話しにお付き合いくださいまして、
ありがとうございました。

私もそろそろ、
少しずつ人生を振り返っていきたいと思っております。
息子たちのこともその軌跡を残していこうと・・・

今回のように、時々昔の子育てなどの話が飛び出しますが、
その時は、スルーしていただいて結構ですので、
皆さまの貴重なお時間の方を優先していただきたいと思います。

尚、本日のコメント欄は閉じております。
何かございましたら、「おきてがみ」の方へお願いいたします。



― The sky ―
2014.8.29 朝 @つくば市

「 秋の予行練習 」



ご訪問ありがとうございます。
ブログランキングに参加しています。ポチポチッとしていただけると嬉しいです。
↓↓↓↓↓      ↓↓↓↓↓      ↓↓↓↓↓


にほんブログ村 ポエムブログ 心の詩へ

左上のおきてがみも残していただけると嬉しいです。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今 私は雲の中 | トップ | 美しきかな・・・ ~銀座の街~ »
最新の画像もっと見る

懐かしい日々」カテゴリの最新記事