さゆりのひとり言-多発性骨髄腫と共に-

多発性骨髄腫歴20年/'08年4月臍帯血移植/「病気は個性」時にコケながらも前向きに/はまっこ代表/看護師/NPO所属

地震② 

2011年03月12日 20時09分23秒 | MM闘病記

本日正午、無事に家に帰りました。

職場を出てから4時間後になりました。

 

昨晩は職場に泊まりました。

当初、一人で横浜にいる母とも連絡が取れず、心配だったので、何が何でも(ヒッチハイクしようとプラカードまで作成した)向かおうとしましたが、

夕方、ようやく電話がつながり、母の無事は確認でき、津波を恐れて高台に避難するところ、というところでした。

私の家は、海のすぐ近く、しかも川沿いなので、津波となれば危険でしたので、

現場にいる母の判断に任せる事にしました。

私も下手に動かないほうが安心、と母が言うので、腹をくくりました。

幸い、建物は築2年、給湯器、電子レンジ、冷蔵庫、備蓄食糧などがありましたし、

寝るのに困らないだけの、ベッドが確保できました。

当時いた看護師5名のうち2名は徒歩帰宅、2名は乗り合いでタクシーにて帰宅しました。

検査に来ていた患者さん2名が帰れずに泊り、医師、技師、事務職員など20数名が帰宅できずに泊りました。

食い意地の張っている私は、帰らないと決めてすぐ、コンビニに駆け込み買い込みました。

そのとき既に、パンやおにぎりなどすぐに食べられる食品は空っぽでしたが、

お湯やレンジが使える事で購入できる食品の選択肢が広かったのも助かりました。

しかし、間もなく店内はレジ待ちの行列が一周半、菓子も含め何もない、という状況に。

5階までの階段での往復はしんどかったけど、行っといて良かった~と思いました。

そして、皆が不安な状況にいる中、私は、帰宅をあきらめると急にお腹がすいてしまい・・・

ご飯を温めに食堂へ。

すると、上には上が。

酒盛りが始まっていました!!

で、合流。

心配しても、連絡は取れないものは取れないし、帰れないものは帰れない、と。。。

途中、一応唯一の看護師である私は、人数確認とベッドの割り当て係に任命され、5階から7階を行ったり来たり。

無事に割り当てると、早速休むスタッフも。

昼過ぎから・・・みんな疲れていたんですね。

私は、途中、1月から新しく来た先生と語ったり、みんなでテレビにくぎ付けになったり、

でも、それはそれで、何とも言えない連帯感の感じる貴重な経験になりました。

さすがに、昼間よりも大きな地震が来て・・・という不安はありませんでしたが、

みんなが支えあい、助け合っていました。

今までにない信頼感が持てました。

妙に、みんなが明るくて、それが、思いやりと愛に満ちていました。

おそらく、被災地では、もっと、強いつながりが生まれていることと思います。

そうであれば、決して、悲惨な事ばかりではない、と救われます。

 

私は、患者さんが泊られているところの隣で休みました。

患者さんは施設内で最も設備が充実している、宿泊ドックコース用の応接室にいました。

お酒のせいもあってか、夜中に目覚めた私は、どうしてもテレビが見たく、

患者さんの様子を見る風を装って、声をかけると、

話をしたかったのか、一方的に語られました。

病気の事とかいろいろ。夜中の3時に。

一通り話を聞いて、扉を開けている隣の部屋のテレビをつけて、見ながらウトウトして、

また、ベッドへ。

6時半に起床し、患者さんも起きていたので少し話したり様子聞いたりして、

他のスタッフのところに行った時には、すでに半分くらいのスタッフが帰宅の途についていました。

私は、朝食食べながら情報収集して、最寄駅まで行く電車が動き出してから1時間後、終点まで復旧しきっていない今のほうが良い、と思い出発する事にしました。

まずは職場のある虎ノ門から、新橋まで一駅歩いて、JRで横浜方面に向かおうとしましたが、

歩いているところから見える駅のホームは人であふれていました。

とは言え、確認がてらとりあえずホームまで上がってみましたが、とてもとても乗れそうな雰囲気がなく、

少し引き返したところのカフェで、2時間弱、再び行ってみましたが、

山手線は動いてもいないし、平行して走る東海道線も走っているとはいえ、この時間でこれでは無理だろう、

と、すぐに、ルートを変更し、銀座線で渋谷に出て、東急東横線で横浜を目指す事にしました。

東横線は全線各駅停車になっていたとはいえ、銀座線も東横線も座って帰る事が出来ました。

 

最寄駅から家に帰る途中、地盤沈下しているところや、壁面のタイルがはがれている建物がいくつかありました。

これは、我がマンションも無傷なはずはない、と思いましたが・・・

奇跡的に、目視できる範囲でのひび割れや地盤沈下はなく、

室内も、ピアノの上のガラス製のフォトフレームが落ちて床に傷が付いていただけで、それ以外は全く被害がなくすみました。

一番先に落下したと思われていた、神棚もどきの榊用の花瓶が奇跡的にそのままだったのは、やはり、神様のおかげとしか思いようがありません。

母と電話がつながった後は、まず、下におろしてもらったんですけどね。

 

さて、そんな長い一日でしたが、今日は歯科の予約を入れていて、電話をしたら診療していたので、仕方なく行ってきました。

 

父方の実家、福島県南相馬市の親戚の無事も確認できました。

仙台市若林区の友人はご主人のお仕事で新潟にいて無事(再来週には気仙沼に引っ越しが決まっていたようでしたが)、

福島だと思っていた友人は山形に越していて無事、と親戚や友人・知人の無事も確認できました。

しかし、岩手に住んでいる先輩とは連絡が取れず、ご実家が被災している同僚も多く、おそらく、患者の会の会員さんや巡り巡ればどなたもが決して他人ではありません。

多くのチェーンメールなどが出回っていると聞きますが、地磁気や放射の上の対策としてヨードを摂取するというのは良いようです。

一週間は根昆布一個と蒸留水を1L以上、大豆製品を一緒に摂ると排泄を促すのでなお良いという事です。

ヨードについてはNHKニュースでも言っていましたね。

起きてしまったものは仕方がありません。

とにかく、後は、ポジティブに生きましょう!


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3 コメント

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ヨウ素摂取について (pecora)
2011-03-13 00:08:59
お疲れさまです。
私は子供が気になったため、徒歩5時間で帰宅しました。茅ヶ崎の後輩も連れて‥(泊まってもらいました)
タクシー券もたまたま手元にあったのですが無用の長物に‥
本日の日勤組は椅子並べて寝て宿泊したようです。長椅子はドクター優先だったとか‥

ヨウ素摂取について、NHKニュースではどのように取り上げてましたか?
私が探した原子力発電情報だと
http://www.nuketext.org/manual.html#qanda
食品からの大量摂取は難しく、ヨード剤の配布を行う(40代以上は内服しない)・避難するというのが適切だと思っていました。

風評でスーパーで品薄になるのは怖かったので調べたのですが、事実はどうなのでしょうか。

訂正あれば、お願い致します。
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ヨード摂取 (さゆり)
2011-03-13 23:29:53
それが、放射能対策のテロップに出ていました「ヨードを…」みたいな事が。。。
これはチェーンメールで来たわけではないんです。
説明が終わった後だったみたいで、NHKでは詳しくは分からなかったのです。
そうか、ヨード剤を投与する、という事だったのかもしれませんね。

不用意に不安を与えるようなチェーンメールは感心しませんね。
いずれにしても、個々人が冷静に対応することが必要なのかもしれません。
そういう意味では、私もNHKでもそのような事が出ていたから、これは!と安易に判断してしまいました。

チェーンメールは「友人のお父さんがコスモ石油に勤めていて~・・・」というのが2件。
全く別のルートで来たので、怪しいと思いストップして様子見ていました。
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ヨウ素摂取についての追加 (さゆり)
2011-03-14 22:37:07
ヨウ素摂取について、(独) 国立病院機構 北海道がんセンター 院長(放射線治療科)西尾正道先生が次のような記事を書かれていました。(一部抜粋)
・・・また放射線防護剤(内容はヨード剤)の配布が緊急被ばく医療の対応マニュアルに記載されているが、現実的にはヨードを多く含む昆布などの食品を食べながら避難することが現実的である。ヨウ素は甲状腺に取り込まれるが、事前にヨウ素を摂取し、甲状腺のヨウ素量を飽和させることにより、放射性ヨウ素が環境中にあっても、甲状腺に取り込まれないようにする対応である。

ということでした。
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