さゆりのひとり言-多発性骨髄腫と共に-

多発性骨髄腫歴20年/'08年4月臍帯血移植/「病気は個性」時にコケながらも前向きに/はまっこ代表/看護師/NPO所属

外来受診&お見舞い

2009年01月19日 23時42分23秒 | MM闘病記
今日は、2週間毎の外来受診日。
病院への往復もだいぶ慣れて、楽になってきました。

データは大きな変わりなし。
Hb9.5なので、やはり少し疲れやすい。

今日は、神経内科も初めて受診。
身障者手帳の適応の有無を判断してもらうのがメインの目的だったが、
それは、前回電話で難しいだろうという話だったので、期待していなかった。
一通り診察してもらったが、だからと言って期待したような新しい情報や見通しは立たなかった。
ただ、ガバペンという抗けいれん剤の量はもう少し増やしたほうがいいだろう、
ということになり、倍量に増量された。

ベルケイドによる末梢神経障害。
ストレッチとかは、有効ではないがある程度痛みを我慢してでもおこなっていたほうがいいという話は聞けた。
ただ、ジムに行くなどして筋トレ的にやることは勧めない、と。
日常の動作で十分にリハビリになっているということで、
何よりも、外を歩くのが一番であるという話であった。

いつ頃どうなるのか、
どうにもならないのか、
やはり、ベルケイド自体が使われ始めたばかりの薬なので、
長期的な経過については言及を避けられた。

あわてても仕方がない。
しかし、体力、筋力低下を防ぐための努力は継続していったほうがよい、
ということか。
仕事復帰のリミットが迫る中、焦りもあるが、何をおいても健康でなければ始まらない。
何を優先させるべきか、
やっぱり身体。
それだけは、慌ててはいけないと再認識した。

さて、今日は戦友のお見舞いにも寄った。
昨年秋に入院中だったのを見舞い、その月の末には退院できるだろうという話だったので、当然自宅で正月を迎えているのだと思っていたのだ。
ところが、つい先日、知り合いの看護師からまだ入院中であることを聞いた。

悪性リンパ腫で、私よりも数ヶ月前に骨髄バンクから同種移植を受けていた。
感染症が原因で、今回入院となったのだが、免疫力低下による日和見感染で、良くなったかと思うと悪化し、何度か繰り返したようだ。
原病のリンパ腫は抑えられている。
しかし、長引く入院に、精神的に耐えられなくなっていた。
先生の言葉が信じられない。
どうせ、自分はもう駄目なんだろう。
押し問答が続き、泣き叫んだ。
この状態がもう2,3日続いていたら、飛び降りていたかもしれない。
そう話す。

自分のことと重なって、涙を抑えることができなくなった。
私も、同じだった。
歩いて退院なんてできないんだろう、きっと。
だったら早く殺してほしい。
同じように泣き叫んだ。

話を聞いてあげることが、
泣くことのできる場所を作ってあげることが、
今の私にできることかな。
私のことも、同じ経験をしたことを知っているからこそ、
私に話したいことがいっぱいあるんじゃないかな。

今の私には、そう思えた。
時間の許す限り、耳を傾けた。

最後には、嬉しい涙だよって言ってくれた。
元気をもらえたって言ってもらえたことが、うれしくって。

外来で順番を待つ間、一人でまた泣いた。

時間はかかっても、退院できるんだよ!
だから、時間がたつのを、ただ待てばいい。
身体が十分に、頑張ってくれているんだから、
頑張らなくったっていい。
なるべく楽しいことを考えていればいい。
寝ているのが楽であれば、寝ていればいい。

何度も何度も、同じ言葉で励ましてくれた先生のことを思い出す。
何度も何度も。
同じ言葉で何度も言われないと分からなかったから。
だから、同じ言葉で十分だった。

おんなじことの繰り返しかもしれないけど、
間違いなく、一日一日と退院する日に向かって行っていた。

おんなじことを何度も何度も繰り返し、励ましてくれた先生に、
周りで支えてくれた人に、感謝。
そして、私も、彼が退院するその日まで、
今日約束した、
春になったら一緒に花見をしよう、という約束を果たすその日まで、応援し続けることを改めて誓った。

帰宅ラッシュの時間帯よりは少し早い電車に乗れたが、案外混んでいた。
優先席を目指したが、50代のオジサン3人が座っていた。
寝ている人はいなかったが、誰も譲ってくれなかった。

20分ちょっと。
大丈夫だろうと思っていたが、
吊革では踏ん張りがきかず、立っているのがつらくなったので、手すりがつかまれるところまで移動した。
手すりにつかまると、安定感を増し、幾分楽になった。
しかし、以外と揺れるもので早々にまたしんどくなってきた。
同じ姿勢でいるのが特につらいので、
足踏みしたり、軽くストレッチしたり・・・
最後は手すりにもたれかかって耐えた。

ここまで、バランスをとりながら電車に立っていることが負担になるとは思いもよらなかった。
20分ぐらいなら立てるだろうと思っていた。
譲ってくれないオジサン達は冷たいなあ、と思う反面、
どうにもつらくなってしまう自分がまた、つらかった。

若い女性もおばちゃんも、若いお兄ちゃん(そもそも優先席付近では空いていても座らないでいる人が多い)も、たとえ優先席でなくても比較的すぐに座席を譲ってくれるのに・・・。
ちょっと悲しかった。

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2 コメント

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同じように (とも)
2009-01-22 16:50:20
正月を実家で過ごして再度入院したのですが去年の8月からの入院退院で疲れたのか正月をゆっくり過ごしたのが災いしたのか病院が耐えられなく。姉に泣き言を言ったのですが。その時の返事がまったく一緒でした。頑張らなくていいよ。寝てるのが楽なら寝とき。なんとなく気が楽になりました。辛い時の一言は心にしみます。
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ともさんへ (さゆり)
2009-01-23 21:16:28
入院生活が長くなると、どんなに前向きな人でも、参ってしまうことがありますよね。
泣き言を受け止めてくれたお姉さんは、とっても素晴らしい方ですね。そういう時は、頑張れ!って励まされるのがかえって辛かったりするものです。
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