「けやぐの道草横丁」

身のまわりの自然と工芸、街あるきと川柳や歌への視点
「けやぐ」とは、友だち、仲間、親友といった意味あいの津軽ことばです

#09.伊万里・有田焼 「鉄鉢/てっぱつ」型のうつわ

2013年04月01日 | 工芸
 使い手のうつわに対する行為をあらためてみてみると、一般に、盛る・装う、食べる・飲む、洗う・拭く、片づける・仕舞う、ときには鑑賞するなどがあります。よく一口に「使いやすい」といいますが、「なぜ」「どうして」使いやすいのかを、このような何気ない普段の行為や所作によりあらためて分析してみると、案外重大なデザインのヒントが発見できそうに思います。

 この一年ほどの間にいわゆる皿洗いが大好きになりました。洗い順の段取りや水と洗剤の節約が基本的なこととは思いますが、うつわの材質・かたち・重さ・肌合い・製法・産地、ときには出会った場所、作り手の面影・お話・お人柄などなどに想いを巡らせながら、できるだけ時間をかけずに、整然と洗い駕篭に収め、拭いて食器棚の定位置に戻す一連の作業。一度としてパーフェクトに満足のいった試しはありませんが、何か心地いいものを毎回感じます。

 最近「なんだかこのうつわ洗いやすいなぁ。」と感じていたのに気がついたのが画像のうつわ。7・8年前に佐賀県・世界の有田に伺ったときに出会った、手ろくろ成形の「鉄鉢/てっぱつ」型白磁鉢です。どうしてこのうつわが使い安いのかを考えてみると、葛飾北斎・神奈川沖浪裏の大波のように内側にオーバー・ハングした縁が、洗い手の指にほど良く引っかかってくれるので、反対側の手の負担が軽減されるからではないかと思います。内側はほとんどが局面、外側も高台が低めなので、心地よく嬉しいくらいスムースに洗い濯ぎができます。掌中におさまる小型のうつわは別として、こんなに安心・安全なかたちはないのではないかとさえ思います。

 鉄鉢とは、禅宗の修行僧が托鉢の際に携帯するうつわで「応量器」(↓画像)ともいい、3ないし5個の容器が入れ子状に収まっているものです。外側の一番大きなうつわは「頭鉢/ずはつ」といって釈迦の頭頂骨を意味するとか。

 やきものの場合、鉄鉢の「つぼまっている」かたちは、規格化大量生産には不向きといえる複雑なかたちです。近年の目覚ましい技術革新により型で抜けないかたちはないと伺いましたが、それにしても逆勾配を型で抜くためには、相応のいわゆる設備投資の負荷が伴うはずですから、そういうところにこそ、一個からでもでき、自由自在で高度でみずみずしい手しごとの伝統技法を十二分に発揮するフィールドがあるのだと思います。以上、自称「皿洗い専業主夫」時々「兼業シェフ」の身近なくらしの実感でした。



皿の背を流すと皿が語りだし  蝉坊



▲画像data;
白磁6寸鉢鉄鉢型/伊万里・有田焼/いまり・ありたやき/矢鋪與左衛門(秀治)窯/伝統工芸士/佐賀・有田
全D=190mm/全H=45mm/高台D=113mm/高台H=7mm/W=360g/C=750cc

●矢鋪與左衛門(やしき・よざえもん)窯は雲の上、美しい「岳の棚田」のかたわらにあり、緑なすミョウガ(茗荷:Zingiber mioga/ショウガ科/多年草)の園圃がとても印象的で、都会のうさぎ小屋ぐらしからは夢のような環境でした。この美しいうつわ、はんなりとした見た目からの想像に反して実にたくましい働き手。カレー、オムライス、スパゲティといったスプーンやフォークの使用にはとても始末が良く、冷やし中華やぶっかけ系のそば・うどんなど麺類にもさり気なく対応してくれるので、わが家では年中無休で活躍しています。皿洗い時々兼業シェフもこのうつわが目標となるときには、狭い板場で自然に躍動してしまいます。輝く白のキュッとつぼまった曲面が、非日常的な楽しさと美しさを演出しているように思います。


▲「応量器」(資料画像)



《 関連ブログ 》
●けやぐ柳会「月刊けやぐ」ブログ版
会員の投句作品と互選句の掲示板。
http://blog.goo.ne.jp/keyagu0123
●ただの蚤助「けやぐの広場」
川柳と音楽、映画フリークの独り言。
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