(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−190(大内−尼子−毛利)
61.戦国の石見−4 61.1.大内−尼子−毛利 61.1.1.大内義隆 大内義隆の概歴 ・永正4年(1507年)生誕〜天文20年(155...
望洋−46(沖縄戦)
26. 沖縄戦 26.1.宮古島空襲 宮古島に対する空襲は昭和19年10月10日、11日以来B24による視察行動を除き殆んど途絶えていたが、昭和20年1月に入るや俄然活発と...
望洋−45(先島群島作戦(続き))
25. 先島群島作戦(続き) 25.1.作戦準備(続き) 25.1.3.水上特攻戦隊の配備 宮古島にも水上特攻隊が配備された。 宮古島に配備された特攻隊は、陸軍の水上特攻...
望洋−44(先島群島作戦)
(第6章 先島群島) 25. 先島群島作戦 先島群島とは、沖縄県の宮古諸島と八重山諸島の総称で、本土から最も遠く離れている島々という意味である。 ...
望洋−43(根本博元陸軍中将(続き))
24.根本博元陸軍中将(続き) 以下、門田隆将氏著「この命、義に捧ぐ」を参照、引用 24.3.台湾援助 根本は昭和21年8月終戦後、東京の鶴川村(現在の町田市能ヶ谷...
望洋−42(根本博元陸軍中将)
24.根本博元陸軍中将 終戦4年後の昭和24年(1949年)6月に九州宮崎から台湾に密航した男たちがいた。 彼らはわずか26トンのポンポン船で、およそ1400Kmを幾多の危機を...
望洋−41(台湾漂着(続き))
23.台湾漂着(続き) 23.2.第3中隊第2群門岡隊員の手記(続き) 23.2.2.敗戦 戦争中、しかも兵隊生活というのに、どちらかと云えば比較的恵まれた生活を続けていたが...
望洋-40(台湾漂着)
23.台湾漂着 久米島から宮古島まで直線距離で約220Km、宮古島と台湾は直線距離で約350Kmである。 第四戦隊第二中隊の赤塚中隊長の船を含め4隻が3、4日の漂流の末に台湾に...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−189(塩冶興久の乱)
60.4.塩冶興久の乱 塩冶興久は尼子経久の三男である。 興久は、出雲源氏の嫡流である塩冶氏の養子となり、塩冶興久と名乗った。 経久は、興久に3000貫の領地を与え、米原小平...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−188(高橋興光の滅亡)
戦国の石見−3(続き2) 60.3.高橋興光の滅亡 戦国時代における石見高橋氏の所領は、久光の時代に石見国邑智郡の阿須那・出羽、安芸国の北半分、山県郡の東部にまで及び...