近江に都を移したた天智に大海人皇子など群臣が従って大和から移動します。その時の大和んへの愛着を歌いあげたのが額田王の歌なのです。どうして、今更、この立派な都「平城京」を捨てて近江へなどという思いは誰にもあったと思います。その思いがこの歌”・・・隠さうべしや”にいっぱいに含まれているのです。そうして、672年1月天智天皇が崩ず。それからがまたややこしい対立が生まれます。天智の皇太子「大友」と天皇の弟「大海人」と皇位継承の争いです。それが戦いとなって展開されたのがあの
“壬申の乱”
です。その戦いに、又も、「吉備国」の名前が出て来ますが、余り詳しくはご存じないと思われますので、少し詳しくご報告します。
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