私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

鶺鴒とイザナミ・イザナギの二柱

2015-07-16 09:03:41 | 日記
柱の周りを廻り終えたイザナギイザナミの二柱は、イザナギのやや何となく物足らなさを感じつつも、

 “雖然 久美度邇興而<シカレドモ クミドニオコシテ>”
 
 と申されました。「然れども」です。何はともあれ、先ず、することをしなくてはなりません。国生みです。
 「我が余れる処をあなたの成りたらぬ処に刺塞(さしふたぎ)国生みを実行に移そう」 
 と、言われクミドに行かれたのです。

 「久美度<クミド>」ですが、本居宣長は「夫婦隠(こも)り寝る処を云」と、また、「興而<オコシテ>については「男女交合(まぐあい)すること」と書いております。なお、古語辞典(旺文社)には「夫婦の寝所」とあります。

 なお、俗説ですが、最初に、この久美度にお入りになったイザナギイザナミの二柱はその国生みの方法が分からなく、ただうろうろとしているだけであったのですが、そこへ鶺鴒が飛んできて、その方法を伝授したなどというのも伝わっているようです。だから、鶺鴒の別名を「麻那婆斯羅<マナバシラ>」というのだそうです。
 これは「学柱」と書きます、この「柱」というのは、イザナギ・イザナミが結婚式の時に廻った柱と関係あり、鶺鴒から柱???の使い方を学んだから、こんな名前が付いたのだと。

 福沢諭吉の女性論

2015-07-15 10:20:22 | 日記
 貝原益軒の女大学に
  “女は口ききて人に先立つは女の道に違るなり。和(やわら)に随いて貞信に情ふかく静なるを淑(よし)とす。”
 とあると書きましたが、その「女大学」に付いて、明治になってから、あの福沢諭吉は「女大学評論」で、次のように言っています。

 「人間たる者は、和順貞信人情深くして心静かなるべ」。
 
 これ等の徳目は、単に、益軒の言うように、女性に限ったものではなく、人間、総ての者に言えることで、「女の道はかくあるべしと女ばかりを警しめ、女ばかりに勧むるとは、その意を得難し」
 と。
 でも、これを書いた益軒を、ただ一方的に、非難するのでなく、「この議論片落なりと言うべし」と言っていますが、この大先生の生きていた時代は
 「一切万事支那流より割出して立論するが故に男尊女卑の癖は免かるべからず。実際の真面目(その物の本来の姿)を云えば男子の方にこそ多けれども、そこを大目に見過ごして、独り女子の不徳を咎むるは、所謂、儒教主義の偏頗論(意見が偏っていて公平でない様子)と言うべきもの。」

 要するに、此の貝原益軒の「女大学」の論は、偏っていて、決して、正しくないとはっきりと言っております。

 その辺りの福沢諭吉のものごとを公正に見る目が確かな証拠だと思われます。

 
 この本は、明治32年12月の再版本です。単に時代が明治になったと言うだけで、このように物の考え方が、社会の総ての面で新しくなったのかと言えば、決してそうではなかったのです。ただ、福沢諭吉等の先見の明、物を見る目の確かさ、大きさが備わっていたことを意味します。

 その辺りの垢でも、もし、現在、ありますと、安部総理に、少しでも嘗めさせてやりたい今日この頃です。

 さて、安保法案はどうなりましょうや???頑固なのか頭が悪いのかそれともうぬぼれ屋さんなのか良く分かりませんが。

女性の地位について

2015-07-14 09:04:38 | 日記
 イザナギはイザナミが、自分を差し置いて最初に、言葉を発したことに付いて
 
 “女人先言不良<オミナ オコトサキダチテ フサワシカラズ>

 「女性か、男より先だって、先ず、物を言うのはよくない」と言うのです。いま、こんな事を総理大臣でも言おう物なら、その支持率は30%より、更に、下がって、あれほど固執した「安保法案」なんて、何処かへ吹っ飛んでいくのではないかと思いますが、イザナギは細々と弱々しく言ったのです。
 
 あなたはどうお思いになられますか。そのような男尊女卑の考え方が、特に、強くなったのは江戸時代だと言われております。
 そこで、この女性問題の江戸時代の権威者である、あの貝原益軒の「女大学」にはどのように書かれているか調べてみました。

 「・・・口ききて人先立ち・・・、皆女の道に違るなり。女は、只、和<ヤワラカ>に随ひて貞信に情ふかく静かなるを淑<ヨシ>とす。」

 と書かれております。
 何事も控えめが女性の特性であり、それでなくてはならないと言っております。しかし、江戸期の益軒の考え方より360度も違って、その2000年も昔の日本の社会には、男女同権の思想と言うより、こような風習が依然としてあり、それに対して、男性は苦々しく思っていたのでしょうが、それを止める権限はなく、徒に、しぶしぶと従っていたのでしょう。

 それが明治になって新しい欧米風の民主主義の考え方が伝わり、その考え方が人本来の生き方だとして、その思想を大いに広めた人がいたのです。福沢諭吉です。その話はまた明日にでも、

「女人先言不良」とイザナギ

2015-07-13 08:16:29 | 日記
 「阿那邇夜志 愛袁登古」とまず最初に口を切ったイザナミに対して、イザナギは何となく心が晴れません。というか、女が少々出しゃばりのように思われたのです。結婚をしようという時女性からプロポーズなんて、それはイザナギにとっても余りいことではないように思われたのだろうと思います。
 今日でも、バレンタインデイのような風習が欧米でもあるのです。人類共通の考え方かもしれませんが、求婚は、男からというのが普通だったのかもしれません。女性はおしとやかにごく控えめにしているのがいいことだという男性中心の考え方が、今でも大手を振ってそこらじゅうを歩いているように思われるのですがどうでしょうか?女性が強くなったと言われてもまだその辺りの考え方には依然として、現代社会の中に根強く残っていると思われます。

 しかし、日本古代の社会風習では、こんなことが、当たり前のように残っていたのでゃないかと思われます。万葉集の中にもそのような女性の強さを伺わせる歌が数々残っています。

 「自右廻」って「阿那邇夜志愛袁登古」と

2015-07-12 11:20:41 | 日記
 それぞれ天の御柱を左右に分かれて廻ってから、夫婦の「摩具波比」を行うのが、古代の結婚式の儀式だったのですが、この時、女性は右から、男性は左から夫々半周して、又、元の位置で出会います。
 イザナギもイザナミも、この古代の結婚式の風習に従って同じように「天の御柱」の周りを廻ったのです。そして、再び、二人は出逢います。そこで、まず、声を出したのが誰だと思われますか??? 男神か女神か?  

 まず、声を出したのが、この時は女神「イザナミ」だったのです。天照大神を始め、女性の方がより物事に積極的だったという古代日本人の特性を強調したのではと思いますが、どうでしょうか。でも、現在の近代的欧米式の結婚式でも、まず、神父が尋ねるのは男子の方ですね。「あなたはこの人を永遠の妻としますか。」「はい」は男の方が最初に声を出します。
 そんなんことはどうでもいいのですが、古事記では、先ず、最初に声を出したのが、男神ではなく、女神「イザナミ」だったと書いております。

 “阿那邇夜志 愛袁登古<アナニヤシ エオトコ>”

 と。そして、それに続いて男神「イザナギ」も、それにつられるが如くに、

 “阿那邇夜志 愛袁登売<アナニヤシ エオトメ>」
 
 と云います。
 でも、この声、何となく、元気がなく、物寂しげに聞こえはしませんか、どうでしょうか。男神「イザナギ」の心に何となくひっかるものがあったのではと思えます。