私が尊敬 している <名古屋の君>。
一昨年あたりから 体調不良が続いている ご様子。
一時入院を 何度か繰り返 していらっしゃる というお話を伺っているので
とても 心配 しています。
だけど、その思いを 押 し付けたくはない というのが 私の心情!
<ご機嫌(健康・近況)伺い> のメールは 1~2週間ごとに してはいても、
「体調は いかがですか?」 「元気に して いらっしゃいますか?」
あるいは、「前回 調子が悪い って言ってらっしゃいましたけど 少しは良いようですか?」
あまり話 したくない時は 「うん!」 とか 「大丈夫!」 とか、
そんな答えかたで済ませられるような、
あえて その程度の問いかけを して、
あとはこちらの近況をお話する というのが常 となっています。
それに対する お返事 は
<深い話> はせずに サラッ と流す時 が あったり、
こんなことがあった と 細かく書いてあったり …
このお返事によって 相手の心意を ある程度 推(お) し量(はか)って、
それからの <返 し> は、心配する内容に多少なりとも触れる時、触れないようにする時、
その時々で違ったものになってゆきます。
心配 している といえば聞こえはいいかも しれませんが、
それは こちらの 勝手な思い にすぎません。
相手を心配 して心悩ますことがあったとしても、
相手は もっともっと 心に重荷を背負っている かも しれないんです。
そんな相手に 今 どうすることが < 嬉 しい> と思ってもらえるのか!?
<負担> を 感 じずにいてもらえるのか!?
それを考えるのが <思いやる> ということだと思うんです。
相手には相手の <都合> や<思い> があって、
心配 してもらって嬉 しい時、
今はそっと しておいてほしい時、
そういった違いは あるはず だから …
きっと誰でも ありがたい と思えることだと思います。
それは基本に置いて …
それがそのまま嬉 しいと思える時 なら、
「元気?」 という問いかけからでも 自然と <そんなお話> が出てくるものと思われます。
その <内容の深さ> は、相手が こちらを、 あるいは その時、 どう思っているかによって
異なってくると考えられるので、そのあとの返答にも、こちらの配慮は必要と思います。
今はそっとしておいてほしいと思っている時 の 心情 は
もっと奥の深いものだと思っています。
したがって、<心配> という言葉で、こちらの <知りたい> という思いを押 し付けないよう
さらなる配慮が必要なものと思います。
<心配> して <知ろうとすること> が 思いやり だとは思っていません。
〔 相手を 気遣えているだろうか 〕
そう 自分に問 いかける ことは 大事だと思うけれど、
「心配 してるんだから …!」 などというような言葉を使って聞くことは
相手に <答えなければいけない!?> と思わせるような 威圧的印象を与えると思うので、
言葉には注意 します。
「心配 している」 という言葉も 使いかた次第では重圧を与えることがあります。
あくまでも 相手が感 じるものであるはずの 思いやり という言葉に至っては、
自分で口にすれば <自負> になり、相手には <強要> と映ることがあります。
もしも 無理やり 聞き出したとして、
自分にはそれに 見合うだけの返答 が出来るかどうかもわかりませんし、
そこまで しておいて 「聞いただけ!?」 では どれだけ失礼に当たるかわからないことになります。
第一 それ以前に、
悩みを打ち明けたいと思うほど 信頼されている自分 なのかもわからない!
<独りよがり> は 恥ずかしいこと。
どんなに心配でも、とても 無理に聞き出す気にはなれません。
それに、
<気の重い話> は無 しに して、まったく違う話題でいきたい時だってあるはずです。
そんな時に 根掘り葉掘り 聞くようなことを したら、
気が晴れるどころか さらに負荷をかけることになりかねない!
「心配 している!」 なんて云いながら、とどのつまりは 自分の物見高さ? では 最悪です。
心配するなら、相手の心情が常に一定とは限らない ことや
聞いていいのは どのあたりまでなのか ということも含めて、
<自分優先> ではない <相手の心の内> を考える必要があるのではないでしょうか。
< 親 しき仲> と思うような方であっても、
いつでもすべてを 話 してくれるのが当然 なんて 思い上がらず、
礼儀や 分を 弁(わきま)えて、
話すも話さないも、相手の心 が 一番、 自分の器 が 二番
そう思うよう心がけて …!
力になれそうなことがあるのかもしれないな と思った時には、
「 いつでも力になれるよう努力するので、必要な時は言ってくださいね 」
気構えを持って 伝えることはします。
選択は相手がすること。 頼ってくれたなら自分の出来る限りを尽 します。
心配する は、あくまでも こちらの思い
<大変> なのは自分ではない。
相手を思いやる気持ちは、<知って解決できる> というだけのものではない。
そうかといって、「大丈夫?」 などといった問いかけを しない という意味ではありません。
問いかけた時、 < 話 しても大丈夫!> < 話 したい!> < 相談 したい!>
そんな風に思ったならば 必ず相手のほうから、その時々に見あった返答 が返って来るはず!
そう思うから それに関する反応がない時には 〔 何かあるんだな! 〕 と考える ということです。
電話なら 声で、相対せば 表情などからも読み取れることがありますが
メールは難 しさもあります。
思い詰めているとわかるような時には もちろん 対応も変わってきます。
大切な友人の <応えかた> は よく読みとって、しっかり 対処 してゆきたいものです。
<心配> という言葉で 自分を正当化 しないよう、
<聞きたい> <知りたい>、そんな思いを優先させないよう、
心配する相手に 負担を感 じさせないよう、
ずっと 聞けないと したって、<友人> に変わりはない。
<名古屋の君> とは 今も メール交換中です。
一時期よりは体調が良さそうな <名古屋の君>。
最近では 私がメールするより あちらから来るほうが格段に多くなっているので、
調子は良いのだろうと推測 しています。
最近の流行は、メールで待ち合わせ場所を決めての 夢の中でのデート!
なかなかお会いする機会がないので 一度そんなお話を したら 気に入ってくださいました。
少 しホッとは したものの、ご高齢(ちゃんとしたお歳は知りませんが …) であるため
心の内での心配が消えることは ありません。
あちらはあちらで 私に いつも さりげない気遣いを してくださいます。
お互いが相手を気にかける言動 に似たものを感 じるから 楽で いられる!
たぶん そんなところなのかも しれません。
これからも まだまだ 長~くお付き合いを してゆきたい 大切な方なので、
「お互い 健康に気をつけていましょうね~!」 と そんなお話も しています。
人を 思いやる とは 相手の気持ち を 大事にすること。
今回は<名古屋の君>のお話になりましたが、他にも何名か心配な方が いらっしゃいます。
そんな方々への思いも 基本は同じです。
みなさん お身体を大事になさってくださいね!
また メールしますから …
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みんなが こんな気遣いを し合えたらいいのにな~ … ということで
1992(平成 4)年 6月21日発売、
武田鉄矢 さん の 『雲がゆくのは』
(作詞 = 武田鉄矢 さん/作曲 = 深野義和 さん)
「涙ふくハンカチの色を した 雲が北へと流れてゆく
きっとどこか遠い国で 僕よりつらい 心の人がいるのだろう」
「おーい雲よ 僕はいい 我慢できるよ その人の瞳に浮かんで くれ
おーい雲よ 涙をふいてあげたら その人の瞳は 空の色だろう」
「おーい雲よ この町に雨が降る時 どこかの町は 日差しの中
おーい雲よ 誰かのためになるなら 冷たい雨に 濡れてもいい」
心配 してもらえることは嬉 しいことです。
だけど、何も聞かずにハンカチを差 し出 してくれたりするような
そんなことが、 問われるよりも 嬉 しい時 も あります。
心配するほどの相手だからこそ、嬉 しいと思ってもらえる対応や応援を したい!
(※ ブログ内容や 歌詞から、その時 感じたことを書いています。)
これは 「ドラえもん のび太と雲の王国」 の主題歌 として作られた曲です。
この年、「紅の豚」が 第10回 ゴールデングロス賞で最優秀金賞を受賞。
「ドラえもん のび太と雲の王国」 は、優秀銀賞を受賞 しています。
この映画は 環境問題を大々的に告発 した作品のひとつで、
作中に登場する ノア計画 が 天上人たちの非人道的行為であるという見方から、
<エコテロリズム>を扱った作品 と云われても いるようです。
※ エコテロリズム
・ 環境に害を与えると見なされる活動を妨げようとする意図で行われる破壊活動のこと。
・ 政治的なテロリズムで、敵の自然環境に損害を与えることを意図するもの。
ドラえもんの映画は、娘たちが小さい頃には 必ず見せに連れて行ったものでした。
たかがアニメ と思われがちですが、30分番組では見られない 感動作品ばかりで、
見終わると、〔 見て良かった! 〕 、〔 見せて良かった! 〕 必ずそう思えたからです。
友情だったり、人に対する優 しさだったり、勇気だったり …
そこに歌が流れると、さらに心への浸透率が上がります。
言い聞かすより自分で学んでほしいから、子ども達にはぜひ見せたかった!
世代交代で 今度はマー君やター君が パパやママに連れて行ってもらうことになるので しょう。
大人だけで見に行く機会はないけれど、久しぶりに見てみたい気もするので、
私もそのうち、マー君に連れて行ってもらおうかな~!
ドラえもん映画の主題歌には 欠かせない存在の 鉄矢さん。
最近のテレビアニメ は これが主題歌なの? 子どもの歌? と思うようなものが多くなっていて、
歌が悪いとは思わないのだけれど、何となく違和感を覚えることも多くなっています。
そのあたりは 古い人間だからなのかも しれませんけどね!
そんな古い人間が 鉄矢さんのこの歌を聞くと 言葉がす~っと入ってきて、
素直に良いな~と思えて、涙のおまけ まで付いてきてしまいます。
「これだって 小さい子達にわかるの?」 と言われたら、
〔 感 じるのは大人だけなのかな~? 〕 と 少々疑問も湧いてくるようですが、
今の子は しっかり しているから、小学生くらいになったら わかってもらえそうな気はしています。
こんな 歌いやすい と思えるくらいの歌 が いいんだよね!
耳に入ってきやすい速度で聞ける歌のほうが 心の奥底まで届きやすいから
何かを感 じる時間も 出来やすいんだろうな~!
それに、鉄矢さんの声が良い! 歌に 説得力を感 じるのよね~!
そんなことを思いながら 自分でも口ずさみ、心揺さぶられています。
優 しい気持ちになれる歌だと思いますので、機会がありましたら、聞いてみてください。
ただし、DAMで歌いたい時は、
Premier DAM か Live DAM に しか入っていませんので ご注意を …。
相手を 感じ取る意識 って とっても大事なこと じゃないかな~!
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「イラスト工房」 「イラスト市場」
…あ、そうそう。
こないだ僕は、「伝わりますか」の歌詞をちょっと間違えていましたね。失礼しました!。
いきなり話を飛ばせて、すみません(笑)。
元の話に、戻します…。
この歌は、同じく武田鉄矢さんの「少年期」に似ていますよね。
哀しげで、ほの明るい。
この歌は1コーラスに2回♪おーい雲よ♪というフレーズが出てきますが、1回目の♪おーい雲よ♪より2回目の♪おーい雲よ♪の方が、ちょっぴり、明るさが増して逞しさも増しているように、僕には聴こえます。
全国の子供たちが、学校で習えば(唄えば)いいのに。
自分の哀しみよりも、見知らぬ遠くの誰かの悲しみを思い遣る。
とっても、いい歌だと思います。
また来ます…!。
歌詞の違いは ほんの少し!
気持ちは充分 <伝わりました> よ~ ♪(* ̄ー^)v
「少年期」
懐かしいですね~!
これも ドラえもん映画の主題歌だった というのは覚えていたんですが、
1985年春公開の 「のび太の宇宙小戦争(リトルスターウォーズ)」(6作品目)だったんですね~!
♪ あーあああ 僕は どうして 大人になるんだろう
♪ あー 僕は いつごろ 大人になるんだろう
昔はこんなこと思ったな~
でも 今や
「もう大人になり過ぎちゃったな~!」 です。
だけど、
「ちゃんと大人らしくなれているのかな~?」 ということは、今も考えます。
この曲のイントロ、 どこかで聞いたようなメロディだな~と思って考えていたら、
中島みゆきさん(または TOKIO)の 『宙船(そらぶね)』の
♪「おまえの <オールをまかせるな>」 の部分でした!
『雲がゆくのは』 の中の <おーい雲よ> は、
2回目のほうが 音が高いので明るい感 じ、
そして、自分がこうしたい、そうなったらいいな という意志が伝わってくるので、
逞 しいとも感 じるんだと思います。
自分より相手を思いやれる!
私が一番心揺さぶられ、ジ~ンとしてしまうのは この部分です。
「全国の子供たちが、学校で習えば(唄えば)いいのに。」
まったく同じ気持ちです。
こんな世の中だからこそ必要な歌 という気がします。
『少年期』 は 自分に対しての思い だけど、『雲がゆくのは』 は 人に対しての思い。
『少年期』 からは 懐かしさ を、『雲がゆくのは』 からは 優しさを感じます。
コメントをいただくと、また新たな思いが湧いて来たり、再確認できたり、思い出すことが増えたり …
いろんな思いを味わうことが出来て嬉しくなります。
いつも 本当にありがとうございます。