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天台宗勤行儀 その15 跋(4)

さて、この『天台宗勤行儀』には、
経文の漢文 ・ 書き下し文(日本語読み) ・ 意味(日本語訳)
を記しました。

『天台宗勤行儀』を読誦する際は、
漢文読みか、書き下し文でお唱えするのが良いと思いますが、

本尊様や お位牌の前で日本語訳に目を通すことでも
“勤行”の実践にはなるでしょう。



そもそも、お経(勤行儀)による修行というのは、

 ① 受持(信仰する経典を いつも手許に置く事)

 ② 読(経典を読む事)

 ③ 誦(経典をそらんじ 口ずさむ事)

 ④ 解説(経典の内容をよく理解し、その素晴らしさを他の人にも知らせてあげて、
      皆を悟りに導く事)

 ⑤ 書写(お経を書く事、写経)

の五つがそろって 完成されるものです(法華経法師品~五種法師行)。





今日は、ここまで!     


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天台宗勤行儀 その14 跋(3)

また、天台宗は、中国の天台山という山で、
智顗さま(天台大師・智者大師)という僧侶が、
お釈迦さまの教えを学び、修行し、お悟りを開いて完成された教えなので
「天台宗」という名前なんですが、

その“天台”とは
「天に輝く星々」という意味です。



お釈迦さまの教えは「八万四千の訪問」と言われるほど、
まさに夜空に輝く星々のようにたくさんあります。



天台宗は、そのお釈迦さまの八万四千の教え全部を整理統合して
教理を作り上げています。



ですから、他の宗派のお祖師さまたち、
例えば、法然上人、親鸞聖人、栄西禅師、道元禅師、日蓮上人 等々は、
皆、まず天台宗の総本山である比叡山延暦寺で 
仏教の教え全般を勉強し、修行し、

のちに限りなくある星々(お釈迦さまの教え)の一つを選んで
新しい宗派を開かれたわけです。



したがって、天台宗の“勤行儀”は、
たの宗派の信者さんがお唱えしても
何等 支障はありません。






ちなみに、天台宗の“勤行”を 他の宗派から

 「朝題目に夕念仏 ~ 朝に南無妙法蓮華経と唱えていたと思ったら、
  夕方には 南無阿弥陀仏と唱えているし、
  天台宗って どんなおしえなのか分からない宗派だ」

と揶揄(からかって馬鹿にする)されたりすることもありますが、

天台宗は『法華経』を中心に据えて 
他のお経を系統立てて統合する教義の宗派ですから、

「南無妙法蓮華経」と『法華経』の名(お題目)を唱えるのは当然のことです。



また「厭離穢土 欣求浄土 ~ 苦界(此の世・此岸)を離れて
浄土(あの世・彼岸)に到達することを願う」、

来世に極楽浄土に生まれ変わることを願い、
その極楽浄土においでの阿弥陀如来を慕って
「南無阿弥陀仏」とお念仏するのも当たり前のことです。



法華経の教えも 浄土教の教えも
等しくお釈迦さまのおしえなのですから、
むしろ「南無妙法蓮華経」「南無阿弥陀仏」 
両方をお唱えする天台宗の“勤行”こそ
お釈迦さまの教えそのものだと 誇りを持つべきでしょう。






ちょっとむずかしい話になりますが、
天台宗の教えは、この 法華経の教え、浄土教の教えばかりでなく、

護摩祈祷などの密教や

座禅などの禅(止観)、

戒律 等、

お釈迦さまの教えのすべてを天台宗の教えだととらえます。



それに 神道や儒教、道教、キリスト教、イスラム教 等々、
他の宗教さえも すべて肯定しています。






今日は、ここまで!       


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天台宗勤行儀 その13 跋(2)

では、菩薩さまとは どんな仏さまなんでしょう?



仏教では 世界を十に分類します。


下方から

 ① 地獄界 

 ② 餓鬼界(餓えた人々) 

 ③ 畜生界(動物)

 ~ 〈ここまでを三悪道といいます〉


 ④ 阿修羅界(喧嘩ばかりの人々) 

 ⑤ 人間界 

 ⑥ 天界

 ~ 〈ここまでを六界、六道といいます〉


 ⑦ 声聞界(しょうもんかい 仏さまの声 つまり説法を聞いて お悟りを開く人々)

 ⑧ 独覚界(どっかくかい 縁覚界とも言い、日々の生活の中で
              ある日 何かの縁でふと悟りを開く人々)

 ~ 〈この二界は 羅漢さんたちの世界です〉


・⑨ 菩薩界 

・⑩ 佛界

 ~ 〈声聞から仏までを 六道に対して四聖といいます。〉


の世界です。






“菩薩さま”と呼ばれる仏さまには、観世音菩薩、文殊菩薩、地蔵菩薩などが
いらっしゃいますが、

これ等の菩薩さまたちは、皆、釈迦牟尼仏・阿弥陀仏・薬師仏・大日仏などの
仏さま(如来さま)より ひとつ下の位にいます。

では、観音さまたちは 阿弥陀さまたちより お悟りが浅いのでしょうか?



そうではありません。

菩薩さまたちも、既にお悟りを開かれている仏さまなのですが、
最後に
 「この世の中の すべての人々、動物や植物、すべての命あるものたちが、
  自分と同じお悟りを開いてから、
  みんなでいっしょに最高位の佛界に行きましょう。

  すべての生き物たちが お悟りを開くために、
  私は 出来ることを何でもしていきたい。

  それが 私の修行です」

という誓いを立てられたのです。

ですから、あえて上から二番目の位にいるのです。





先ずは 自分自身が 一生懸命 修行して、
悟りという境地を知り、
同時に 周りの人々の幸せのために精進努力する。

これが、天台宗にご縁をいただいた皆さんの“勤行”なのです。

繰り返しますが、天台宗の目指すところは、
成佛(佛さまに成る)のために
菩薩さまの境地に至るということです。







今日は、ここまで!     


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天台宗勤行儀 その12 跋(1)

天台宗勤行儀には、天台大師和讃と 伝教大師和讃とが載っていますが、
ここでは省略して 跋文に進みます。

跋文とは、後記の事です。






          跋


“勤行”とは、もともと「努力して行う行為」「熱心に修行する」という意味です。

この言葉は、仏教以前の、『老子』や『荘子』に すでに出てきます。



仏教(経典)は、インドから中国に伝わり、やがて挑戦半島を経由して日本に至りますが、
その糧において、インド語(サンスクリット語・パーリ語)が 中国語(漢字)に変換、
つまり漢訳されます。

そして、経典の漢訳が盛んに行われると同時に“勤行”という言葉が 
お経の中に頻出するようになりました。

例えば、『無量寿経』『佛遺教経』『大智度論』などがそうです。



日本に仏教が伝わると、“勤行”というと
「一日の内、時間を決めて、本尊様やお仏壇の『お位牌の前でお経を読むこと」
と解釈されるのが一般的になり、
“おつとめ”とも言うようになりました。

「朝のおつとめ」を“朝事”と言ったり、
「夕方のおつとめ」を“夕座”と言ったりします。



天台宗の“勤行”は、大儀には
「菩薩さまと同じ気持ちを持って日々生活していくこと」
と定義してよいでしょう。

そうなるためのひとつの修行方法として、
この『天台宗勤行儀』のような“おつとめ”があるのです。





今日は、ここまで!          


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天台宗勤行儀 その1

今年の正月にお配りした『天台宗勤行儀』を載せます。



合掌

 平素、諸事ご教導いただきありがとうございます。

 さて、この程、住職を勤めさせていただいております
埼玉県深谷市吉祥寺・茨城県稲敷市西泉寺の檀信徒向けに、
『天台宗勤行儀 附 天台大師和讃・伝教大師和讃』
を作成いたしました。

なるべく簡便に短い時間でお勤めができるように、
敢えて必要最小限の経文にしぼった勤行儀にしました。

 構成は、①経文 ②書き下し文 ③意訳 ④天台大師和讃 ⑤伝教大師和讃
⑥跋文(解説) です。

書き下し文は、従来の例文を多少改定しました。

意訳は 従来伝わる訳文を 大幅に改定しました。

両大師和讃は、古来伝わる和讃の、意味を取り違えやすい文字 何字かを
思い切って改めてみました。

跋文は、本書の解説に加え、ほんの少し小衲の思いを記させていただきました。

 昨年の霜月会に、吉祥寺本尊宝前で 天台大師和讃をお唱えしていて、
天台大師が六十歳で遷化された事を改めて想いました。

そういえば、伝教大師が遷化された五十六歳の同じ年齢の折、
小衲 某所にて 最澄様の一生をお話する機会を持たせていただきました。

還暦を迎えて野衲、ここは是非 その記念に何かを
ということで思い立ったのが、極めて私的な本書作成のそもそもの動機です。



 拙文、種々誤謬もあろうかと畏れておりますが、
御尊台様よりの訂正ご指導をいただければ 恐悦に存ずる次第です。

 拙書 謹んで奉呈させていただきます。

                                 九拝


                               瀧川善海






『天台宗勤行儀   天台大師和讃
           伝教大師和讃

                         吉祥寺
                         西泉寺』



     

           〈東大寺誕生仏〉



     天上天下唯我独尊

世界中で一番大切にしなければならないのは
  自分自身のしっかりした心根です。






今日は、ここまで!


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あかるいほうへ

平成29年の新春に當たり、謹んで至心に三宝を誦し、
併せて 檀信徒の皆様の御清栄を心よりお祈り申し上げます





一休宗純の名前を知っている方は多いと思います。

風狂の禅僧一休・とんちの一休さん なとども呼ばれ、
乱世の室町時代をひょうひょうと生きた、
とてもポジティブなお坊さんです。

この時代では 驚異的に長生きをした人で、
なんと87歳で、
「死にたくないよ!」と言いながら、
晩年出会った愛する伴侶 盲目の森女(おしんさん)に見守られて
亡くなられたお坊さんです。



一休さんの逸話は枚挙にいとまが無いのですが、
お正月というと思い浮かべるのが、
或る消化に招かれた一休さんが
主人に頼まれて揮毫した

門松は 冥土の旅の 一里塚
 めでたくもあり めでたくもなし


ですね。

実はこの時、
この句に続けて

この家から葬式千代

とも書かれていたそうです。

この揮毫を見た主人は 最初怒ったそうですが、
よくよく考えると

人は誰でも定められた一生を生きた後、
 等しく死を迎えなければならない。

 これは当たり前。

 今年もお正月を迎える事が出来た。

 めでたい事だ。

 浮かれたばかりいないで、
 ご先祖の恩に報い、
 子孫繁栄を願い、
 しっかりと自分の人生を生き抜き、

 この家が これからも幾久しく、
 十代、百代よりさらに、
 千代も続いていくように頑張れ


という一休さんのエールなんだと解ったそうですよ。






この一休さんを囲んで、お弟子さんや信者さんが
こんな話をしていたそうです。


「一休さま、極楽って どの方向にあるんですか?」


「私は、夕日が沈むときの美しさが、
 この世が一番輝いている時だと思います。

 あれは、西にある極楽世界が 
 太陽に照らされて輝いているに違いありません。

 極楽は西にあるんだと思います」


「いやいや、私は早起きで、
 毎日 陽の出を見ていますが、
 朝焼けの清々しさは 
 これから始まる一日の活力を 私たちに感じさせてくれます。

 極楽は東にあるはずです」


「ちょっと待って下さい。

 お釈迦様は 北に頭を向けて涅槃に入られたんですよ。

 北は人を目覚めさせる方角なんです。

 北にこそ 極楽があるに違いありません」


「一休さま、極楽って どの方向にあるんですか!?」


「ん? 極楽か? みなみにある!」



極楽世界は どこにあるというものではなく、
 「皆 身に有る」という頓智です




人の「幸 不幸」「喜び 哀しみ」「慈しみ 憎しみ」「楽しみ 苦労」、
喜怒哀楽 すべてを感じるのは、
その人自身の心にほかなりません。

お正月ですね。

冥途の旅の一里塚です。

世間の理屈にしばられないで、
自分自身をしっかり保って、
本音でのびのび人生を歩んでいきましょうよ。

未来に向かって!

あかるいほうへ!

檀信徒の皆さんが、
幸せな一年を過ごせますよう、
心からお祈り申し上げます。


                             山主合掌






新年祈祷札について

◎戸守り ~ 火防(ひぶせ)・盗賊除(とうぞくよけ)のための
       当山独特の御守護札です。
       玄関などにお祀りして下さい。

◎本山札 ~ 天台宗の総本山 比叡山延暦寺から取り寄せた、
       唐山檀信徒各家の一年間の無事を祈念するためのお札です。
       仏壇や神棚(無い方は 茶の間や客間)等にお祀りして下さい。

◎吉祥寺・西泉寺 勤行儀 ~ なるべく短く、なるべく優しいお経の本を作りました。
       住職の還暦記念です。
       天台大師(60歳で遷化されました)和讃と 伝教大師和讃も
       校訂して載せました。
       お仏壇の奥に仕舞いこむ前に、一度だけでも目を通していただければ
       ありがたいです。
  


当山のものであるなしにかかわらず、古いお札、お塔婆等はお焚き上げ供養をします。
 お申し出下さい。


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私の心が私を幸せにしてくれます!

平成28年の初春に當たり、謹んで至心に三宝を誦し、
併せて檀信徒の皆様のご清祥を 心よりお祈り申し上げます。






70年ほど前のお話です。

ポーランドのアウシュビッツ強制収容所に、
ヴィクトール・フランクルと言う名のユダヤ人の青年が
送られてきました。

この捕虜収容所は、ナチスドイツによって、
ユダヤ人・ポーランド人・その他の捕虜たちが 大量虐殺された
悪名高い強制収容所です。

しかも、フランクルは 結婚したばかり、
幸せの絶頂、希望に満ちた人生を歩み始めたばかりでした。



毎日、罪もない仲間たちが次々に殺されていく。

そんな悲惨な収容所の中の現実。

しかし、フランクルは
理不尽な境遇の中でも、「絶対に絶望しない」と決めました。



「自分は生きている。

 生きている間は 幸せを感じていたい。

 この地獄のような監獄の中にいても、
 唯一 私の心だけは 自由だ!」

彼はそう言って、その自分の言葉を信じ、
それを実践しました。



収容所の仲間たちに
「自分の心を決める事が出来るのは 自分だけなんだ」と語り、

昇る朝日に清々しさを感じ、
沈む夕日の美しさに感動する、
小鳥の声を聞いて笑顔になる・・・。

鬼のようなナチスの看守も、
彼の心の中にまで入り込んで干渉する事はできませんでした。

むしろ、彼の決して希望を失わない前向きな明るさに、
すさんだ心を癒されさえしました。



どんなに最悪の状況でも、その状況に対するその人の心持を決める事は、
他人にはできないのです。

自分自身は 自分自身が決められるのです。


ただ、この戦争で フランクルは 家族や親しい友人を
皆 失いました。

たった一人 生き延びて 強制収容所を出た彼は、
収容所時代の心の記録を『夜と霧』という一冊にまとめました。

この書は 今でも 世界中の人々に感動を与え続けています。






「私がコントロールできるのは、私の心。

 その心が、私を幸せにしてくれる」

マザーテレサの言葉です。

また、彼女は 

☆ 人生とは 夢です、それを実現して下さい!

☆ 人生とは 挑戦です、それを叶えて下さい!

☆ 人生とは ゲームです、それを楽しんで下さい!

☆ 人生とは 冒険です、それを思い切って やって下さい!

☆ 人生とは 何にも代えがたい貴重なものです、
 それを壊さないで下さい!


とエールを送ってくれてもいます。



自分自身の心の声、いつも大切にしてあげたいものです。

そして、自分自身の心を いつも元気に保っていたいものです。






おーい 私の心、元氣にしてる! 毎日が楽しい! 自分のこと好き!

ちょっと心が疲れたなと思ったら、
あなた自身にエールを送ってみてはどうでしょう。



檀信徒の皆さんが、幸せな一年を過ごせますよう、
心からお祈り申し上げます。                 山主合掌


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ピュアに! シンプルに! 生きてみよう!!

ピュア(純粋)に! シンプル(素朴)に! 生きてみよう!!   

平成27年新春に當り、謹んで至心に三宝を誦し、
併せて 檀信徒の皆様のご清栄を 心よりお祈り申し上げます






日々の生活の中で、
人は いろいろな事で悩んだり 悲しんだりします。

そして、
「あの時にこうすればよかった」と悔やんだり、

「あの人がこうすればうまくいったんだ」と責任転嫁したりして、

それに気づくと 自分自身 くよくよ落ち込んだり、
ストレスを感じたりしてしまいます。



そんなときは どうしましょう?

・・・想像の中で 遊んでみましょう!

“発想の転換”です。



「何でもかんでも うまくいってる! 

 全部大丈夫!

 だとしたら、何がしたい?

 何が欲しい?」



そんなふうに、心の中の自分に やさしく問いかけてみて下さい。

答えはゆっくり出せばいい。

ただ、何回も何回も やさしく問いかけてみて下さい。



今、「心の中の自分」って言いましたね。

それは「本当の自分」、いろんな顔を持っている自分自身の中で、
「本当の気持ちを出せる場所」の事です。

何回も何回も やさしく問い続けるうちに、
本当の自分の気持ちが見えてくるはずです。



「これがそうかな?」とひらめいたら、
そこに向かって行けばいい。

間違ってたら いつでも直せばいいんだから、心配ない。

何回間違っても、何回やり直しても、他人からは見えない。

他人には分からない、恥ずかしくないから、
私は何がしたいのか? 何が欲しいのか?
リラックスして 考えてみましょう。






ヒント!

テレビで、アナウンサーが 101歳のおばあちゃんに、
「貴女が今 一番欲しい物は 何ですか?」
と聞いていました。

おばあちゃんは、

「わたし、お金もいらないの、
 着物もいらないの、
 おいしい食べ物もいらないの、
 たった一つのこの命だって もういいの。

 一番 欲しいのは やさしい言葉なの。

 だから、わたし、
 みんなにやさしい言葉をあげるようにしているの。」

と答えていました。






・あなたに出会えてよかった!

・あなたといると楽しい!

・すごいね、どうしたらそんなふうにできるの?

・やさしいね!

・あなたのそんなところ、大好き!

・こんなの初めてだよ、すごい!

・一人でやったの、すごい!

・あなたに会いたくなってきちゃったよ!

・私を生んでくれて ありがとう、お母さん!

・おいしい、おかわり!

・ハンサムだね! 美人だね!

・痛かったね、かわいそう!

・あなたがいてくれて幸せ!

・あなたで良かった!

・あなたは面白すぎるよ!

・あなたのおかげです!

・あなたのようになるには、どうしたらいい?

・うん、そうだよね、すごくわかるよ!

・頑張りすぎないでね!

・ステキな名前ですね、誰がつけてくれたの!

・生まれてきてくれて ありがとう!

・Good job !

・かわいいね!

・つらかったね、でも もう大丈夫だよ!



やさしい言葉、まだまだたくさんありますよね。

心のこもった言葉は みんなやさしい。

言葉だけじゃなく、
やさしい笑顔、やさしいしぐさ、やさしい見守り・・・
なんかもあります。



“やさしさ”、
確かに 人間 一番欲しいものかもしれませんね。



もちろん、“やさしさ”を欲しがれと 
強要しているわけではありません。

人それぞれ 欲しいものは異なります。

ただ、言いたい事は、
「あれも欲しい、これも欲しい」「ああしたい、こうしたい」
じゃなくて、
欲しいもの、したい事を突き詰めていくと、
意外と シンプル(素朴)で、ピュア(素朴)   なものに
行き当たるんじゃないかなって事。

そこにホントの自分がいるんじゃないでしょうか。

「自分も 棄てたもんじゃ ないんじゃないかな!?」
なんて ポジティブな自信になったりもするでしょう。

過去は変えられない、でも 未来は変えられる!
  ひ と
 他人は変えられない、でも 自分は変われる!


普段の発想をちょっと変えて、
ワクワク、ドキドキ、楽しい毎日をおくりましょう。

毎日 輝いて暮らしていきましょう。



檀信徒の皆さんが、元気な一年を過ごせますよう、
心からお祈り申し上げます。






◎ 戸守り ~ 火防(ひぶせ)・盗賊除(とうぞくよけ)のための
   当山独特の御守護札です。
   玄関などにお祀りしてください。

◎ 本山札 ~ 天台宗の総本山、比叡山延暦寺から取り寄せた、
   当山檀信徒各家の 一年の無事を祈念するためのお札です。 
   仏壇や神棚(無い方は 茶の間や客間)等にお祀りください。

◎ 吉祥寺オリジナル クリアーホルダー
   表に本堂のらんま(石川勝右衛門作)と ふれ愛観音(西村公朝作)、
   裏に 吉祥寺の大銀杏を配した書類入れです。
   皆さんへの応援メッセージを入れさせていただきました。




☆ 当山のものであるなしにかかわらず、古いお札、お塔婆等は
  お焚き上げ供養をします。
  お申し出ください。





吉祥寺の平成17年の行事予定は、
ホームページの 年中行事 に記載してあります。

今年の年回操出表も そのページの下の方にあります。

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花ぼさつ 露ぼさつ

平成19年の年頭のご挨拶です。



     花ぼさつ 露ぼさつ



平成19年の初春を迎え、謹んで至心に三宝を誦し、
併せて 檀信徒の皆様のご清栄を 心からお祈り申し上げます。



年末になると、つまり このご挨拶状を書き始める頃になると、
いつも家人にあきれられる事があります。

それは、翌年のカレンダーに つい こだわってしまう事です。

家のどこに どんなカレンダーを置くか。

これをここに、
あれをあそこに、
茶の間はこれで、
トイレはあれでと。



カレンダーの中は、いろいろ。

絵も 写真も 字も 日付だけのものも。

絵といっても 平山郁夫画伯の絵もあれば、
小さな子供の拙い絵もある。

写真も 大自然、祭り、生け花や人物 等々。



カレンダーを月末にめくると 部屋が一変します。

それが楽しいし、1ヶ月か2ヶ月おきに代わるから飽きない、
でもじっくり見られます。

そして、気分が高ぶっているときは落ち着きと反省を、
落ち込んでいる時は 元気をもらえます。



お気に入りのカレンダーの中から 去年1年を振り返ってみると、

1月   人生 笑った者勝ち。

     「笑者は勝者」なり。


2月   あなたが笑うだけで 幸せになる人がいます。

     笑顔は誰でも持っているステキな薬。

     あなたが笑うだけで 幸せになる人がいます。


3月   相手の心を思うと書いて「想う」。

     想ったり、想われたり、忘れちゃいけない 想う事。


4月   楽しみ作ろう「作楽(さくら)」


5月   晴れ 時々も 晴れ


6月   外は雨でも 中(こころ)は いつも晴れが良い


7月   ありがとうの花のそばには ありがとうの花が咲く。

     ありがとう色の花が咲く。

     ありがとう香る花が咲く。

     すごくキレイナ花が咲く。


8月   「花火」

     暗いなら 心(夜空)にドカンと

     笑顔(花火)を打ち上げよう。


9月   晴れだと思えば晴れさ。

     そう思わなきゃ 晴れるもんも晴れんでしょ。

     「本日快晴」


10月  笑顔が似合う人。

     それは幸せも似合う人。


11月  なんだそんな事。

     大丈夫。 忘れていいよ。

     それは明日に持っていかなくて良いもんだから。


12月  あせらなくても大丈夫。

     それでも明日はやってくる。

     あせらなくも大丈夫。

     あなたはあなた。

     大丈夫、大丈夫。






こんな言葉たち、絵や写真、記念日や予定日が書き込まれたカレンダーに、
どれだけ勇気づけられたか、
どれだけ癒されたか、
どれだけ慰められたか。

カレンダーさん、365日間 ありがとう。



お釈迦様は、
人々が幸せであるように、幸せになれるように
お諭し下さいました。

厳しい修行、難しい学問や言葉を誇る事が
お釈迦様の思いでは ないはずです。

大切な事は、
どこにお釈迦様を感じるか、何に仏教を学ぶか 
ではないでしょうか。 



トンチの一休禅師は
「しゃかという いたづらものか 世に出でて
 おほくの人をまよわする哉」
と 当時の仏教に対する認識(仏教界の態勢)を戒めています。

要は 自分自身の問題。

花に、
露(しずく)に、
鳥や虫たちに、
頬をなでる風や 雨の音に、
家族に、
友達に、
それから カレンダーの中にも
お釈迦様の教えは あると思うのです。



あなたのお幸せを 心からお祈りします。


 
                    山主合掌



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MOTTAINAI(もったいない)

平成18年の新年のご挨拶です。




   MOTTAINAI(もったいない)


平成18年の新春に當たり、謹んで至心に三宝を誦し、
併せて檀信徒の皆様のご清安を心から祈念申し上げます。



ワンガリ・マータイさんは、30年間近くにわたって
数千万本の木を植え、
アフリカの女性で初めて
ノーベル平和賞を受賞した人です。

彼女が来日した際、
毎日新聞の取材の中で、
「もったいない」という日本人の考え方を初めて知り、
強く共感し、感動して、
この日本語を 世界共通語にしようと
「MOTTAINAI」キャンペーンを展開しました。

シンガーソングライターのさだまさしさんは、
「もったいない」をテーマに
詩を書き 歌を作りました。





「MOTTAINAI」という歌の歌詞は、
こちらに全部 載っています。

MOTTAINAI(さだまさし) goo音楽





「もったいない」は 
「そのものが持っている本来の価値が生かされずに残念なこと」
という意味ですが、
ものの価値を判断するのは 
取りも直さず 「人それぞれの心」です。

物に囲まれているという事、
豊かな社会・時代に生きている事自体は
罪な事でも 恥ずかしい事でもありません。

ただ、その事に気付かないでいる事は、
とても残念で 寂しく 悲しい事のように思います。

平和や豊かさ、人の愛情などに対する「感謝の心」、
それに気づかせ 育てる 自分自身の「慈愛の心」、
そういった事が 
マータイさんの「MOTTAINAIキャンペーン」の
中心にあるような気がします。



皆さんが お幸せでありますように・・・・・・
                       山主合掌





この頃には 新年のご挨拶としてお配りする紙に
書ききれないほどの お伝えしたい事があって
いつも悩まされてしました。

けれど、この年、どうしても さだまさしさんの歌の歌詞を
全文載せたくて・・・、載せました!(笑)

できましたら、ぜひ goo音楽のページに飛んで、
歌詞を味読してみていただきたいと思います。


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