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徒然なるままに その6

今日からは、まじめにお話するんでしたね(笑)。






布教っていうのは、仏教の持っているすごさとか、雄大さとか、
優しさとか、面白さとか、楽しさとか、爽やかさ、いやし、
ワクワク感、ドキドキ感、そんなこんな、
仏教の「スゴイ!」を伝えるもんじゃないかと思うんですよね


その事が、布教の最大で、最終の目標だと思うんですけど・・・、
ダメですかねぇ。





みなさんが「ブッダってスゴイんだよ、仏教ってスゴイんだよ」って
一生懸命 話して、
あとは聞いてる人がどうなろうが、癒されようが、怒り出そうが、
そんな事 考えてもしょうがない。

「神のみぞ知る」ってなもんですよ。





≪ついでに、この 神と仏の仕分け も、
本地垂迹・反本地垂迹みたいな、
ある意味、今のテーマからすれば些末的が議論がありますよね。

他に 例えば、天国か、浄土か、極楽か、みたいなね。



以前、岩槻仏教会さんでお話させていただいた時、
終わって懇親会があって その席で、真言宗のお坊さんから、

「先生」、そん時は 私は先生だったから、

先生、先生の話は、面白くて、為になって、興味深かったけど、
 極楽の事を天国って言ってたことだけは どうもねぇ
。」

と言われちゃいました。

真言宗では 極楽っていうですねぇ。

密厳浄土じゃないんですわ。

「ふーん」です。



ただ、私は、一般の人達の前で、解りやすく仏教を話そうとして
「天国」って言葉を使っちゃったようです。

ちゃんと「極楽浄土って言う名の天国」って言ってたつもりなんですけど、
その真言宗の住職は 気に入らなかったんでしょうね。

なにもいいじゃないかと思うんですよ、
天国だって、極楽だって、エデンだって、桃源郷だって、アルカディアだって、ヘブンだって
それぞれの宗教とか民族で言うところの理想世界の観念論でも
専門的、学問的に言うんならともかく、
宗教の中では
最高の理想郷っていう意味だったら 天国でいいじゃん
て思うんですけど。



理想世界が下より上、地下より天上にあるって夢見るのは、
人間だったら自然でしょ。

そんなことでウダウダ言ってるから、
一般在家の人達においてかれちゃうんだと思うんですけど、

(ごめんなさい、言いすぎました)

もちろん、真言宗の住職さんには 反論の反論しましたけど。

まぁ、今はテーマが違いますから、
これ以上 話さなくてもいいでしょう。≫






とは言いながら、






今日は、ここまで!(笑)


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