埼玉県深谷市にある
吉祥寺の住職のブログ
イチョウの下のよもやま話
徒然なるままに その40
さてさて、いよいよ ブッダの教えについての
私の考えるところを チラッとお話させていただきましょう。
まず、
ブッダは最初、自分以外の 他の人の事なんて
考えていなかった。
みんなのために悟って、みんなのために教えを説いたんじゃない
って事です。
ブッダ若き日の逸話。
農耕祭の日、
地中の虫が小鳥にとらえられ、
その小鳥を、
鷹だか鷲だか、猛禽が捕らえて飛び去った。
人々は その劇的シーンに歓声を上げたけれど、
ブッダだけは
静かにその場を立ち去り、
人のいない場所を探して、
木の下に座って、
自然界の弱肉強食のことわりについて 瞑想した。
仕方ない事だけれど、悲しい事でもある。
何故か?
何とかならないものか?
有名な ブッダ初めての座禅の場面です。
座禅の最初は「無念無想」なんかじゃ ないんです。
頭ン中、ぐちゃぐちゃです。
もっと有名な四門出游の
老・病・死 を見ての苦悩もそうでしょう。
ブッダは 自分自身が悩んだ、世の中の無常を、
自分自身の心で理解し、解決しようとして 出家し、
支障を求めて学び、苦行し、それを捨て、
やがて悟りを開いたんです。
つまり、自分のための出家であり、
自分だけの開悟(さとり)だったんです。
今日は、ここまで!
私の考えるところを チラッとお話させていただきましょう。
まず、
ブッダは最初、自分以外の 他の人の事なんて
考えていなかった。
みんなのために悟って、みんなのために教えを説いたんじゃない
って事です。
ブッダ若き日の逸話。
農耕祭の日、
地中の虫が小鳥にとらえられ、
その小鳥を、
鷹だか鷲だか、猛禽が捕らえて飛び去った。
人々は その劇的シーンに歓声を上げたけれど、
ブッダだけは
静かにその場を立ち去り、
人のいない場所を探して、
木の下に座って、
自然界の弱肉強食のことわりについて 瞑想した。
仕方ない事だけれど、悲しい事でもある。
何故か?
何とかならないものか?
有名な ブッダ初めての座禅の場面です。
座禅の最初は「無念無想」なんかじゃ ないんです。
頭ン中、ぐちゃぐちゃです。
もっと有名な四門出游の
老・病・死 を見ての苦悩もそうでしょう。
ブッダは 自分自身が悩んだ、世の中の無常を、
自分自身の心で理解し、解決しようとして 出家し、
支障を求めて学び、苦行し、それを捨て、
やがて悟りを開いたんです。
つまり、自分のための出家であり、
自分だけの開悟(さとり)だったんです。
今日は、ここまで!
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