憲法改正反対!国際法違反の現行憲法凍結!大日本帝国憲法再生!

いろいろなブログを貼っていくつもりです。
いわゆる、「他人のふんどしで相撲を取る」他力本願寺ですね。アニメ、特撮

通化事件

2016-08-30 21:08:58 | 拡散希望
ねずさんのブログです。


http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3121.html?sp

引用


通化事件の情況については、筆舌に尽くしがたい艱難辛苦の末、やっとの思いでどうにか無事祖国にたどり着くことができた外科医婦人中郷三己枝さん(当時27歳)の手記があります。
まるごとご紹介します。

***
支那八路軍のことごとに理不尽な暴圧に堪えかねた旧日本軍の一部と在留邦人の中の抗議派の人々が、
国府軍と手を組んで、ついに立ち上がった。

その中心人物は藤田大佐で、かつて戦車隊長として雷名をとどろかせた猛将として有名だった。
昨年六月、通化にやってきた今利(いまり)中将ひきいる第百二十五師団の参謀長だった。

この人たちが、どのような手段で決起したのか知る由もなかったが、総勢、約千名が、二月三日の未明を期して一斉に蜂起した。
それは暴動のようなものではなく、それぞれ攻撃目標を定めた組織的な反乱だった。

しかし、たのみの国民党軍は呼応しなかったし、同時に立ち上がる予定の航空隊は、八路軍(支那共産党軍)の先制攻撃を受けて参加できず、それ以上悪いことに、反乱軍の動きは、八路軍のスパイによって探知されていたため、奇襲攻撃はことごとく失敗に終わった。

部分的に要所を占領した部隊もあったが、それも数時間で壊滅してしまい、敵弾にたおれ、傷ついて捕虜になった者も多く、壮絶な戦死を遂げた者もすくなくなかった。
この反乱は、わずか数時間の後に完全に鎮圧されてしまった。

血に彩られた旧正月の朝は明けた。
おびただしい死体が各所に散乱していた。
この事件は八路軍に大きな衝撃を与え、日本人に対する怒りは頂点に達した。
これは日本人弾圧の絶好の口実となった。

やがて恐ろしい報復が行われ始めた。
元旦を祝って家族がささやかな朝食についたとき、八路軍の兵士が侵入し、夫たちを引き立てて行った。
通化市内では、16歳以上60歳までの日本人男子は、ことごとく八路軍兵舎その他に集合せよと命令された。
市内は恐怖のるつぼと化した。
八路軍側は、抗戦派だけでなく、すべての日本人に対して、仮借なく復讐しようとしたのである。

この反乱にまったく無関係の者も、反乱に反対だった者も、ほとんど差別されなかった。
とくに兵舎の前に集合させられた数百名の日本人は、身震いしておののいていた。
そこにひとりの将校があらわれて、絶叫するように叫んだ。

「今朝、日本人を主とした反乱軍のために、
 わが軍は多大の犠牲を受けた。
 諸君は同胞として、
 その罪を免れることはできない。
 わが軍は報復として、
 ただちに諸君を銃殺に処する」

その瞬間、兵舎の窓から十数台の機関銃が一斉に火を噴いた。
みるみるうちに、ばたばたと倒れた。
重傷を負って死にきれない者に対しては、容赦なくピストルが撃ち込まれた。

死体は待機していたトラックに次々と積み込まれ、一部は渾江の橋の上から凍結した川面に投げ捨てられ、一部は近くの谷間に投げ込まれた。

逮捕拘引された日本人は、およそ三千人に及び、元憲兵隊の監獄や、公署の防空壕の中に分散監禁された。
監禁された日本人は、狭い部屋に何十人も押し込まれ、身動きすらできない中で大小便垂れ流しのまま五日間もの間立ったままにされた。
苦しさのあまり「出してくれ」と叫んだ者があると、銃弾が撃ち込まれてくる。
発狂する者もあれば、中には立ったまま死んだ者もあった。

しばらくして取り調べがはじまると、ひとりひとり引き出され、反乱軍との関係の有無を詰問される。
そのとき態度が悪かったり、言葉に詰まったりすると、こん棒や革のムチで容赦なく、力いっぱい打ちのめされた。
その場で悲鳴をあげて倒れる者、全身を殴りつけられて意識を失い、ついに動けなくなった者も少なくなかった。
そうすると、そのまま戸外に放り出されてしまう。
酷寒二月のことである。
たちまち寒気のために不動のまま凍死してしまった。
やがて材木のようにトラックに積まれ、谷間に投げ込まれる。

するとどこからともなく貧民が集まってきて、硬直した死体から着衣をはぎとってゆく。
全裸の死体は、荷物のように運ばれて、渾江の橋の上から投げ込まれる。
これが毎日のように行われた。
なんという地獄絵図だろうか。

一週間目ごろから、ぽつぽつ釈放者が出るようになったが、帰って来た人も、無傷な人はいなかった。
手を折られた人、足を折られた人、杖にすがってやっと家にたどり着いた人。
帰ってからも発熱のために苦しむ者。
凍傷のため、廃疾者同然になった者などが大部分で、五体満足で帰って来た人はわずかであった。

抑留中は精神に異常をきたし声を出すものなどが続出したが、そのたびに窓から銃撃され、窓際の人間が殺害された。
殺害された者はそのまま立ったままでいるか、他の抑留者の足元で踏み台とされた。
また、数百人が凍傷に罹り不具者となった。

拘束から五日後、部屋から引き出されると、朝鮮人民義勇軍の兵士たちにこん棒で殴りつけられ、多くが、その場で撲殺された。
撲殺を免れたものの多くは、骨折した手足をぶらぶらさせていた。

その後、支那共産党軍による拷問と尋問が行われ、凍結した川の上に引き出されて虐殺が行われた。
女性にも多数の処刑がされた。
渾江川の上には、服をはぎ取られた女性の裸の遺体が転がった。

男たちが拘束されている間、支那共産党軍の兵士たちは、日本人住居に押し入り、家族の前で女性を強姦することもあり、凌辱された女性の中には自殺するものもあった。

事件後、3月10日になると、市内の百貨店で支那共産党軍主催の二・三事件の展示会が開かれた。
戦利品の中央に、蜂起直前に拘束された孫耕暁通化国民党書記長と、二月五日に拘束された藤田実彦大佐が見せしめとして三日間に渡り立たされた。

3月15日に藤田大佐が獄死すると、遺体は市内の広場で三週間さらされた。
渾江(鴨緑江の支流)では、夏になっても中州のよどみに日本人の虐殺死体が何体も浮かんだ。

引用以上


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天皇陛下の権利

2016-08-30 17:39:42 | 法律
倉山満さんのブログです

https://office-kurayama.co.jp/page/4



引用

玉音放送に関して。

 東日本大震災時の玉音は、激励権の発動。

 今回の玉音は、警告権と被諮問権の発動。

文明国の通義として、立憲君主とは憲法に従い行動する存在であり、自らの意思で政治を動かすことを抑制する。しかし、単なる傀儡(ロボット)であることを要求するものではなく、警告する権利と激励する権利と相談を受ける権利は残される。

それら三つの権利を行使して国政に影響を及ぼすことは許される。なぜならば、君主の発言を聞くかどうかは大臣など臣下の勝手であり、責任は大臣ら臣下にあるからだ。

一義的には安倍内閣が責任を負うが、語りかけられたのは国民全体である。

陛下が、警告権と被諮問権を発動された。

しかも、玉音放送という異例の形で。

引用以上

人形町サロンさんのブログから

http://terget.3zoku.com/sekitei/2008/note/2006/note01.html



引用



バジョットの『英国憲政論』は初版が1867年である。ジャーナリストであるバジョットの議論は法制論に基づいた政治論であり、同書は法律の条文を一条も引用することなく英国憲政の実態を明らかにし、議院内閣制の理論を構築した。君主制に関しても多数の重要な理論を提示している。特に、君主は「警告する権利」「激励する権利」「相談される権利」を有しており、賢明な君主はこの三つの権利の行使により国政に影響を及ぼせる、と説明した。つまり、憲法律である「君臨すれども統治せず」の運用として「警告権」「激励権」「被諮問権」を整理した。
 



引用以上



ネットをいろいろ検索してみましたが倉山満さんの主張以外は見つけられませんでした。


新党「日本一」

2016-08-29 15:35:29 | 拡散希望
桜井誠さんのブログです

http://s.ameblo.jp/doronpa01/entry-12194505978.html


引用

新党の党名発表について

本日、新党の党名発表を行います。何よりもまず新党の名前は大切なものです。党名については初期メンバーらと協議を重ね、すでに決まっておりますが、改めて党名を公表することで、新党に集う人たちに意識を持ってもらい、現在進めている規約、政策、結党大会準備などの励みとしてもらえればと考えています。なお、本日の午後に党名発表を予定していますが、ずれ込んだ場合は明日30日の朝方、党名発表に変更させて頂きますので予めご了承下さい。

引用以上

続いて桜井誠さんのツイッターから

引用



引用以上

日本の心を大切にする党から、鞍替えする人もたくさん出て来るのではないでしょうか?


学術論からの憲法論

2016-08-25 16:03:54 | 拡散希望
宮崎正弘〜さんのさんのブログです。

http://melma.com/backnumber_45206_6409242/


引用


 アメリカの副大統領のジョー・バイデンが、演説で、 日本も核を持てばいいと言った共和党大統領候補ドナルド・トランプを批判して、「核保有国になれないとする憲法を私たちが書いたことを彼は知らないのか」 と言った。
 この発言は、事実を言ったのである。
 しかし、我が国では、この事実を見て見ぬ振りをして憲法を守れとか、九条を守れとか、改正するとか、さらに最もケッタイなのは、加憲するとか、言っているのが大勢である。
 つまり、バイデン流に言うならば、「この憲法をアメリカ人が書いたことを日本人は知らないふりをしているのか」ということになる。
 では何故、護憲論も改憲論も、仲良く知らないふりをしているのか。
 その理由は、護憲論も改正論も、日本国憲法を「有効」だという前提の上に成り立っているからである。「有効」としておかなければ、護憲論も改正論も成り立たない。
 ということは、アメリカ人が書いた日本国憲法は「無効」だということである。
 「無効」なら、護憲論も改正論も加憲論も、前提をなくして吹っ飛ぶ。だからアメリカ人が書いたことを「知らない」ふりをしているのだ。

 ところで、「日本国憲法」は、我が国の「戦後体制」の枠組みである。ということは、我が国の「戦後体制」とは「ウソ」を前提にして成り立っているのだ。 義務教育では、大日本帝国憲法を天皇が定めた「欽定憲法」と教え、日本国憲法を国民が定めた「民定憲法」だと教えている。
 しかし、これは「ウソ」だ。日本国憲法は、日本を占領統治していたアメリカ人が書いたのだ。国家の基本法に関して、義務教育で子ども達に「ウソ」を教える国に未来があろうか。
 本日(八月二十日)の産経新聞朝刊に、古森義久氏がジョー・バイデンの発言を取り上げた「『米国製憲法』の歴史とは」という論考を書いている。古森氏は、確か平成九年に日本国憲法を書いたチャールズ・ケーディス陸軍大佐にインタビューをした上で、憲法に関する論考を産経新聞に書いている。
 私は、これを保存し時にコピーして持ち歩く。何故なら私は、講演でも選挙演説でも「日本国憲法は無効だ」と主張し、その無効論の根拠に、古森氏が産経新聞に載せたケーディスの発言を使うからである。これからは本日の論考も無効論の根拠に使うことにする。

 次ぎに無効論の重要性について指摘する。
 第一に指摘すべきは、日本国憲法が「有効」か「無効」かに関しては、世界の誰でも参加して結論を言うことが出来る。何故なら学術論だからである。
 かつて、韓国が、朝から晩まで、日韓併合条約は「無効」だと言っていたことがあった。
 その時、アメリカのハーバード大学が、憲法学者や国際法学者を集めて審査し、日韓併合条約は「有効」だという結論を公表した。それで韓国の無効論は消えた。同様に例えばハーバード大学に世界の学者が集まって、日本国憲法が「有効」か「無効」かを審査したら如何なる結論となるか。

 必ず「無効だ」との結論をだす。
 その時、「有効」を前提とした護憲論も改憲論も、呆然自失することになる。無邪気に、未だにGHQの優等生として、日本国憲法を「有効」だと信仰していてはダメだ。前にも指摘したが、中共が朝鮮半島に武力進駐して「朝鮮国憲法」を布告すれば、我が国を初めとする自由主義国家群は、それを「無効」だと言うだろう。しかし「日本国憲法」を「有効」としている我が国は「無効」とは言えず利敵行為者として孤立する。従って無効論は必要なのである。
次ぎに、無効論の戦略的重要性を指摘する。
 危機は何時襲ってくるか判らないから危機なのだ。その危機の時に、憲法を改正している暇はない。一体、改正に何年かかるか、誰も指摘できないではないか。
 ということは、その間、危機に対処できないということだ。
 その時に、無効論が日本を救い国民の命を救う。総理大臣が、当職は日本国憲法に囚われることなく、国家から与えられた国家と国民を救うための権限を行使する、と宣言し果敢に危機克服に立ち向かう。
 これができるのが「無効論」である。
 かつて、東京都議会議員の土屋たかゆき氏が、都議会本会議で石原慎太郎東京都知事に、 「日本国憲法は有効か無効か」と質問したら、都知事は「破棄したらいいんだ」と答えた。
 「破棄」つまり「無効」だから捨てる。これが無効論である。 

引用以上

日本国憲法が無効な理由は、誰が作ったかではなく、どういう状況下で造られたかによります。米軍、国連、連合国、GHQ、呼び方はなんで良いのです。日本に主権が無い時に造られた事がポイントです。だから、国際法違反であり、無効なのです。
そして、我が国政府が、その事を宣言してしまえば国会さえ議論は不要なのです。占領下での法律改正ですら、国際法違反なのですから、いわんや「憲法」をやなのです。