図譜は戦前に発行された日本で最初の写真入り居合解説書で、その労苦というのは私には想像もできないことであったろう。
紙幅、写真数、言葉、どれだけ削除したことか。
今日それを手にする人は全国で300人、すでに廃刊となっているから実働200冊だろうか。
。
齋藤先生ご存命なら119歳、19歳下で入門したとして、私の居合年齢は100歳である
先生最晩年の師範代として実年齢69歳、実によく体が動く!
もちろん、思ったように動かない自分の体を知ることは、修行の手始めです。
戦前に上梓された図譜には多くの誤植や、写真の撮り違いがある。
それには正誤表が手元にあり、私は先師齋藤正名人の口伝を保持しているから、それらが明快にわかる。
今夜は「大日本抜刀流」のマチガイについて、遠くフクシマの剣士とチャットをすることになっている。
写真も多数用意した。
時代的な背景を勘案せず、現代の価値観でものを考えるヘタレには教えてあげない!
以下は、平井先生のお弟子さん、易水会の師範のブログであるが、いとこだから勝手に転載する
1. 居合道正史 ~隠された真実~ 【English】
【1】序章 正統派と傍系派の確執の起源
系譜捏造について
居合人として、小生は長年、「正統正傳派(谷村派)」と「傍系派(下村派)」の生い立ちと確 執について、まるで喉の奥に欝陶しく留まる魚の小骨の如き不快感を伴う疑念とともに、これを放置するか摘出するかでずっと思い悩んできた。そして或る日、 土佐抜刀芸家・正傳九代宗家たる林六太夫守政とその一族を調べれば長年の謎が溶けるのではと思い経ったのである。
なんと四人もの正傳宗家を排出した一族であるにも拘らず、正傳・傍系いずれの史観にも何等説明がされていないのだが、実は隠されていたために触れる事が 出来なかったということであった。唯一、九代宗家は大森六郎左衛門の剣術の弟子であったとの説明が残されるのみであった。
小生は運よくたまたま正傳派に所属した訳だが、傍系派を取り入れた財団法人全日本剣道連盟は、出版社スキージャーナルを走狗とし、「月刊剣道」誌に何度 も傍系居合道に関する特集を組み、同時に傍系居合道の書籍を何冊も繰返し出版することで、捏造した傍系派系譜の正当性を主張し続けて来たのである。特集の 記事と書籍には正傳派宗家の系譜に傍系系譜を巧みに枝分かれさせ、割り込ませた捏造系譜を臆面もなく繰返し掲載し、長く世論に吹聴して来たのである。「嘘 も百回繰り返せば真実となる」ということである。
この捏造主張の横暴は留まる所を知らず、故人と成った正傳派歴代宗家の宗家問題のみならずその業前にまで誹謗と中傷によって貶め始めた。
『故人曰く』などと、盗人猛々しいにも程があるのだが、“理は我にある”の体を示したいのか大江十七代宗家、穂岐山十八代宗家、福井十九代宗家等の写真 を肖像権侵害よろしく掲載したうえで、宗家問題にも幾度となく異議を唱えていた。(「古流居合の本道・全解・無双直伝英信流(剣道日本)岩田憲一著」平成 14年・スキージャーナル社)
この論法は加茂某の「居合道入門」(昭和43年)を引継いだものと見受けられ、また三谷某の『詳解居合・無双直伝英信流』(平成8年・スキージャーナル 社)傍系形の続編とも考えられる。この本の文末ページにある「皆伝書」は見所である。墨黒の素晴らしく見事な書体で、「大江正路子敬・直門人十八代目山本 晴介」と実に晴々と明快な嘘(宗家でないものが皆伝書?)を堂々と書き上げている。そして財団法人・全日本剣道連盟会長大島某が(推薦のことば)で、「切 れる居合」と絶賛している。
“系譜”とは現在の戸籍謄本にもあたるもの、正確には「藩・中先祖系図牒」と言われるものである。このような系譜捏造行為は商法でいう誇大広告、刑法で いう偽計詐欺行為にも当たりうるものとも思われる。
中山博道と神伝流
傍系派がこの「中先祖系図牒」・「土佐の正傳系図牒」に勝手に入り込んだ根拠は、中山博道と傍系派の繋がりに行き着く。中山博道は日本剣道界の重鎮であり、神道無念流剣術の根岸某の弟子であったが、竹刀剣法や剣術では食えな いところに追い込まれていた。根岸宗家から受け継いだ有信館道場は二回の放火に因り廃墟と成っていた。
食喉の為に中 山博道が飛びついたのが、ドタンバッタンの半身居合・ハッタリ剣術である。『土佐神伝流秘書』を高い金で買い(取らされたか求めたか)、土佐出身の国会議 員細川先生から正統に買い取ったものであるかの様に装った。長く初伝技のみで“大森流”を名乗っていた中山博道は、正傳十八代穂岐山宗家の死後直ぐに流名 を変更、ここに“神伝流”を立ち上げる。中山博道曰く、英信流(中伝)と大森流(初伝)を合体したというものであり、土佐傍系業に竹刀感触を加味し、老体 用に変形した変種業を考案した。中山はおそらく老齢のため、正座の業と中伝立膝での鍛練がおぼつかなかったのであろう。今日では膝当サポータなどの良い 道具によってその苦痛が抑えられるため業の習得も早いが、戦前当時の居合の鍛錬は地獄の鍛練、難行苦行の連続であった。
系譜捏造について
居合人として、小生は長年、「正統正傳派(谷村派)」と「傍系派(下村派)」の生い立ちと確 執について、まるで喉の奥に欝陶しく留まる魚の小骨の如き不快感を伴う疑念とともに、これを放置するか摘出するかでずっと思い悩んできた。そして或る日、 土佐抜刀芸家・正傳九代宗家たる林六太夫守政とその一族を調べれば長年の謎が溶けるのではと思い経ったのである。
なんと四人もの正傳宗家を排出した一族であるにも拘らず、正傳・傍系いずれの史観にも何等説明がされていないのだが、実は隠されていたために触れる事が 出来なかったということであった。唯一、九代宗家は大森六郎左衛門の剣術の弟子であったとの説明が残されるのみであった。
小生は運よくたまたま正傳派に所属した訳だが、傍系派を取り入れた財団法人全日本剣道連盟は、出版社スキージャーナルを走狗とし、「月刊剣道」誌に何度 も傍系居合道に関する特集を組み、同時に傍系居合道の書籍を何冊も繰返し出版することで、捏造した傍系派系譜の正当性を主張し続けて来たのである。特集の 記事と書籍には正傳派宗家の系譜に傍系系譜を巧みに枝分かれさせ、割り込ませた捏造系譜を臆面もなく繰返し掲載し、長く世論に吹聴して来たのである。「嘘 も百回繰り返せば真実となる」ということである。
この捏造主張の横暴は留まる所を知らず、故人と成った正傳派歴代宗家の宗家問題のみならずその業前にまで誹謗と中傷によって貶め始めた。
『故人曰く』などと、盗人猛々しいにも程があるのだが、“理は我にある”の体を示したいのか大江十七代宗家、穂岐山十八代宗家、福井十九代宗家等の写真 を肖像権侵害よろしく掲載したうえで、宗家問題にも幾度となく異議を唱えていた。(「古流居合の本道・全解・無双直伝英信流(剣道日本)岩田憲一著」平成 14年・スキージャーナル社)
この論法は加茂某の「居合道入門」(昭和43年)を引継いだものと見受けられ、また三谷某の『詳解居合・無双直伝英信流』(平成8年・スキージャーナル 社)傍系形の続編とも考えられる。この本の文末ページにある「皆伝書」は見所である。墨黒の素晴らしく見事な書体で、「大江正路子敬・直門人十八代目山本 晴介」と実に晴々と明快な嘘(宗家でないものが皆伝書?)を堂々と書き上げている。そして財団法人・全日本剣道連盟会長大島某が(推薦のことば)で、「切 れる居合」と絶賛している。
“系譜”とは現在の戸籍謄本にもあたるもの、正確には「藩・中先祖系図牒」と言われるものである。このような系譜捏造行為は商法でいう誇大広告、刑法で いう偽計詐欺行為にも当たりうるものとも思われる。
中山博道と神伝流
傍系派がこの「中先祖系図牒」・「土佐の正傳系図牒」に勝手に入り込んだ根拠は、中山博道と傍系派の繋がりに行き着く。中山博道は日本剣道界の重鎮であり、神道無念流剣術の根岸某の弟子であったが、竹刀剣法や剣術では食えな いところに追い込まれていた。根岸宗家から受け継いだ有信館道場は二回の放火に因り廃墟と成っていた。
食喉の為に中 山博道が飛びついたのが、ドタンバッタンの半身居合・ハッタリ剣術である。『土佐神伝流秘書』を高い金で買い(取らされたか求めたか)、土佐出身の国会議 員細川先生から正統に買い取ったものであるかの様に装った。長く初伝技のみで“大森流”を名乗っていた中山博道は、正傳十八代穂岐山宗家の死後直ぐに流名 を変更、ここに“神伝流”を立ち上げる。中山博道曰く、英信流(中伝)と大森流(初伝)を合体したというものであり、土佐傍系業に竹刀感触を加味し、老体 用に変形した変種業を考案した。中山はおそらく老齢のため、正座の業と中伝立膝での鍛練がおぼつかなかったのであろう。今日では膝当サポータなどの良い 道具によってその苦痛が抑えられるため業の習得も早いが、戦前当時の居合の鍛錬は地獄の鍛練、難行苦行の連続であった。
余 談ながら小生などは二十一代平井宗家の有無を言わせぬ鍛練に辟易とし、水が溜まった膝を付くと電気の如く痛みが走り跳び上がったもの、入門当時「三月も持 たない」と覚悟した程である。膝タコができて耐えられる様になると、今度は奥伝立膝での膝頭と床の摩擦による火傷が待っていた。どんなに辛くても鍛練を休 めば膝タコは薄くなってしまう。奥伝立業の遠峯なる遥か頂の連山連峰の霞を見るが如し、剣道、柔道、禅の経験者やあらゆるスポーツの経験者でも太刀打ち出 来ないと思われる程至難の鍛練であった。二~三十代ならいざ知らず、四十代過ぎでは小生の経験した鍛練法には到底堪えられない。
膝の苦痛に耐え兼ねた中山剣士による、傍系派似非居合のさらに物真似である似非流派居合道「神 伝流抜刀術」が産声を上げた。昭和10年(1935)の事であった。大森流は突然に偽流神伝流へと豹変・変流し、正傳土佐居合の歴史と業の窃盗は完了した が、染み込んだ傍系居合いの悪癖は消す事が出来なかった。
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