以前紹介した永井荷風の最高傑作「墨東綺譚」の映画が今
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墨東綺譚(R15+)
GYAO!タイトル情報より引用させていただきます。
娼婦お雪の真っ赤な恋
永井荷風の同名小説をもとに、主人公を荷風自身に置き換えて映画化、赤線の娼婦との淡いロマンスを綴った文芸大作。墨田ユキの鮮烈ヌードは当時話題をさらった。
おれの最も好きな文学者である坂口安吾は、
通俗作家 荷風
―『問はず語り』を中心として―
で、荷風を激烈な言葉で痛罵してる。
荷風といふ人は、凡そ文学者たるの内省をもたぬ人で、江戸前のたゞのいなせな老爺と同じく極めて幼稚に我のみ高しと信じわが趣味に非ざるものを低しと見る甚だ厭味な通人だ。……
荷風においては懐古趣味の態度自体が反文学的であり、彼には新しき真実などは問題ではなく、失はれたる過去をなつかしむといふだけの、そして新しきものが過去に似ないことによつて良くないといふだけの、最も通俗安直な懐古家にすぎないのである。
荷風の人物は男は女好きであり女は男好きであり、これは当然の話であるが、然し妖しい思ひや優しい心になつてふと関係を結ぶかと思ふと、忽ち風景に逃避して、心を風景に托し、嗟嘆したり、大悟したり、諦観したり荷風の心の「深度」は常にたゞそれだけだ。
男と女とのこの宿命のつながり、肉慾と魂の宿命、つながり、葛藤は、かく安直に風景に通じ風景に結び得るものではない。荷風はその風景の安直さ、空虚なセンチメンタリズムにはいさゝかの内容もなくたゞ日本千年の歴史的常識的な惰性的風景観に身をまかせ、人の子たる自らの真実の魂を見究めようとするやうな悲しい願ひはもたないのだ。
風景も人間も同じやうにたゞ眺めてゐる荷風であり、風景は恋をせず、人間は恋をするだけの違ひであり、人間の眺めに疲れたときに風景の眺めに心をやすめる荷風であつた。情緒と道楽と諦観があるのみで、真実人間の苦悩の魂は影もない。たゞ通俗な戯作の筆と踊る好色な人形と尤もらしい風景とが模様を織つてゐるだけである。
(以上引用終)
安吾は、人生を傍観者としてながめ味わう態度、いわゆる低徊趣味を憎悪してる。
だからこれとほぼ同じ論旨で、余裕派ともいわれる夏目漱石、森鴎外、志賀直哉等そうそうたる大文豪も、ただの文章家に過ぎないとこき下ろしてる。
安吾の深度のある見識は、日本文学の中で特別に優れてると、おれはおもう。
それに比べれば、荷風の見識の深度は確かに少し浅いとおもう。
しかし(おそらく意識的な)浅さゆえに、荷風には常に圧倒的に安定した余裕があり、
その余裕が、流れるような文章で「墨東綺譚」のような見事な物語を作り出す。
だから、安吾のほぼ全否定批評は言いすぎで、これはこれで十分アリだとおもう。
名匠新藤兼人監督の映画もすばらしい出来で観ごたえがある。
原作は青空文庫で読むことができるが、完璧な出来の朗読もあります。
(My Favorite Songs)
(過去記事編集再録)