哲学日記

呼吸の快感のもやもやした苦しさ(一切皆苦)


呼吸が苦しみだと実感できた時のメモ。

 外気を吸い込む時、始めのうちは心地よさがある。

しかしこの心地よさは錯覚だ。

吸いきった時、その「心地よさ」は完全に消え、なんともいえないもやもやした苦しさが現れるからだ。

苦しさに耐え切れず息を吐く。

吐く時は吸う時ほどの「心地よさ」はない。しかし苦しみはひとまず薄れていく。

吐ききった時、再びあのもやもやした苦しみが現れる。

苦しさに耐え切れず息を吸う。

(最初に戻る。この繰り返し)



ヴィパッサナーは
「さとりたい」と思ってやる者より「この苦しみを無くしたい」と思ってやる者のほうがずっと早く成長する

と、説かれている。

おれが以前からひかれていた浄土系の、厭離穢土を強調するアプローチは、その意味では正しいのだと思う。

ともかく、日常世界の強固な錯覚妄想を排して、呼吸が苦しみであるという事実の実感を大切に守り、この苦しみから逃れようと一心不乱にヴィパッサナーを続けるしかない。









※「ヴィパッサナー瞑想」
http://www.j-theravada.net/4-vipassa.html

※「日本テーラワーダ仏教協会」公式サイト
http://www.j-theravada.net/

 

 

 

 

 

 

 

 

 (My Favorite Songs)

 

小柳徹。
「俺あ三太だ!」

 

子供時代のテレビ主題歌は、今聞くと「なんじゃこりゃ」という曲ばかりだ。しかし「おらあ三太だ!」「おらはおとおにちょっぴり弱い」…無意味な鮮明さで覚えているなあ。


三太物語

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