対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

「弁証法」という訳語について

2006-12-03 | 弁証法

 藤沢令夫は「弁証法」を「意味不明瞭な言葉」・「硬直した訳語」と考えていた(『プラトンの哲学』)。わたしは違うと思った。「弁証法」は「ディアレクティケー」と正確に対応した訳語である、と。弁証法の「弁」はディアレクティケーの「ディア」と対応し、「証」は「レクティケー」と対応していると思う。「意味不明瞭」・「硬直」は、「弁証法」ということばではなく、そこに盛り込まれた内容にあるのではないだろうか。

    弁証法とディアレクティケー

 「国語辞書・マクシコン」の「弁証法」の項に、次のようにある。

 誰がいつどこで初めて Dialektikを弁証法と訳したのかは知りません。「弁証」という言葉の「弁」は「辨」とするなら「刀などで半分に切る」という意味であり、「辯」とするなら「二人の言い争いを分けて収める」という意味です(角川漢和中辞典)。

 そこから「辯」には「論争する」という意味も出ています。従って「弁証」という言葉は「道理を弁別して明らかにする、あるいは証明する」という意味となります。 Dialektikの訳語としてなかなかのものだと感心します。

 語学が堪能な人に、このようにいってもらえると、たいへん心強い。