はじめに
こんど牧野紀之の「サラリーマン弁証法の本質」を読み、許萬元の弁証法を再考してみようと思った。ヒントが見つかったように思えたのである。許萬元は弁証法の三大特色として内在主義・歴史主義・総体主義を指摘した。このうち歴史主義・総体主義は、否定的理性と肯定的理性と関連づけられ、弁証法の二大機能として把握し直されていて、理解しやすかった。これに対して、内在主義の方は、必然性の認識と関連し、歴史主義と総体主義の基礎になっていることはわかっていたが、しかし、これまで「論理的なものの三側面」との関係をうまく把握することができなかった。また、内在主義は、他の2つが弁証法の二大機能と形容されているようには、特別な形容がないと思ってきた。
いまは内在主義を「ナッハデンケンによる即かつ対自的考察法」と対応させれば、許萬元の弁証法は完結していると思えるようになった。
「論理的なものの三側面」の規定を解体することが新しい弁証法の理論の基礎である。これまで、否定的理性と肯定的理性の直列構造を並列構造に変換することを提起してきた。歴史主義と総体主義についてはわたしなりに解決しているのである。しかし、内在主義の変換の方はまだだったのだと思う。
「"Nachdenken"による即かつ対自的考察法」から、ナッハデンケン(Nachdenken)を切り捨て、たんに「即かつ対自的考察法」を対置すればよいと思った。そして「悟性―理性―悟性」という過程と対応させて、これを下向と上向の過程と重ねれば、「論理的なもの」の過程としての構造は完結するのではないかと思えるようになった。
「論理的なもの」の「悟性―否定的理性―肯定的理性」という直列構造(「論理的なものの三側面」)を、「論理的なもの」の「悟性と理性の直列構造・否定作用と肯定作用の並列構造」に変換して、そこに、内在主義・歴史主義・総体主義のゆくえを定めればよいのだと思う。(つづく)
はじめに(本プログ)
1 牧野紀之の内在主義批判
2 島崎隆の歴史主義・総体主義批判
3 牧野紀之の歴史主義・総体主義批判
4 鈴木茂の許萬元批判